59 留守番魔女3
魔女の森に住んでいる魔女達は薬作りに特化しているので、魔獣を攻撃したりするような魔法は使えない。そういった魔法は、魔術師の分野だ。
けれど、ほうきに乗った際に落ちないよう制御できるように、物を動かしたり支える魔法なら、多少なりとも使える。手足を使ったほうが遥かに楽なので普段のリズは使わないが、今は緊急事態だ。
再びほうきに乗ったリズは、使用人達の動揺を背にしながら空へと舞い上がった。
「メルヒオール。あそこのお庭にある、噴水の水を使おう!」
リズの提案に応えるように、メルヒオールは噴水へと向かい始めた。真夜中なので、はっきりと噴水の位置は確認できないが、リズ達はこの辺りの庭ならすでに熟知している。彼は、一直線に噴水へと飛んでくれた。
噴水の前へと着地したリズは、水の量を確かめるために池を覗き込んだ。今は夜なので噴水は稼働していないが、水はたっぷりと蓄えられている。これだけの量があれば、厨房の火事を消すには十分だ。
「こんなに重いものは運んだことないけど……、私達ならやれるよね?」
同意を求めるようにリズが尋ねると、相棒はきびきびとほうきの柄を上下に揺らす。
リズはこれから、かなりの無理をするつもりだ。当然、メルヒオールにも無理がかかるだろうが、一刻も早く鎮火させたいという気持ちは同じようだ。
「それじゃ、始めるよ。メルヒオールは遠慮なく、私の魔力を吸ってね」
短時間で、メルヒオールが空気中から吸収できる魔力など、たかが知れている。ここにある水を宮殿まで運ぶには、なんといってもメルヒオールの飛行能力が重要だ。出し惜しみなどしていられない。
リズは相棒に念を押してから、池の水面に手を触れさせた。
水の中に魔力を流し始めると、噴水の水は大きく渦を巻き始める。
水流で勢いをつけたリズは、それから手を空へとかざした。すると噴水の水は、リズの手に吸い付くようにして、一気に空中へと巻きあがる。
あっという間にリズの手のひらの上には、巨大な水の球体が完成した。
「くっ……。重いっ……。メルヒオール、飛べそう……?」
リズは話すのもやっとの状態で、相棒に問いかける。リズが地面を蹴ると、メルヒオールはふよふよと頼りなく飛び始めた。
何トンあるのかわからないが、相当な重さを魔力で制御しなければならない。リズも必死だが、メルヒオールにも相当な負担が掛かっているようだ。飛び始めた途端にリズは、今までにないほどの速度で彼に魔力を吸い取られている。
(宮殿まで、魔力が持つかな……)
急に不安になってきたリズだが、始めてしまったからには気合で成し遂げるしかない。
無駄に魔力を消費しないよう集中していると、なんとか厨房の炎が見えてきた。
(良かった……。まだ、他の部屋には燃え広がってない)
井戸から水をくみ上げて消火活動をしていた使用人達は、リズが運んできた巨大な水の球体を目にして、ぽかんとした顔で動きを停止させている。
魔術師の魔法とは性質が異なるだけに、異様な光景に見えているはずだ。
また、『怖い魔女』と思われるかもしれないが、今のリズにとっては自分のイメージなどどうでもよい。アレクシスに代わり、宮殿を守らなければという使命感で一杯だ。
「メルヒオール……。怖くない範囲まで、近づいて……!」
火を恐れている相棒に負担をかけないようそう伝えるが、メルヒオールは火の粉がギリギリ降りかからない辺りまで近づいてくれる。
無理をして頑張っている相棒のためにも、やりきらなければ。気合を入れたリズは、残った魔力を全て手のひらに込める勢いで、腕を大きく振りかぶった。
「えいっ……!」
巨大な球体を投げ飛ばした割には、気の抜ける声をあげたリズだが、その威力は絶大なものとなった。
厨房へと投げ込まれた大量の水は、炎と打ち消し合う音とともに、大量の水蒸気が窓からあふれ出た。
リズが目で確認できたのは、そこまで。もう、目を開けていられるほどの元気も残っていない。
使用人達の歓声が聞こえてきて、火は無事に消えたのだとリズは悟った。
(良かった……)
安心したと同時に、リズの全身の力が抜ける。
ほうきから滑るようにして落下したリズは、地面にどさりと崩れ落ちた。
リズが目覚めると、目の前にはメルヒオールと侍女の姿が。
心配そうにリズの顔を覗き込んでいた侍女は、リズが目を開けたのを確認するなり、メルヒオールに抱きついた。
「公女殿下が、お目覚めになられたわ! もう安心ですよ、メルヒオール様!」
侍女に抱きつかれたメルヒオールも、ほうきの穂をフリフリさせて喜んでいる。初めはメルヒオールに恐怖していた侍女が、いつのまにか抱きつけるほど仲良くなっていたらしい。
そんな姿が微笑ましくて、リズは思わず「ふふ」と声をあげる。それに気がついた侍女は、恥ずかしそうにメルヒオールから離れた。
「失礼いたしました、公女殿下。ご気分はいかがでしょうか。一日ほど目覚められなかったので、心配しておりましたわ」
「一日も……?」
辺りを見回したリズは、ここが自分の部屋ではないことに気がつく。部屋の中が暗いので、今は夜のようだ。侍女の言うとおりリズは、ずっと眠っていたらしい。
(あ……。魔力を使い切っちゃったんだ……)
気を失う直前のことを思い出したリズは、急に申し訳ない気持ちになる。早く消火して皆を安心させるつもりが、逆に心配をかけてしまったようだ。
「心配かけてごめんね……。魔力を使い切っちゃったから、動けなくなっていたみたい」
「公女殿下のお母様からも、そのようなご返答をいただきました。こちらをお飲みくださいとのことです」
「え……。母の薬?」
侍女に手渡された薬瓶を、リズは疑問に思いながら見つめる。
この薬は、魔女の万能薬ではない。万能薬は治癒力を高める薬なので、魔力不足の症状で飲んでも、意味がない。魔力不足を改善するには、リズが騎士団から逃げようとしていた日に、母のために作っていたあの薬が必要なのだ。
公宮には納品されていないはずのその薬が、なぜかここにある。
「公女殿下がお倒れになったのを心配された騎士団長様が、原因を尋ねるために魔女の森へ行ってくれたのです」
どうやらカルステンは、母にこの薬を作ってもらい、届けてくれたようだ。
「ふふ。そうだったんだ」
リズは、二人の気持ちが嬉しくて思わず笑みをこぼした。
今はもう、この地の魔力の減少期は過ぎている。健康なリズならば、安静にしていれば魔力は順調に回復できる。それをカルステンに説明すれば良いものを、母はわざわざ薬を作って持たせてくれたようだ。
「騎士団長様は、ずっと心配しておられましたわ。廊下でお待ちになっているのですが、お呼びいたしましょうか」
「うん。お願い」
侍女が廊下へと出ると、入れ替わるようにしてカルステンが部屋へと入ってきた。
「公女殿下!」と声を上げるカルステンに、リズはにこりと微笑みかけた。
「騎士団長。魔女の森まで、薬を取りに行ってくれてありが……っ!」
しかしリズは、驚いて言葉が止まってしまう。大股でベッドまで近づいてきたカルステンに、勢いよく抱きしめられてしまったから。
彼は臨時の護衛騎士であり、リズは一応公女である。リズに忠誠を誓ったローラントですらここまではしないというのに、明らかにカルステンの態度は度を越している。
それだけ彼は、リズを心配していたようだ。抱きしめている身体が、微かに震えている。





