56 お出かけ魔女5
「気のせいじゃないかな……」
リズはこのまま退散するつもりで一歩、足を後ろへと引いた。けれど、背中に細い棒が当たる。メルヒールが、邪魔をしているようだ。
(メルヒオールの、裏切り者~!)
メルヒオールは裏切ってなどいない。初めから『手紙を渡せ』と強く勧めていたのだから。
退路を塞がれ、なす術がなくなったリズの頬に、アレクシスの両手が延びてくる。
「明日からしばらく会えないに、リズは僕に隠し事をしたまま別れるつもりなのかな?」
「やえれ、あえくひふ!」
むにむにと頬を弄ばれ。リズは必死に抵抗するため首を左右に振ろうとしたが、アレクシスにがっちりとホールドされているので、びくともしない。
「それともお別れの前に、僕にこうされたかったのかな?」
「ばかっ……ちがっ……」
見当違いすぎる指摘を受け恥ずかしくなったリズは、両手を使ってアレクシスの手を解こうとする。必然的に、アレクシスの目に手紙が映りこんでしまう。
「リズ、その封筒は?」
リズは再び手紙を背中に隠そうとしたが、素早くアレクシスに手首を掴まれる。彼は覗き込むようにして、リズが持っている封筒を確認すると、これでもかというほど嬉しそうに微笑みながら、リズの手首を放した。
「『アレクシスへ』って書いてあるけど?」
姿勢を正してそう指摘したアレクシスは、完全に受け取るつもりの表情だ。これほど喜ばれてしまえば、渡さない訳にはいかない。リズは観念して、手紙をアレクシスの前へと差し出した。
「アレクシスが、留守番する私のために気晴らしを用意してくれたから、私も何かお礼がしたくて……。移動中の暇つぶしにでもと思って、書いたの……」
日頃の感謝を綴っただけの手紙だ。これが暇つぶしになるか疑問ではあるが、リズとしては気持ちを形にしてアレクシスへ渡したかったのだ。
「ありがとう」と言って受け取ったアレクシスは、愛おしそうに目を細めながら、封筒に書かれている自分の名前を指でなぞる。
「……今、読んじゃ駄目だよ」
「うん。リズに会えなくて、寂しくなったら読むね」
「それって、読まずに帰って来ちゃう可能性もあるんじゃ……?」
「大丈夫だよ。別れた途端に、寂しくなる予定だから」
アレクシスは今から寂しそうに、リズの頭をポンっとなでる。リズとしても、そんなアレクシスの気持ちはわからないでもない。明日からのアレクシスがいない日々を思うと、リズも寂しく感じられるから。
「早く帰ってきてね」
寂しさを打ち消すように、リズは微笑む。するとアレクシスは、別れを惜しむようにリズを抱きしめた。
「リズ、今日は一緒に寝ようか」
「……へ?」
「僕との別れが寂しくて、夜中にわざわざ会いにきてくれたんだろう? そんな妹を部屋に帰してしまったら、一人で泣いていないか心配で眠れないよ」
リズは別に、寂しいからこの時間に訪問したわけではない。手紙を渡そうか迷いに迷っていたら、こんな時間になってしまっただけだ。
「えっと……メルヒオールもいるし、大丈夫だよ?」
「メルヒオールなら、掃き掃除をしながら廊下の奥へと消えていったけど?」
「……え?」
リズは後ろを振り返ったが、すでにメルヒオールの姿はない。
こんな時間に、メルヒオールの掃除欲にスイッチが入ってしまったというのか。廊下の掃除など始めてしまったら、数時間は帰ってこないではないか。
アレクシスと一緒に寝るのが嫌なわけではないが、義理の兄妹という立場上、誤解を受けるような行動は避けなければならない。
リズがそんな心配をしている間にも、アレクシスは驚くほど自然にリズをベッドへと誘導し、あっという間に寝かされてしまう。
「アレクシス、手馴れてる……」
「邪推は止めてほしいな。女性をベッドへ連れ込むのは、リズが初めてだよ」
「つ……連れ込むって、言わないでよ」
妹愛が過剰なこの兄に限って、リズを傷つけるはずがない。わかってはいるが、異性と同じベッドで寝るのは前世を含めて初めてなので、リズは緊張してしまう。
そんなリズの気持ちを知ってか知らずか、アレクシスはまるで子守りでもするかのように、リズの頭をなではじめる。
「子守歌を歌ってあげようか。それとも絵本を読もうか?」
「もう……。私、そんな子供じゃないよ」
アレクシスにとって、リズの存在はどこまでも『可愛い妹』のようだ。アレクシスを異性として意識した自分を可笑しく思いながら、リズは瞳を閉じた。
「アレクシスの隣で寝たら、心地良い夢が見られそう」
「リズはどんな夢を見るのか、知りたいな」
「それなら、手を繋いで寝ようよ」
『手を繋いで寝た者同士は、同じ夢を見られる』この大陸では有名な俗信だ。リズも昔は、母と同じ夢が見たくて手を繋いで寝たものだ。一度も同じ夢を見られたことはないが、それでも満ち足りた安らぎを得られる、良い俗信だと思っている。
「うん」と短く返事をしたアレクシスは、リズの手を優しく握ってくれた。兄の安らぐ香りと体温を感じて、リズはすぐに寝息を立て始めた。
「……もう少し僕を、意識してくれても良いのに」
頬を突いても目覚める気配がない妹を観察しながら、アレクシスは不満げに呟いた。
別れを惜しんでくれるリズと離れたくなくて、アレクシスはつい勢いでリズをベッドへと連れ込んでしまった。
兄妹としての信頼関係を崩すつもりはなかったが、それでも自分を意識するリズを見たいという、願望はある。
けれど妙な雰囲気にならないよう努めた結果、リズは無防備な姿で気持ちよさそうに眠ってしまった。
残されたアレクシスだけが、胸の熱に耐えなければならないようだ。
明日は長時間の移動だというのに、完全に失敗した。免れない寝不足を予期しながらも、アレクシスは眠る時間が惜しくて、ひたすらリズを見つめ続けた。
翌朝、公宮を出発したアレクシスは、馬車の中ですぐさま昨夜の手紙を取り出した。
「アレクシス殿下、そちらはリゼット殿下からのお手紙ですか?」
「よくわかったね。リズがわざわざ、僕を想って書いてくれたんだ」
アレクシスは昨夜の照れたリズを思い出しながらそう答えると、ローラントは意味ありげな笑みを浮かべながら、懐から封筒を取り出した。
「奇遇ですね。俺もリゼット殿下から、心の籠ったお手紙を頂きました」
「へぇ……。リズは優しい子だから、護衛騎士への配慮も忘れなかったんだね。けれど、見てよ。僕への手紙には愛が詰まっているから、ローラントのとはこんなに厚さが違うよ」
「殿下は鬱陶しいくらいに、リゼット殿下のお世話をなさっておりますし。お優しいリゼット殿下は、配慮で枚数が増えてしまったのでしょう」
出発してそうそう、幼馴染二人は言い合いを始めてしまった。一緒に乗り合わせていた侍従は、居心地の悪さを感じながらポケットに手を当てる。
実は侍従も、リズから「アレクシスをよろしく」という趣旨の手紙をもらっていた。後でアレクシスにもお礼を言うつもりで持参してきたが、この手紙は絶対に見せてはいけないと、瞬時に察したところだ。
ローラントよりも手紙が厚いことに、ひとまずほっとしたアレクシスは、すぐにリズからの手紙を読み始めた。
決してローラントの前で開いて、枚数を自慢したいわけではない。幼馴染の言うとおり、配慮だけが目的の手紙なのか心配になったのだ。
けれどリズからの手紙は、アレクシスが心配するようなものではなかった。主な内容は、アレクシスがこれまでリズにしてきたことへの感謝だが、心の籠ったリズの素直な気持ちが綴られている。
頼もしい兄のおかげで、火あぶりに対する不安が消えたこと。
リズだけではなく、母や他の魔女も助けてくれる優しさが嬉しいこと。
アレクシスからの妹愛に対して、冷たく返してしまうことも多いが、実は嫌ではないこと。
恥ずかしがり屋なリズが、深夜まで渡すのを迷っていた理由がよくわかる内容だ。
「殿下。俺の前で、顔に出しすぎではございませんか」
「仕方ないだろう。心の籠った手紙をもらったのは、今までの人生で初めてなんだから」
アレクシスは幸せを噛みしめながら、瞳を閉じた。





