02 逃亡魔女2
そう提案するも、今のメルヒオールではこれが限界。上昇しようと試みるが、上下に揺れるだけの力しか残っていなかった。
元々は亡くなった祖母のほうきだった彼は、年季の入ったご老体。しかも運が悪いことに、今はこの地域の魔力が減少期に入ってしまったので、空気中からの魔力の吸収が困難な状態。
それに加えて、薬作りで魔力を消費してしまったリズからも、あまり力を貰えず。今は主従ともに、魔力がかつかつ状態。
申し訳なさげに、穂先をが垂れ下がるメルヒオールだが、騎士の様子を伺っているリズには見えていない。
(どうしよう。こんなに小刻みに動いていたら、メルヒオールがすぐに疲れちゃうよ……)
リズも、彼の事情は理解している。上空のほうが飛びやすいかと思い提案したが、その力も彼には残っていないようだ。
逃亡計画が足元から崩れ去るような感覚に襲われ、リズは背筋に寒気を感じる。
母の体調悪化は誤算だったけれど、小説の中でも騎士達が迎えにきた日のリズは、薬を作っていた。
薬作りはリズの仕事でもあるので、その部分については気にしていなかったが、まさか母のために作っていたとは思いもしなかった。
結局は前世の情報があっても、リズは逃げ延びられそうにない。何年もかけて、母と一緒に準備を整えてきたというのに、全てが無駄になりそうで悔しさがこみ上げてくる。
けれど、諦めるわけにはいかない。どうにかして、逃げ延びる方法はないだろうか。
必死に前世の情報を思い出していたリズだが、突然に身体が締め付けられる感覚に襲われ、ハッとする。
そして訳もわからないまま、リズの身体は後ろへと引っ張られ、その勢いで身体は空中へと放たれた。
「きゃ~~~!」
身体が宙に浮いたのは、一瞬だけのこと。メルヒオールなしでは空を飛べないリズは、受け身の体勢も取れないまま、ドサッと地面へと転がり落ちた。
「痛っ……!」
しかし、メルヒオールが高く飛んでいなかったことと、地面に草が生えていたこと。そして垂直落下ではなく、引っ張り落とされことで転がり、力を分散できたこと。それらが幸いして、骨が折れるような激痛は免れた。
とは言うものの、地面へ落ちた痛みそれなりにあり、骨は折れていなくとも打ち身で数日は痛いだろう。
呻きながらも状況を確認してみると、リズの身体には縄が巻き付いている。どうやら縄に絡めとられて、動物のごとく捕獲されてしまったようだ。
(ひどい……。仮にも私は、ヒロインなのに……)
あまりに粗雑な扱いに、リズは悲しくなってくる。小説の中では、それはそれはご丁寧な態度で、騎士団長がヒロインのもとへ迎えにきたのだから。
けれど、彼らの粗雑な態度にも一理あるかもしれない。
リズは騎士団の訪問を少しでも遅らせようとして、森にかなりの数の罠を仕掛けておいたのだから。
小説での訪問時刻は昼間だったにも関わらず、夜になってから到着した彼ら。相当、罠に手こずったことが伺える。村へ到着する前に、騎士道精神など置き去りにしてきたのだろう。
「手こずらせてくれたな、魔女」
リズの髪を鷲掴みにして、一人の青年が顔を確認してきた。
燃えるような赤い髪に水色の瞳をもつ彼は、二十三歳という若さで、ベルーリルム公国近衛騎士団長の座についた、カルステン・バルリング。
凛々しい顔立ちでヒロインを迎えにきた彼の挿絵は、多くの読者を虜にしたが、今のリズの目に映るカルステンは、盗賊が獲物を捕らえて喜んでいるような表情にしか見えない。
(そりゃそうよね……。縄で捕らえておいて、礼儀正しく「お迎えに上がりました」と微笑まれても、そっちのほうが怖いわ)
ちなみに小説の中のカルステンは、見目麗しいヒロインに一目惚れするが、そのくだりは完全に消え去ったようだ。
リズ自身も逃げようとしていたので、彼の愛など求めていないが。
リズの髪から手を離したカルステンは「宮殿へ連れて行け」と副団長に命令すると、リズへの興味を失ったようにこの場を後にした。
「魔女が暴れないよう、手足を縛っておけ!」
副団長もご立腹のようだ。拘束を命じたので、リズもおとなしく従うことにした。
(まだ、物語は始まったばかりよ。逃亡作戦は失敗したけれど、まだまだチャンスはあるわ)
相棒が気になり視線を移動させると、メルヒオールもまた、縄で縛り付けられているところだった。心なしか、彼はしょげているように見える。
「ごめんね、メルヒオール。疲れてしまったでしょう」
リズが声をかけると、メルヒオールは違うとばかりに柄の先を振り回す。
すると、メルヒオールに縄をかけていた騎士が、ほうきに掴みかかった。
「お前、動くな! 燃やされたいのか!」
「乱暴にしないで! そのほうきは、私の問いかけに応えただけですよ。言葉を話せなければ、あなただって身体を使うしかないでしょう?」
騎士をなだめるようにリズがにこりと微笑むと、騎士はハッとしたようにメルヒオールから手を離した。
騎士道精神を置き去りにしてきた者ばかりではなかったようで、リズも少し安心する。
「……暴れるつもりではないのなら、構いません。あの……、俺もこのほうきに乗れるのですか?」
「魔女としての修行を積んでいない者は、ほうきを自由に操ることはできません。けれどメルヒオールにお願いしたら、散歩くらいはさせてもらえますよ。あっ、メルヒオールというのは、そのほうきの名前ね。彼はもうおじいちゃんなので、労わってくれるとうれしいです」
魔女がほうきに乗っている姿を目にした人間が、必ずと言ってよいほど抱く感情。リズもこれまでの人生で、幾度となくかけられてきた質問だ。
魔女は悪魔の末裔として信じられており、人々から忌み嫌われる存在だが、ほうきのおかげでリズは、これまで一般人と交流する機会を得てきた。
「そうでしたか。メルヒオール殿、先ほどは大変失礼いたしました」
思いのほか誠実な性格のようで、騎士はメルヒオールに向けて頭をさげる。メルヒオールは『気にするな』とばかりに、若造の肩をほうきの柄でぽんぽんとなでた。
「メルヒオールは怒っていないみたいですよ。あなた、お名前は?」
「俺は、ローラント・バルリングと申します。先ほどは兄が、大変失礼を致しました」
(カルステンの弟さんね。彼は挿絵がなかったから、わからなかったわ)
兄よりも落ち着いた色合いの赤い髪と、兄より濃い青の瞳。兄よりも柔らかい顔立ちの彼は、小説ではあまり目立たないキャラだった。
ローラント自身もヒロインには好意を抱くも、兄からヒロインへの想いを打ち明けられたことで、自らの気持ちは断ち切り、兄の協力へ回る。
ヒロインとカルステンが、宮殿の庭でたびたび遭遇していた理由は、彼の協力によるものだったとリズは思い出した。
「ローラント様、素敵なお名前ですね。機会があればメルヒオールにお願いして、一緒に空の散歩でもしましょう」
「光栄です、魔女リズ様。あなたの名も素敵です」
はにかむように微笑んだローラントは、挿絵のカルステンよりも素敵だとリズは思った。
彼には挿絵すらなかったことが、悔やまれる。彼の挿絵もあれば、SNSは大いに盛り上がっただろうにと。
ローラントは、「では参りましょう」とリズを抱き上げた。
人生初めてのお姫様抱っこが、このイケメンの彼。心トキメキたいところだが、リズはげんなりと自分の手首を見つめる。
(罪人よろしく、手足を縛られたままでお姫様抱っこは無いよね……)





