21 闇夜の魔女5
リズの家の中は、薬に使う薬草やハーブが所狭しと、天井からぶら下がっている。家に入ってそれを見た途端、リズはとても懐かしい気分になった。
家を出てから一日ほどしか経っていないが、あの時は家へはもう帰れないかもしれないと思っていた。またこうして、家の匂いに包まれることが、この上なく幸せに感じられる。
「あっ、どうしよう。アレクシス用の椅子がないよ」
「椅子なら、そこにあるだろう?」
アレクシスに、テーブルの下にある簡素な椅子を指さされたが、リズは「でも、そんな椅子じゃ……」と考え込んだ。
母はベッドに座ったので椅子の数は足りるが、公子に座らせるには申し訳ないほどの簡素さ。
椅子の上にクッションでもと思ったが、リズの家には必要最低限のものしかない。クッションなどという、快適性を得るための物はないのだ。
「そんなに、気にしないで。リズの家は、懐かしい気分になれて居心地がいいよ」
アレクシスは勝手に椅子に座ると、本当に居心地が良さそうにテーブルの上に頬杖をつく。公子らしからぬ態度に、リズは首を傾げた。
「こういう家が、懐かしいの?」
「生まれた家が、こんな感じだったからね」
「え……、アレクシスは男爵家に生まれたんじゃないの?」
「男爵家といっても、領地が田舎の村一つだけで、庶民と変わらない生活だったよ」
アレクシスは真綿に包まれて育ったかのように、顔も、髪も、肌も、全身が美しく磨かれていて、田舎生まれの雰囲気など欠片ほどもない。
話し方も穏やかで、一つ一つの動作に気品があり、生まれながらの貴族そのものに見えたが。
「そうは見えなかったよ」
「そう? 農作業とか得意だから、魔女の村でお手伝いでもしようかな」
「アレクシスが手伝ったら、みんなが恐縮しちゃうよ」
突拍子もない提案をアレクシスがするので、リズはお茶の準備をしながらも、可笑しくて笑い出した。
そんな娘と公子のやり取りを見ていた母は、少し表情を和らげる。
「短い期間に、随分と公子様と仲良くなったのね」
「あ……。アレクシスは、魔女に対して偏見を持たずに接してくれるの」
母に指摘されて、リズは自分が思っていたよりも、アレクシスに気を許していたことに気がついた。
公宮でひどい目に遭わないために、周りの人と上手く接したいとは思っていたが、アレクシスのペースに呑まれたせいか、それを飛び越えた仲になってしまった気がする。
リズは、ボーイフレンドを初めて家に招いたような、気恥ずかしさを感じた。
三人でハーブティーを飲みながら、リズはこれまでの経緯を母に話すことにした。それを話すには、まずはアレクシスが小説について知っていることを、打ち明けたほうが早い。
その事実を話すと、母はとても驚いたようだ。
リズにとって前世の記憶は、この運命に抗うための切り札でもある。今まで、母とメルヒオールしか知らなかった前世を、アレクシスに話したということは、それだけ信頼できる相手であると、母は判断したようだ。
リズから全ての話を聞き終えた母は、心配するようにアレクシスへと視線を向ける。
「公子様は、リズの運命を変えてくださるおつもりのようですが、具体的な案はおありなのでしょうか」
「リズは、『魔女だから火あぶりになる』と危惧しているので、その不安を取り除けたらと考えています」
「そんなこと、できるの……?」
魔女に対する印象を変えるのは、とても大変なことだ。侍女達のように、話せば考えを変えてくれる者もいるが、婚約式で前世を映す鏡を使う際は、不特定多数の貴族がいる。その者達が上げるであろう非難の声に、果たして説得が通じるだろうか。
「そんなこと、できるの……?」とリズが疑問を口にすると、アレクシスはにこりと微笑む。
「要は、火あぶりにならないだけの地位を得れば良いんだよ。リズは公女になるんだから、簡単だろう?」
「でも……、小説のヒロインは名ばかりの公女で、公女としての扱いは受けていなかったよ……」
「それは、リズ次第さ。リズがこの国にとって必要な存在であると証明できれば、公国が火あぶりなんて許すはずがない」
「国にとって必要って……、今まで必要とされてこなかったのに、そんな証明できるとは思えないよ……」
アレクシスの意見はわからないでもないが、国中から忌み嫌われている魔女を必要と感じさせるなんてこと、リズには考えつかない。
「それについては、僕に策がある」
アレクシスは、なにやら自身がある様子。リズと母は、お互いに疑問を共有するように顔を見合わせてから、アレクシスに視線を戻した。
「策って、どんな?」
「リズは確か、魔女の万能薬作りを二年前から一人でやっていると言っていたよね」
「うん。お母さんの仕事を受け継いで、二年前から私が作ってるよ」
「医者に聞いたんだけど、それまでは万能薬の供給量が不安定だったとか」
この質問は、リズの母に向けてのようで、アレクシスはリズの母に視線を移動させる。
「はい、公子様。私は身体が弱いもので、長時間に渡って魔力を消費して作る薬は、負担が大きいのです」
思ったとおりの回答を得られたのか、アレクシスは微笑みながらうなずく。
「つまり、魔女の万能薬は、あなた方親子にしか作れないのでは?」
(やっぱりアレクシスって、鋭い……)
「実はそうなの。魔女の家にはそれぞれ秘術があって、我が家の秘術は『魔女の万能薬のレシピ』なの。私はもう作れそうにないから、お母さんはレシピを他の家に譲渡しようと思っているんだぁ」
ほとんどの場合、家を継ぐ者がいなければ一族とともに秘術も消滅してしまう。しかし、魔女の万能薬は消滅させるには惜しい逸品であり、譲渡を願う家も多いし、リズの母もそのつもりでいた。
「その譲渡、ひとまず保留にしていてだけませんか」
「どうして……? 万能薬を作らなければ、この国の人達が困るでしょう?」
役に立っているのか実感できないまま、リズの一族は代々に渡り薬を作り続けてきたが、リズは自分の耳ではっきりと医者から感謝の言葉を聞いた。少なくとも、貴族の間では重宝されているのは間違いない。
「それが狙いだよ。万能薬の供給が滞り、それを作れるのはリズだけだったと知れば、否が応でも公国はリズを支持するしかないからね」
「もしかして……、アレクシス。万能薬を、人質にするつもり?」
それに対しては明言を避け、アレクシスは穏やかに微笑んだ。
「策としては良さそうだけれど、私のためにみんなが困るのは嫌だよ……」
万能薬を必要とする人達は、それなりに緊急を要しているはず。そういった人々の犠牲によって、自分の命が保証されるのは本意ではない。リズは困ったように母へ視線を向けるが、母の顔は決意に満ちているようだった。
「公子様のご提案どおりにしましょう。元々、二年前までは薬を作れない月もあったもの。多少の期間、薬作りを止めてもさほど影響はないと思うわ」
「僕としても、本当に必要としている人への供給は、止めたくないと思っているよ。大切なのは、商会から公宮への納品が滞るという、帳簿上の証拠さ。医者には不足しないよう、こちら側で渡せばいい」
(これほど具体的に、アレクシスが考えてくれているとは思わなかった……)
妹を可愛がりたいだけのように見えていたが、アレクシスは本当に運命を変えてくれようとしている。
アレクシスを本当に信用して良いのか、リズの心には不安が残っていたが。その不安を払拭するには、十分な提案だ。
「でも、それだけで公王陛下は、私を認めてくれるかな……」
貴族の支持は得られたとしても、それは単に万能薬欲しさのうわべだけの支持。公王にも認められなければ、火あぶり回避は難しいのでは。
「公王は、生まれに対して偏見がないんだ。僕っていう、前例があるだろう?」
(あっ……。だからさっき、生まれの話をしてくれたのかな)
結界を開いた時もそうだ。生まれによって差別されないと、アレクシスは言いたかったのではないだろうか。
「それに魔女はもっと、認められて感謝されても良いくらいなんだよ。リズは知らなかったようだけれど、万能薬のおかげで大勢の人が助かっているんだ。リズが認められれば、魔女への風当たりが弱まるはずだ」
「本当に……? 私の行動で、魔女への印象も変えられるの?」
「うん、僕が保証するよ。だから、一緒にがんばろう?」
今まで、どう逃げ延びるかばかり考えていたリズは、自分の行動によって母や他の魔女達の運命まで良い方向へ返られるとは、考えもしていなかった。
「そういうことなら、私もがんばりたい……! よろしくおねがいます、アレクシス!」
リズは立ち上がってアレクシスに礼をしたが、アレクシスは不満そうに「う~ん」と漏らす。
「ここは『お兄ちゃん、大好き!』って抱きつく場面じゃない?」
両手を広げてにこりと催促するアレクシス。母はそんな様子を見て、クスクスと笑い出す。
いくら感謝していようが、このような状況で抱きつけるはずがない。
リズは「アレクシスのバカ……」と呟きながら、着席した。
ストックが切れたので、次話は日曜日の夜の更新となります。





