110 鏡の中の聖女1
翌日。白いドレスに身を包んだリズは、大神殿の控え室にてフェリクスとの対面を果たしていた。
彼も今日は、白い正装をまとっている。挿絵で見た時は、身もだえるほどカッコイイと思っていたが、今はそのような感情は欠片も沸いてこない。
「約束は、守ってくれないんですよね……」
「すまないな。そなたが聖女の魂でないと証明できるならば、開放してやれるのだが」
リズの魂は紛れもなく聖女のもの。そのような証明などできるはずがない。
リズが口を噤むと、フェリクスは悲しそうな表情でリズの顔を覗き込んできた。
「今日くらいは、俺にも笑顔を見せてはくれないか。そなたにとっては苦痛かもしれないが、俺にとっては聖女の魂との大切な儀式なんだ」
フェリクスの気持ちを考えると、心が痛まないわけではない。彼はひたすら聖女の魂を愛しており、何世にも渡って彼女達と恋をしてきた。
リズに嫌われたら、フェリクスは落ち込み悲しむ。それは理解しているが、今のリズの心はリズだけのものであり、誰を好きになるかはリズの自由なはずだ。
「フェリクスが私を笑顔にさせる方法は、一つだけ…………っ!」
そう返事をした瞬間、リズの視界はぐらりと揺れた。神聖力と魔力のバランスが乱れたようだ。
フラッと倒れそうになったリズを、フェリクスはしっかりと抱きとめた。
「笑顔にはできないようだが、そなたには俺が必要だ。今はそれだけで我慢しよう。そなたが俺に身を委ねているというだけでも、気分が良い」
抱きしめられたフェリクスの腕から温かさが伝わってきて、眩暈と気持ち悪さが解消されていく。
しかしリズの心は晴れない。フェリクスに頼らなければならないこの状況が、苦痛で仕方なかった。
「ありがとうございます……。そろそろ式が始まりますよ。早く行きましょう」
リズは両腕を突き出して、無理やりフェリクスから離れた。
大神殿の儀式場には、急きょ集まったとは思えないほど大勢の貴族達が参列していた。
祭壇には、挿絵で見たのと同じ巨大な鏡。その横には昨日、リズの状態を説明してくれた神官が立っていた。王太子の婚約式を任されるということは、地位の高い神官のようだ。
大神殿で婚約式をおこなう場合の流れは、前世を映す鏡で調べてから、再度お互いの意思を確認し、それから婚約式がおこなわれる。
一般の国民が、鏡に前世の姿が映ることは稀だが、婚約式前の余興のようなものとして国民には親しまれている。
「鏡に映ったものを真実として受け止めることを、誓いますか」
神官に問われて、リズとフェリクスはそれぞれ「誓います」と宣言した。
「それでは、鏡の前に立とうか」
フェリクスは甘い表情で、リズに微笑みかけた。彼にとっては待ちに待った瞬間なのだろう。
彼にエスコートされて、鏡の前へと立ったリズ。大きく深呼吸してから、鏡を見上げた。
しかし当然のことながら、鏡には何の反応も見られない。
そのことに驚いたのは、本人たちよりも参列者のほうだった。
「鏡が反応しないぞ! どういうことだ?」
「公女殿下は聖女の魂をお持ちではないの?」
「聖女の力は発現したじゃないか!」
フェリクスはその声を聞きながら、冷たい笑みをリズへと向けた。
「まさか、本当に映らないとはな。予防線を張っておいて良かった」
「えっ……」
リズはそれを聞いて、ドキリと心臓が跳ねた。
昨夜のダンスの時にフェリクスが言っていた「法律は重視させてもらう」という言葉と、今の発言が通じたように思えたのだ。
そして法律を盾に、リズと結婚する方法は。
「……まさか。フェリクスが、聖女の力を発現させたんですか?」
「証拠でもあるのか?」
「それは……」
証拠などない。しかし、ストーリーを元に戻そうとしたり、自分に都合の良い展開にできる人など、フェリクス以外に考えられない。
リズはいつも、彼の手のひらの上で転がされている気分だ。
「皆、静粛に」
フェリクスは参列者へと身体を向けると、よく通る声で貴族達を静めた。
「これには、事情がある。前世の彼女は若くして亡くなっており、俺は国を安定させるために後を追うことができなかった。おそらくその間に彼女は、どこかに転生してしまったのだろう。しかし神は、俺達を引き離そうとはなさらなかった。聖女の力を発現させることで、リゼットが聖女の魂であることを証明してくださったのだ」
転生についてはフェリクスの推測どおりだが、後半は都合の良いこじつけだとリズは思った。
(そもそも、私が日本に転生したのは……)
リズは何かを思い出せそうな気がしたが、それは空中分解するように消えてしまった。大切なことだった気がするのに、よく思い出せない。
「――よって、リゼットを聖女の魂と認め、予定どおり婚約式を執り行う」
フェリクスはそう結論づけると、続けて婚約式をおこなうよう神官に指示を出した。それからリズを連れて、フェリクスは鏡の前から移動しようとしたが。
その時、儀式場にアレクシスの声が響き渡った。
「お待ちください。ベルーリルム公国は、この婚約の破棄を申し立てます!」