114 鏡の中の聖女5
「リズ……。僕達は、前世から繋がっていたんだね」
『鏡の中の聖女』を全巻読破しているアレクシスは、リズとフェリクスの関係に嫉妬し心配が尽きなかった。リズ自身も気が付いていない心の奥底には、アレクシスでは超えられない絆が二人にはあるのではないかと。
けれど少なくとも、前世のリズはアレクシスを選んでいた。それがペットと飼主という関係でも構わない。前世からの繋がりがあるという事実が、自分とリズの間にもあったことが嬉しかった。
「ふふ。アレクシスはすぐ泣くんだから」
そう思っているのは、世界中を探してもリズひとりだけだ。
アレクシスが泣きたいほど嬉しい気持ちにさせてくれるのは、リズ以外にいないのだから。
「泣きたくもなるよ。当て馬のはずの僕が、リズと一緒に前世を映す鏡に映ることができたんだから」
「うん。アレクシスは本当は、当て馬なんかじゃなかったんだよ。私のヒーローは、アレクシスだったんだね」
『鏡の中の聖女』は一体いつごろから、フェリクスによって捻じ曲げられていたのだろうか。リズにそれを知る術はないけれど、フェリクスに打ち勝って本当の相手と出会えたことだけでも幸せだ。
事情を話せば、フェリクスならリズを火あぶりにはしないと感じた時点で、リズはストーリーに身を委ねることも可能だった。
それでもヒーローに違和感を覚え、結婚したくないと思うようになったリズは、無意識のうちに『彼は本当のヒーローではない』と感じていたのかもしれない。
「僕にとっては初めから、リズだけが僕のヒロインだったよ。僕の心を優しく温めてくれて、勇気を持つ力を与えてくれたのはリズだから」
アレクシスの原動力は、ひたすらリズだ。今となっては、リズと出会うまではどうやって動いていたのかも、よく思い出せない。
「リズ。これからは僕だけのヒロインになってほしい。『鏡の中の聖女』のリズではなく、僕の妻として隣にいてほしいんだ。当て馬なんて存在しない、僕達二人だけの物語のヒロインになってくれないかな?」
「うん。私も、アレクシスと二人だけの物語を紡ぎたい」
これからは誰にも邪魔されることなく、アレクシスと穏やかに幸せな日々を過ごしたい。
生まれ代わってからずっと、火あぶりを回避することだけ考えてきたリズにもやっと、幸せになることだけに専念できる日が来たのだ。
アレクシスが幸せそうな顔でいると、リズまで嬉しくて涙が溢れてくる。二人で瞳を潤ませながら微笑み合った。
「リズ。今すぐにでも婚約式を挙げようか。誰かに邪魔される前に、リズを完全に独り占めしたい」
アレクシスに温かく抱きしめられて、彼の心地よい香りに包まれる。リズはこれ以上ないほど幸せな気分で、彼に身を預けた。
「私もアレクシスに独り占めされたい」
前世を映す鏡に映ることができた二人にはもう、障害となるものは何も無い。こればかりは、法律を作ったフェリクスに感謝しなければ。
その日、大神殿では前代未聞の婚約式がおこなわれた。
公王代理として決定権を与えられていたアレクシスは、あろうことか自分達の婚約を勝手に決めてしまったのだ。
「こんなこともあるかと思って、印章も借りておいて良かったよ」
嬉しそうに満面に笑みをたたえながら書類に印章を押した際のアレクシスを、リズは一生忘れないだろう。
これだけの無茶ぶりを見せながらも悪びれもせず、幸せいっぱいな彼の表情が実に可愛かったから。
小説では決して見ることのなかった、彼の幸せな場面。これからはリズとアレクシスだけの物語の中で、たくさん見ることができるはず。これまでの兄妹としての幸せではなく、愛し合う男女としての幸せを。
ちなみにリズは、その場でバルリング家の養女となった。アレクシスは公王代理だけではなく、カルステンに当主代理と印章の用意までさせていたらしい。
「まさか、このようなことに使うとは……」
養女を迎えるための書類に印章を押しながら、カルステンは呆れたようにこぼした。
「カルステン。勝手に私を養女にしちゃって大丈夫……?」
さすがに、他の家にまで迷惑をかけるのは申し訳ない。リズは心配しながら尋ねたが、カルステンとローラントは受け入れるように交互にリズの頭をなでた。
「問題ございません。時が来たら公女殿下をお預かりしたいと、両親とも話し合っておりましたので」
「邸宅では今頃、リゼット殿下をお迎えするための大改造をしていることでしょう」
どうやらバルリング家は、リズを迎えることを楽しみにしてくれているようだ。過保護な家族がまた増えそうな予感がする。
「リズ。僕はこれから一生をかけて、リズを幸せにすると誓うよ」
大神殿の祭壇にて神に報告のお祈りをした際、アレクシスはリズの隣でそう囁いた。
「ふふ。アレクシスったら気が早いよ。それは結婚式で誓う言葉でしょう?」
「早くなんかないよ。僕は今すぐにでもリズを幸せにしたいんだから。その宣言だと思って受け取ってよ」
「そんな宣言しなくても、アレクシスはずっと前から私を幸せにしていると思うよ。アレクシスと出会って私を助けてくれると宣言してくれたおかげで、私の毎日は安心できるものに変わったんだから」
彼の言葉を信じ切れていなかったリズを説得してまで、アレクシスは一緒に火あぶり回避することを誓ってくれた。
アレクシスが守ってくれるおかげでリズは、魔女を侮辱する者達に一人で立ち向かう必要がなくなったのだ。
「僕もリズと出会ってから、毎日が幸せに満ちているよ」
リズという守るべき存在ができたおかげで、無意味に思えたアレクシスの人生が意味のあるものへと変わった。
リズを守り、幸せにすることこそ、アレクシスの幸せなのだ。
「それじゃ、訂正。僕はこれからも、リズを幸せにし続けるよ」
「うん。私も、アレクシスを幸せにし続けるね」
その誓いは、二人にしか聞こえない小さなものだった。けれど、仲睦まじく祭壇で見つめ合っている二人の様子は、参列者の目にも印象的に映ったようだ。
聖女は、真の伴侶と出会った。
国民に広く知られた物語の結末は、後にそう締めくくられるようになる。