05 逃亡魔女5
「実は魔女が暴れたもので……。逃げ出さないよう幽閉しておく必要があると思いまして……」
若い男性の声が質問をすると、リズを護衛してきたと思われる騎士が慌てたような雰囲気で返事をしているのが聞こえてくる。
(幽閉塔って、罪を犯した貴族を幽閉しておく塔のことだよね……)
小説では、ヒロインを執拗にいじめた貴族達が、王太子の命令でその塔に幽閉されていた。まさかそこに幽閉されるのだろうかと、リズは息を呑む。
(カルステンは、そんな命令はしていなかったはず……)
リズを捕まえた際のカルステンは確かに「宮殿へ連れて行け」と指示していた。公宮の敷地内に幽閉塔はあるが、『宮殿』イコール『幽閉しろ』とは解釈しないはずだ。
リズが知らぬ間に決められたのかもしれないが、どちらにせよストーリーがさらに、悪いほうへと向かっている気がしてならない。リズは身を固くして、外の声に聴き耳を立てた。
「これは誰の命令?」
「副団長様です」
「副団長はどこだ」
若い男性の声がそう尋ねると、「これはこれは、公子殿下!」と機嫌を取るような明るい声が辺りに響き渡る。
(えっ。公子だったの? なんで? っというか、どっち?)
ベルーリルム公国に公子は二人いるが、どちらも序盤には出てこないキャラだ。
小説のストーリーが大きく変わったことに驚いて、リズは相棒を見上げる。メルヒオールもまた、驚いた様子でほうきを上下に揺らした。
「ちょ……メルヒオール、今は動かないでっ。穂先が頭に刺さるから!」
リズが小声で抗議の声を上げているうちに、副団長は馬車の前に到着したようだ。公子と呼ばれた彼の声が、再び聞こえてくる。
「副団長が、魔女を幽閉塔に連れて行く指示を出したそうだね」
「はい! 魔女が身の程もわきまえずに暴れたのです。うちの団長は甘いので、私がしっかりと貴族の厳しさを教えなければと思い、指示した次第であります!」
「仮にも僕の妹となる子なのに、暴れたくらいで幽閉塔はやりすぎじゃないかな。せめて宮殿内で、謹慎させなければね」
「公子殿下は、お優しい。しかしながら、魔女にはしつけが必要ですので、甘やかすと侮られますぞ!」
「もちろん王太子妃に相応しい教育は受けてもらうが、それをおこなうのは副団長ではなないだろう」
「公子殿下はご存知ないのです。魔女は家畜にも劣る下等生物なのですよ! そんな娘を、高貴な身分にして教育しなければならないのです。まずは、従順な心を養いませんと」
副団長から嘲笑うような声が聞こえてきて、リズは顔を歪ませた。魔女に生まれ変わってから、幾度となく浴びせられてきた魔女を蔑む言葉。慣れたつもりでいても、心は消耗してしまう。
「僕はまだ、魔女という存在に会ったことがないんだ。本当に下等生物かどうか、確かめさせてくれないかな」
「ええ、もちろんですとも! 魔女は男をたぶらかしますので、見た目に騙されてはなりませんぞ!」
(えっ、ちょっと待って!)
今の姿を、兄となる予定の公子には見られたくない。どうにかしてリズは起き上がろうとしたが、そんな余裕もなく馬車の扉は開かれてしまった。
リズの目に飛び込んできたのは、すらりと背の高い青年。
月明かりに照らされ輝く銀髪。端整な顔立ちに、暗くてもわかるほどの綺麗な肌。夜を思わせる青い瞳が、驚いたようにリズを見下ろしている。
(第二公子、アレクシス……!)
小説でのアレクシスは妹と関わる気がなく、序盤はヒロインを視界に入れないようにしていた。
そんなアレクシスがなぜ、こんなに早く登場するのだろうか。リズが疑問を感じていると、アレクシスは自らの口元に手を当てながら呟いた。
「なぜ、このような……」
床に落ちたままのリズは、依然として手足は縄で縛られたまま。逃亡時に木の枝にぶつかったり転げ落ちたりしたので、ローブは擦り切れ汚れているし、顔や足にも擦り傷がいくつもできている。
高貴な身分の者から見たら、とても汚らわしく思うだろう。副団長が言ったとおり、家畜にも劣ると判断されたかもしれない。
「あの、これには事情が――」
幽閉塔行きを免れたいリズは言い訳をしようとしたが、しかしその声はアレクシスに届かなかったようだ。彼は副団長に視線を向ける。
「これが、公家の養女に対する礼儀なのか」
「ですから、椅子にも座っていられないような、下等生物なんですよ」
「僕にはそうは見えないけれど。手足を縛られていたら、自由に起き上がれないじゃないか」
「公子殿下は、本当にお甘い。目にした人間、全てに慈悲をかけていては、公子は務まりませんぞ」
困ったとばかりに、副団長は両手を上げる。
(この人……、アレクシスを侮っているの?)
副団長の歳は四十代半ばくらいに見えるので、アレクシスよりは年長だが、一介の貴族が公国の公子を侮って良いはずがない。
貴族に侮られるようなキャラだっただろうかと、リズが考えていると、アレクシスは疲れたようにため息をついた。
「副団長の言うとおり、僕は甘かったようだね」
「やっと、おわかりいただけましたか! それでは、魔女は私がしつけておきますので」
(ちょっと……、嘘でしょ?)
副団長がリズに向ける視線が気持ち悪くて、リズは身震いした。この小説は健全な物語だったはずなのに、とんでもない方向に舵が切られてしまった気がしてならない。
手を伸ばそうとしている副団長から、逃げることもできないリズは、なけなしの防衛手段として身を丸く縮こませた。そして目をぎゅっと閉じた瞬間――、アレクシスの声が再び聞こえてくる。
「しつけが必要なのは、副団長のほうだよ」
(えっ?)





