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虚しさを走り抜けて  作者: 伊豆本 菫
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はじまり

雲一つない綺麗な澄み切った青と、墓石に刻まれた空の文字が美しく映えている。

一筋の煙がどこまでも続く青を横切り、まるで飛行機雲のように後を残して消えていく。

お線香の香りが、とても心地よく私の涙を撫でてくれた。

墓標に刻まれた、もうこの世にはいない男の名前を、私はただただ涙に濡れた手でなぞる。

思い出を、洗い流すように。


2020年10月14日。私の6年に及ぶ不倫劇が終わった。

渡瀬雄一郎の死によって。


この物語は、20代のすべてを不倫に走り抜けた私の回顧録である。

自分を肯定するつもりは微塵もない。

批判されてしかるべき。

どんな罵詈雑言を投げつけられても仕方がない。

それでも、私は書く。虚しさの中を走り続け、幸せになり損ねた女の20代を。



<出会い>

21歳。私は地方の中都市の公立大学に通う、田舎の大学生だった。

実家はさらに田舎で、大学進学とともに実家を出て一人暮らしをしていた。

実家が土地持ちであるため、経済的には何不自由なく、むしろ十分すぎるくらいの仕送りをしてもらっていた。アルバイトは、フィットネスジムの受付と家庭教師で週3日ほど働いていた。

お金には全く困っていなかった。

地方の大学生のくせに、生意気なほど余裕のある生活をしていた。

地元で実家から大学に通っている同級生たちの目には異色に映っただろう。

私には、友達が少なかった。


そんな私にも、数少ない友達と呼べる人が4人できた。

そのうちの1人は大親友となった。

大学に馴染めない外れ者同士が、奇跡のような化学反応を起こし、私の大学生活を色鮮やかに彩ってくれた。この4人とは、31歳になった今でも固い絆で結ばれている。


大親友の優香が、その街で1番の老舗クラブで働いていたことをきっかけに、私もそのクラブでホステスとして働くことにした。ただの好奇心だった。


2012年3月上旬の月曜日、私はクラブ紅梅で舞という名でホステスを始めた。

紅梅のオーナーの寺岡さんは、お父さんからお店を引き継いだ2代目だ。

実を言うと、優香が付き合っていて、それで私も安心して入店した。

「ホステスは女性として大事なことがすべて詰まった素敵な仕事だよ」

開店前に寺岡さんにホステスとしての作法を一通り教えてもらい、

初日だから席に優香も一緒についてくれるとのことだったので、とても安心してホステスの第一歩を踏み出した。


クラブ紅梅は、その街で50年以上続いている老舗だ。

客層は中小企業の社長や大手企業の支社長などがほとんどで、街で1番の高級クラブとして知られている。

「すみちゃんは絶対水商売合っていると思う。」優香は私にそう言った。

結果的に、優香の言うとおりだった。私は水を得た魚のように、ホステスの仕事が楽しくて仕方なかった。水が合っていたのである。

優香はとても頭の良い女の子だ。同級生とは思えないくらい見た目も中身も大人びていた。

すぐ気が合った。多くの言葉を交わさずとも、お互いの気持ちがなんとなく分かった。

優香は洞察力に優れ、いつも的確な言葉をくれる。


開店時間となり、同伴のホステスのお姉さんたちが続々とやって来た。

みんな綺麗だった。

田舎から出てきた私にとっては、見るものすべてが新鮮だった。


店内は予約のテーブル席をひとつ残し、お客さんでいっぱいになった。

私も今日初めての女の子として各テーブルにつかせてもらった。

皆さんとても優しくしてくれて、いいお店だな、と感じた。


22時頃に1名来店した。予約のお客さんだった。私は優香と一緒に席についた。

徹さんは隣町でバーを経営しているバーテンダーだ。

バーが定休日の月曜日しか飲みに出ない。

かっこいい人だった。趣味のサーフィンで真っ黒に日焼けしていた。

すぐに意気投合して、名刺をもらった。

「今度お店に行きますね!」

「うん、是非おいで。美味しいお酒を紹介するよ。」

連絡先を交換し、徹さんが私の初めてのお客さんとなった。

以来10年以上、今でも徹さんのお店に遊びに行っている。

1時間ほど経った頃、徹さんと待ち合わせしていたお客が来店した。

「徹さんごめんなさい、会議が長引きまして大分遅れてしまいました。」

色の白い、精悍な人が申し訳なさそうに、少しだけヘラヘラしながら私の斜め向かいに座った。

「渡瀬さん、待ちましたよ。でも初々しくて可愛い子と楽しめたから逆に良かったです。」

「徹さん相変わらずモテますね。君、今日が初めてなの?初めてのお客さんが徹さんとはなかなか持ってるね。名前は?」

「す…あ、えっと、舞です。舞うという字でマイです。」

本名の菫と言いそうになって少し焦った。

これが、私と渡瀬雄一郎との出会いである。

まさか、ここから長い付き合いになると誰が予想しただろうか。

優香も、寺岡さんも、徹さんも、もちろん私も誰も想像しえなかった。

20代を捧げることになるとは、夢にも思わなかったのである。

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