26 新生活魔女5
リズが最優先で学ばなければならないのは、礼儀作法の他にもう一つ、ダンスがある。
夜会に縁がなかったリズにとって、こればかりは見様見真似で覚えることができなかった。
初めから覚える必要があるリズは、日々ダンスの練習に励んでいた。そして、ダンスを習い始めて早、十五日。
「今日のリズも、世界一可愛いね」
この間、リズの美容係の審査も同時におこなわれている。侍女達は、交互にリズの美容係を担当し、スキンケアから化粧や髪のセットに至るまで、美容に関する全てを主導する権限を与えられてた。それをアレクシスが、毎日審査するという方法らしい。
美容係については、アレクシスに丸投げしたので、リズは詳しい審査内容などは知らない。ただ、毎日のように『可愛い可愛い』ともてはやされるので、恥ずかしくなる。ダンスに集中していたリズだったが、突然アレクシスに褒められて、集中力が途切れてしまった。
「あっ。 ごめんっ、アレクシス!」
「大丈夫。今日は長く持ったね。偉いよ、リズ」
リズはうっかり、アレクシスの足を踏んでしまったが、アレクシスは表情を変えることなく、むしろリズを褒める。
そんなアレクシスの優しさを、リズは申し訳なく思っていた。
リズには、致命的な欠点がある。それは、ダンスが非常に下手だということ。下手と言っても、ダンスの才能がないわけではない。振り付けはすぐに覚えられたし、踊る姿は優雅だとバルリング伯爵夫人にも褒められた。
ただ、異常なほどパートナーの足を踏んでしまうのだ。
(これって絶対に、ヒロイン補正だよね……)
物語のヒロインはかなりの確率で、ダンスの際にパートナーの足を踏む。この小説のヒロインも、しっかりとヒーローの足を踏んでいた。
そんな設定を思い出していたリズは、再びアレクシスの足を踏みそうになる。それを無理やり回避しようとしたせいでバランスを崩し、リズはアレクシスの胸に抱きつく羽目になってしまった。
「わっ……! ごめん……」
「リズから抱きついてくれるなんて、嬉しいな」
「ちがっ……。これは不可抗力なの……」
このようなシチュエーションを作ってしまうのも、ヒロイン補正の影響だ。リズは、恨めしく思いながら『私のせいじゃない』と心の中でつぶやく。
「理由なんて、どうでもいいよ。僕に癒しを与えてくれて、ありがとう」
当然のように抱きしめようとしてくるアレクシスを、上手く交わしたリズは、再びダンスの姿勢に戻る。
「それより、アレクシスは忙しいんじゃないの? 毎日、練習に付き合ってくれなくてもいいのに……」
「リズが気にすることではないよ」
「でも私、上達が遅いし申し訳ないよ。練習ならローラントにお願いするから、アレクシスは仕事に戻って」
そろそろ練習相手を変えなければ、アレクシスの足が心配だ。それにリズの練習に付き合っているせいで、アレクシスが夜遅くまで執務室にいることを、リズは知っている。
練習相手の変更を提案すると、アレクシスは振り付けにはない動作で、リズの腰をグイっと引き寄せた。
「あっ……アレクシス……、倒れちゃう……」
リズに圧し掛かるようにして、アレクシスが前のめりになるので、リズは床に倒れてしまいそうなほど、不安定な体勢で腰を反らしている。
アレクシスは、そんなリズの身体を腕一本で軽々と支えながら、リズの顔をじっと覗き込んだ。
「リズは、僕よりもローラントと踊りたいのかな?」
「え……。そういうわけじゃないけど」
「それじゃ、僕の楽しみを奪わないでほしいな。妹に手取り足取り教えるのは、全世界にいるお兄ちゃんの夢なんだから」
(そんな夢、聞いたことないけど?)
疑問を感じている間にもアレクシスは、リズの腰を片腕で持ちあげてしまう。そしてまたも振り付けにない、ターンを描き始めた。
遠心力に耐えようとしたリズは、「きゃっ」と小さく悲鳴を上げながら、再びアレクシスの胸に抱きつく羽目になる。
大きく一回転したアレクシスは、満足そうに笑みを浮かべながら、リズを床に下ろした。
(今のは、なんなの……。力自慢……?)
夕食前にはローラントと一緒に、リゼットの庭へ散歩しに行くのも、日課になりつつある。ここでこっそりとリズとローラントは、ほうきに乗る練習をしていた。
リズのダンスはなかなか上達しないが、ローラントのほうはほぼ乗りこなせるようになっている。魔女ではないローラントは、足を少し浮かせる程度の高度にしかならないが、それでも彼は嬉しいらしく、飽きずにほうき乗りを楽しんでいた。
そんなローラントの様子を、ベンチに座りながら見守っていたリズは「はぁ……」とため息をついた。するとローラントは、すぐさまリズの前へとやってくる。
「申し訳ありません、リズ様! つい、ほうきに夢中になってしまいました」
ほうきから降りたローラントは、許しを請うようにリズの前にひざまずく。どうやら彼は、リズが飽きてため息をついたと、勘違いしているようだ。
「あっ、違うの。ローラントに対してじゃなくて、自分にため息をついていたの」
「ご自分にですか……?」
「うん。ローラントと同じ時期に練習を始めたのに、私はさっぱりダンスが上手くならなくて……。アレクシスの邪魔をしているようで、申し訳ないの」
悩みを打ち明けてみると、ローラントは慰めるようにリズの手を取った。
「公子殿下は、リス様とのお時間を大切にしておられます。決して、邪魔などと思ってはおられないでしょう」
「ダンスの練習相手変更を拒否されたから、そうかもしれない……。でもアレクシスが、深夜まで仕事をしているのは事実だよ……」
「殿下は元から、遅くまで執務をこなしておりましたので、リズ様のせいではございませんよ」
「そうなの……?」
(そういえばアレクシスと出会った日も、深夜だったのに私が乗った馬車を見つけてくれたよね)
あの時も仕事をしていたのだろうかと、リズが思い出していると、ローラントは「はい」と微笑む。
「それでもご心配なら、殿下のご好意を拒否されるよりも、労って差し上げるほうが喜ばれるかと思います」
「労う……。もしかして……、ローラントも『お兄ちゃん大好き』を私に言わせたいの?」
アレクシスがリズに『お兄ちゃん大好き』を望んでいることは、すでに周知の事実となってしまっている。リズが苦い表情を浮かべると、ローラントは小さく笑った。
「言葉で伝えずとも、行動でお示ししたらよろしいかと」
「行動ね……。それなら私にもできるかも」
アレクシスにはお世話になりっぱなしだが、リズはまだなにも返せていない。アレクシスが少しでも喜んでくれるなら、何かしてあげたいとリズは思った。
「ローラント、相談に乗ってくれてありがとう」
「少しでも、リズ様のお力になれたのでしたら幸いです。これからは、どのような些細なお悩みでも、どうか俺にご相談ください」
「うん。頼りにしているね」
嬉しそうに微笑んだローラントは、それからリズの手の甲に口づけた。これは忠誠を誓った騎士からの、敬愛の印。バルリング伯爵夫人からはそう学んだが、そのような貴族の習慣に慣れていないリズは、不覚にも頬が熱を持ってしまう。
そして「夫人の息子さんは、イケメンが過ぎますよ!」と心の中で苦情を述べた。





