6章 2話 前兆
「――眠れないな」
ベッドに体を横たえ、ぽつりと景一郎はつぶやいた。
「明日の攻略で……あいつらが死ぬかもしれない」
――すでにオリジンゲートは明日に迫っている。
大切な人たちの命運が決まる戦い。
そこに一切の疲労を残さないために早く休んだ――はずだったのだが。
(……それに関しては、俺も含めてだけどな)
景一郎は大きく息を吐いた。
なにも死を宣告されているのは【聖剣】だけではない。
天眼来見の予知が正しいと仮定すると、景一郎にも死の可能性がつきまとう。
(あれ以来、天眼来見との連絡も取れていない。未来予知に変化があったのか知りたかったんだけどな)
景一郎に未来の悲劇を伝えた少女――天眼来見。
未来を見通すことのできる彼女とは最初に会って以来連絡が取れていない。
それが偶然なのか意図的なのかは分からない。
だが景一郎としては、やはり未来になんらかの変化が起きていないのかを聞きたかったところだ。
「いやー―気にすることじゃないだろ。そもそもダンジョンはいつだって死と隣り合わせなんだ。ミスが許されないのはいつものことだ」
彼は頭を振って思い直す。
未来予知に振り回される必要はない。
いつだって最悪の可能性というものはある。
何が最善か分からない以上、できることをやるしかない。
それはいつものことなのだ。
(って、分かってはいるんだけどな)
とはいえ、理屈で抑え込めるほど簡単な問題ではない。
そんな胃の痛くなるような問題のせいで眠れないまま今に至っていた。
「――喉が渇いてきたな」
とりあえず、彼は一度身を起こすことにした。
☆
景一郎は階段を下りる。
ここは魔都に桐生院ジェシカが用意した拠点だ。
メンバー全員に個室が設けられており、その広さはちょっとした旅館くらいの規模となっていた。
「――――」
冒険者ということもあり、景一郎は夜目が利く。
ゆえに彼は夜中の暗がりを音もなく歩いてゆく。
彼は迷うことなく【面影】の共用スペースにたどりついていた。
そのまま彼は台所へと向かったのだが――
「グリゼルダか?」
――そこには先客がいた。
明かりのない部屋でも分かるほど美しい金色の髪を揺らす女性。
女性――グリゼルダ・ローザイアは寝間着姿でそこにいた。
「……?」
グリゼルダが振り返る。
彼女の手にあるのはワイングラス。
どうやら晩酌をしていたらしい。
本来なら大一番を前に飲酒というのはどうかと思う。
とはいえ、彼女が酒に酔う姿を見た記憶はない。
そのあたりは自制しているのだろう。
だとしたら景一郎としても口を挟むわけにはいかない。
少なくとも、妙に入れ込みすぎているよりはマシだ。
「ああ――影浦か」
「え?」
景一郎は声を漏らした。
グリゼルダはいつも景一郎を『ご主人様』と呼ぶ。
しかし今――
「どうしたのだ? 明日に備えて早く眠るのではなかったのか?」
だが、グリゼルダが続けた言葉に彼の思考は中断された。
彼女は特に変わった様子もなくグラスを軽く揺らしている。
――景一郎が神経質になってしまっていただけなのだろうか。
「それはまあ……言うは易しってやつだった」
景一郎は肩をすくめた。
横になっていたおかげで体の疲労はある程度抜けている。
だが精神的にはどうにも余裕がない。
「遠足を前にした子供といったところなのだな」
「……あまり楽しみじゃないけどな」
――予知の件については【面影】にも話していない。
理由はいくつかあるが、最大の理由は『景一郎以外の【面影】は生存が確認されている』点だ。
天眼来見が予知したのは『景一郎と【聖剣】の不在』だけ。
無傷かはともかく、【面影】のメンバーが生存していることは予知で確定している。
そこでもし景一郎が【聖剣】を救うために【面影】を頼ってしまえば――生きられるはずの仲間を死に追いやってしまうかもしれない。
だから未来を変えるために奔走するのは、すでに死を暗示されている自分だけで良い。
そう判断したのだ。
(とはいえ――予知の件さえなければ、1人の冒険者として思うところはあっただろうけど)
なにせ、自分が世界初のオリジンゲート攻略者になるかもしれないのだ。
そこに名誉を感じないようなら最初から冒険者になっていない。
幼馴染の死という未来を聞かされていなければ、前人未踏の偉業に心躍らせていたことだろう。
「というか、それはグリゼルダにも言えることだろ。明日になって寝不足とかはやめて欲しいんだけど」
「分かっておる」
グリゼルダは特に気にした様子もなくグラスに残っていたワインを飲み干す。
彼女の美貌もあいまって、その姿は絵になるほどに美しいものだった。
「なに……我も、似たような心情でな」
ふとグリゼルダがこぼした言葉。
その意味が分からず景一郎は首を傾げた。
とはいえさっきの言葉は彼に聞かせるつもりで発した様子はなかった。
本当に、ただこぼれ落ちてしまっただけのように思える。
だから彼女がその真意を明かすことはないのだろう。
そう思っていると――彼女と目が合った。
「……目的が叶いそうでありながら純粋に喜べてはおらぬということだ」
ぽつりと彼女はそう補足する。
すると、すぐに彼女は目を他へと向けてしまう。
これ以上話すつもりはないという意思表示だろう。
「まあよい」
グリゼルダは空になったグラスを手に、彼に背を向けた。
「我はもう眠るとする」
「ああ」
その場を立ち去るグリゼルダに景一郎はそう声をかけた。
彼女はそのまま歩き出し――足を止める。
「……ご主人様も、疲れを残さぬよう早く休むのだぞ」
そう言うと、彼女は首だけで振り返る。
「そんな理由で不覚を取ったりしたのなら、死んでも死にきれぬだろう?」
グリゼルダに表情はない。
景一郎を心配しているようにも、茶化しているようにも見えない。
とはいえ何も思っていないようにも見えない。
ただ彼には彼女の心の奥底が見透かせていないだけ。
そんな気がした。
「悪いけど。どんな理由があっても、死んでも死にきれそうにないな」
(あいつらの命と引き換えなら――なんて言っても、怒られるだけだろうし)
子供のころから一緒にいた大切な幼馴染。
正直、彼女たちを助けるためになら己の身を犠牲にしても――という気持ちはある。
だが彼女たちがそれを望まないことも明白なわけで。
「攻略の結果がどうであれ、全員で帰る。そのつもりだ」
なら、全員で帰るしかないのだろう。
自己犠牲ではなく、自分も護ったうえで大切な人も取りこぼさない。
随分と無茶な決意だが、成し遂げるしかない。
その先にしかハッピーエンドは存在しない。
「それじゃ、俺もすぐに部屋に戻る。明日はよろしくな、グリゼルダ」
「うぬ」
話が終わると、再びグリゼルダは歩き出す。
彼女はそのまま階段へと向かっていき――
「全員で帰る――か。その中に、我は入っておらぬのだろう?」
グリゼルダの声は、景一郎に届かなかった。
不穏な気配を残しつつも、物語は運命の日へ――




