60 留守番魔女4
「心配しましたよ、殿下……。なぜ俺が戻るまで、おとなしく待っていてくださらなかったのですか……」
「……ごめんね。一刻も早く、火を消さなきゃと思って……」
「宮殿などいくらでも建て直せますし、アレクシス殿下が、宮殿内の財産と公女殿下の安全の、どちらを重視するかなど分かりきっているでしょう。もっとご自身の身体を、大切にしてください」
彼らにとっては、魔女は未知の存在のはず。そんなリズが、力を使い果たして気を失ってしまったので、心配で仕方なかったようだ。
せめて事前に説明はしておくべきだったと、リズは反省する。
「本当に、心配をかけてしまってごめんなさい。でも、騎士団長のおかげで薬もあるし、魔力は安静にしていればすぐに戻るの。魔女にとっては珍しいことでもないから、あまり心配しないで?」
カルステンを安心させようとしてリズはそう説明したが、彼はリズから離れるとリズの顔をじっと見つめる。
「修行時はそうでしょうが、一人前の魔女が力を使い果たすような無茶はしないと、殿下のお母上様がおっしゃいましたよ。公女殿下はお一人で無理をする性格なので、気にかけてほしいとも仰せつかりました」
(うっ……。お母さんも、過保護なんだから……)
わざわざそのようなお願いをしてしまったら、カルステンが余計に心配してしまうではないか。リズは思わず、両頬を手で覆った。カルステンの視線が、アレクシスがリズを叱る時の視線とそっくりなのだ。幼い頃から一緒に育っただけのことはある。
「頬を押さえて、どうなさったのですか?」
「あ……えっと。アレクシスならこんな時、私の頬を弄びながら叱るからつい……」
残念な条件反射の説明をすると、カルステンは視線を緩めるように微笑んだ。
それから手を伸ばし、リズの手に自身の手を重ねてくる。間接的ではあるが、リズの頬はカルステンの手に包み込まれてしまった。
(…………へ?)
「公女殿下がお望みでしたら、アレクシス殿下のように叱ってさしあげましょうか?」
「けっ……結構です……」
「承諾されなくて、良かったです。俺が殿下の頬に直接触れるなんて、恐れ多いですから」
そう言いながらも、カルステンはリズの頬を覆った手を放さない。蕩けたように微笑む顔は、まるで小説の挿絵にあったような、ヒロインを愛おしそうに見つめる彼、そのものだ。
(なっ……なにこれ……。もしかして、カルステン。私に庇護欲を感じているんじゃ……?)
リズはただ、厨房の火事を消したかっただけだ。それなのに、消えたはずの小説の設定を、復活させてしまったというのか。
(まさかね……。私のことは好みじゃないって、カルステンの口からハッキリと聞いたもん……)
きっと今のカルステンは、リズの体調を心配しているだけだ。それ以上の感情があってはならない。
「そっそうだ! 薬飲まなきゃ!」
リズは逃げるようにして、カルステンの手を払いのけると、母の薬をグビッと飲み干してから、寝具に潜り込んだ。
こうして寝ていれば、いつかは嵐は過ぎ去る。リズはこの現象が一過性のものであると願いながら、寝具の中で丸く身を縮めた。
そんなリズの態度に気を悪くした様子もなく、カルステンが寝具の上からリズの頭をそっとなでたことなど、震えているリズには知る由もなかった。
そのまま朝まで眠りについたリズは、あまりスッキリしないまま目覚めを迎えた。
「公女殿下。まだ、ご気分が優れませんか?」
心配そうにのぞき込んでくる侍女達にリズは、不安な気持ち吹き飛ばすようブルブルと首を振ってから、にこりと微笑んだ。
「薬も飲んで寝たし、魔力はだいぶ戻って来たみたいだよ」
「順調に回復なさっているようで、安心いたしましたわ」
「しばらくは、安静になさってくださいませ」
昨日、目覚めた時は深夜だったので、リズの看病を担当していた侍女としか会っていないが、今は六人全員が集まっている。皆、火事で負傷した様子もなく元気そうなので、リズはほっと一安心した。
「うん、心配してくれてありがとう。ところで、第二公子宮殿はどうなったの? ここは私の部屋ではないけれど……」
「公女殿下のご活躍のおかげで、被害は最小限に抑えられましたわ。のちほど侍従長からもお礼を述べさせていただきますが、今回は私共にお力添えくださり、誠に感謝申し上げます」
侍女達は全員で、リズに謝意を示した。カルステンには叱られ気味だったが、使用人達は火事を早く消火できたことに喜んでくれたようだ。
「他のみんなも、怪我とかしていない?」
「多少はやけどをした者もおりますが、大事には至っておりませんわ。ただ、厨房の修理もございますし、煙が侵入したお部屋の匂いも取らなければなりません。公女殿下にはご迷惑をお掛け致しますが、しばらくはこちらの客人用宮殿でお過ごしくださいませ」
「うん。私は気にしないから、安全に作業を進めてね」
(ここって、客人用の宮殿だったんだ……)
客人用の宮殿といえば、ヒロインが滞在していた場所だ。客人用の宮殿は何棟もあるので、ヒロインと同じ宮殿に入ったとは限らないが、昨夜のカルステンのこともある。リズは嫌な予感がして、身震いをした。
それと同時に、部屋の扉が乱暴に開かれる。リズは身震いの直後に騒音に見舞われたので、心臓がびくりと跳びはねた。
部屋の中に入ってきたのは、どうみても高位貴族の身なりをした婦人だ。
「ヘルマン伯爵夫人! 突然訪問するなんて、公女殿下に対して無礼ですわ!」
侍女の叱責を聞いたリズは、心の中で「ひぃ~!」と叫んだ。
ヘルマン伯爵夫人といえば、ヒロインを執拗に虐めていた張本人だ。夫は舞踏会の日にアレクシスによって、幽閉塔送りになってしまったが、夫人のほうは健在だったようだ。
(もしかしてこれも、物語の強制力……っていうより、寄り戻しのレベルじゃない?)
そもそも犯罪者の妻が、未だに宮殿の管理を任されていることが不自然だ。いくら公王が能力主義だといっても、大切な財産ともいえる宮殿を、犯罪者の妻には預けないはず。
そんな不自然な状況を作り出してまで、この物語は今、初めからやり直そうとしているのか。
「こちらへ入宮してから引きこもっておられるようでしたので、僭越ながらご様子を伺いに参りましたわ」
「無礼を重ねるおつもりですか、ヘルマン伯爵夫人! 公女殿下は火事を鎮火させるためにお力を使い果たし、床に臥せっておられたのですよ!」
「あらまぁ、そうでしたの。魔女の身体の仕組みなど、貴族の私では存じ上げないもので」
ヘルマン伯爵夫人は扇子で顔を隠したが、目を見れば笑っているのは丸わかり。わざわざ嫌味を言うためにここへきたのは、明らかだ。
「公女殿下のお世話は、私達で十分に足りておりますわ! ヘルマン伯爵夫人は、宮殿だけご用意くだされば結構です。どうぞ、お引き取りくださいませ!」
侍女が、ヘルマン伯爵夫人を追い出そうとしているので、リズは「待って」と侍女を止めた。
「しばらくこちらでお世話になるんだから、挨拶くらいは受けましょう」
リズがにこりと微笑むと、ヘルマン伯爵夫人は「いえ……私は……」と動揺した様子で扇子を、ぐっと握り込んだ。
物語は元に戻りたがっているようだけれど、今のリズにはバルリング伯爵夫人から学んだ貴族社会の知識がある。それ相応に、反撃する手段は持ち合わせているのだ。





