58 留守番魔女2
机に置いてある『鏡の中の聖女』三冊が目に入ったらしい侍女は、リズにそう質問してきた。
「面白かったよ。ヒロインを巡って、魔術師同士が対決する場面にドキドキしちゃった」
リズの前前世が題材の巻は、当て馬役が魔術師だ。ヒーローである王太子フェリクスも、大魔術師の生まれ変わりであり、その能力をずっと受け継いでいる。この巻は、バトル要素の強い話に仕上がっていた。
この時代は、魔獣が多く生息していたようで、ヒロインは幾度となく危険な目に遭い、ヒーローや当て馬に助けられるというストーリー。
リズはその巻を読みながら、その時代の記憶がなくて良かったと、つくづく思った。話としては楽しいが、実際には体験したくないのがバトル物だ。
「公女殿下の物語も、いずれは小説になりますのね。楽しみですわ」
「私達が生きている間に、刊行してほしいですわね」
リズが初めて、図書館で『鏡の中の聖女』を借りてきた際、侍女達も好きな本なのだと教えてくれた。
ドルレーツ王国やベルーリルム公国の貴族令嬢達は、皆この本を読み、建国の聖女と大魔術師に憧れるのだとか。
(それならもっと、私に興味を示してくれても良かったのに……)
リズが前世で読んだ小説内でもそうだが公宮の人達は、リズを魔女以外の存在として見ようとしてくれない。
アレクシスが頑張ってくれたおかげで、公女としては認められたようだが、リズの魂が『聖女』であると認識している者は、リズに近しい者達だけだと思える。
(これも、物語の強制力ってことなのかな?)
「けれど、公女殿下の物語は、今までのシリーズとは少し異なる雰囲気になりそうですわね」
「そうなの?」
「今までのヒロインは、不幸の底からヒーローに救われる話ばかりですけれど、公女殿下は公子殿下の元でお幸せそうですもの」
(ふふ。それは必死に、ストーリーを変えようとした成果だよね)
侍女達から見ても、リズにとってヒーローは不要の存在にみえるようだ。このままストーリーが変わり続けて、ヒーローと接点のないまま婚約式を迎えられたらどうなるだろうか。
リズには万能薬作りという重要な役割があるし、アレクシスという強力な協力者がいる。簡単には火あぶりにならないという、確信がある。
ヒーローとしても、なんの接点もなかったリズが前世の伴侶では無かったと知れば、愛情など沸くはずもない。『お告げは間違い』として、円満に解決できるのではないだろうか。
「うん。アレクシスやみんなのおかげで、楽しい毎日だよ。いつもありがとう」
リズは未来に希望を抱きながら、マカロンをぱくりと口に頬張る。そんなリズの幸せそうな表情を見て、侍女達も笑顔でうなずいた。
「公子殿下のお傍におられる限りは、公女殿下に不幸など訪れませんわね」
「けれどそうなると、王太子殿下の役目がなくなってしまいますわ」
「現実は、そういうものですわ。こちらの本だって、きっと脚色していらっしゃいますのよ」
「そうよね。都合よくヒロインが不幸にばかり遭うなんて、お可哀そうですもの」
寝間着パーティーもお開きになり、リズはぐっすりと眠りについていた。けれど、その眠りは唐突に途切れてしまう。メルヒオールに突かれて、目覚めてしまったのだ。
「うーん……。なによ、メルヒオール……」
張り付いてしまったような瞼をなんとか開いたリズは、妙に焦った態度のメルヒオールに目を向ける。
相棒は、何をそんなに焦っているのか。寝ぼけた頭で考えていると、ふと、嗅ぎ慣れない匂いがリズの鼻をかすめた。
「なんか、焦げ臭くない……?」
リズがこてりと首をかしげると、メルヒオールは柄を縦に振りながら、暴れるように部屋の中を飛び回り始めた。彼の身体は燃えやすい素材でできている。本能として、焦げた匂いに拒否反応を示しているようだ。
「もしかして、火事……!?」
やっと頭がハッキリとしてきて状況を把握したリズは、怯えるメルヒオールをなだめるために、バルコニーへの扉を開けた。
「メルヒオール、おいで!」
相棒を外へと避難させていると、侍女の一人が部屋へと飛び込んできた。
「公女殿下、厨房が火事ですわ! 念のために、外へお逃げくださいませ!」
「他の皆は?」
「無事です! 使用人全員で、消火に当たっておりますわ。私も参りますので、公女殿下はメルヒオール様にお乗りになって、外へお逃げくださいませ!」
「うん……。気をつけてね!」
再びバルコニーへと出たリズは、メルヒオールを呼び寄せてほうきに乗り込んだ。
状況を確認するために、ぐるりと裏庭の方へと周り、厨房が見える位置へと飛んでいく。
「厨房が、真っ赤だよ……!」
窓から見える厨房の中は、全体が炎に包まれている。石造りの建物が幸いして、他の部屋にはまだ燃え移っていないようだが、それも時間の問題だ。
赤々と燃えている炎を目にしたメルヒオールは、ブルブルと震え出してしまう。
「ここまで火の粉は飛んでこないから、大丈夫だよ。井戸に人が集まっているみたいだから、状況を聞きに行こう!」
メルヒオールを安心させるために、ほうきの柄をなでる。彼は少し落ち着いたのか、井戸へとリズを運んでくれるようだ。
井戸の近くへと降り立ったリズは、「状況を教えて」と声を上げた。すると一人の男性が、大泣きしながらリズの前へとやってくる。
「いつも点検していたのに、消火魔法具が動かないのです! 俺のせいで、宮殿が……、申し訳ございません!」
どうやら彼が、消火魔法具の管理をしていたようだ。
「いや! 俺の火の始末に、問題があったのかもしれません!」
続いてリズの前に駆け寄ってきたのは、料理長だ。初期消火を試みようとしていたのか、服が焦げ、顔には煤がついている。
少なくともリズは、料理長が几帳面な性格であることは知っている。毎日のようにアレクシスの夜食を作るリズを見守り、その後の火の始末もきっちりおこなってくれる人だ。
魔法具についても、そうそう壊れるものでもない。日頃から点検していたのが事実なら、予期せぬ事態が起きたと思うしかない。
「あまり責任を感じないで。今は、みんなが無事だったことを喜ぼう。それより、消火魔法具は他にないの?」
「ただいま騎士団長殿が、隣の宮殿へ調達しに向かっておりますが、すんなり貸してくれるかどうか……」
そう教えてくれたのは、侍従長だ。彼が危惧しているのは、単に夜中という時間が問題ではないように思える。アレクシスやリズに理解がある者が魔法具を管理していれば良いが、そうでなければ……。
リズは不安になりながら、消火活動を見つめた。今は、井戸からバケツで一杯ずつ汲み上げて、手渡しで運んでいる状況だ。このペースでは、他の部屋へも燃え広がってしまうかもしれない。
「消火魔法具を待っている時間が、もったいないわ。私が、水を引っ張ってくるよ!」
「公女殿下……。何をなさるおつもりで……」
侍従長は不安げな表情で、リズを見つめた。侍従長だけではない。この場にいる使用人の誰もが、不安に満ちた表情を浮かべている。
そんな彼らを安心させるために、リズは満面に笑みを浮かべた。
「こうみえても、私は魔女だよ。多少は、魔法だって使えるんだから!」
次話は、日曜の夜に更新となります。





