6章 プロローグ 【黒閃】
「新Sランク冒険者――【黒閃】影浦景一郎……」
景一郎は手元の紙に描かれた文字を読み上げた。
しかしそこに一切の感情はない。
――まったく感情が追いついていないのだ。
「これはSランク昇格内定通知ですね」
例の書類を持ってきた女性――棘ナツメがすました顔でそう答える。
今の彼女は冷泉明乃のメイドだ。
しかし以前の彼女は政府からの依頼を受けることもある凄腕の冒険者だったという。
だからこそ、景一郎へ通達を渡す役割を任されたのだろう。
「内定通知――なんてあったか……? 紅たちの時はそんなのなかった気がするんだけどな」
鋼紅。
糸見菊理。
忍足雪子。
最低でも、景一郎にはSランク冒険者の知り合いが3人いる。
だが、内定通知など聞いたこともなかった。
「おそらく今回の措置には特殊な事情があるからでしょう」
「?」
ナツメの言葉に首をひねる。
そもそもSランク冒険者そのものが特殊だ。
さらに特殊な事情といわれてもピンとこない。
「単純な話です。影浦様は、日本が世界に誇る最強のパーティを倒しました。そんな冒険者がAランクというのは格好がつきませんから」
「なるほど……」
第1次オリジンゲート攻略戦のメンバーを選抜するための戦い。
そこで景一郎は紅を倒した。
少なくとも、数十人の冒険者が見ている前で。
しかも紅はただのSランクではない。
日本最強だ。
そんな彼女に勝てた冒険者がAランクというのは体裁が悪いのだろう。
だから景一郎をSランクにしてしまうことにした。
「ですが、Sランクは『国家に多大な貢献をした冒険者』に与えられる称号です。世間のイメージとしては、単純にAランクよりも強い冒険者くらいにしか思われていませんが」
Aランク冒険者までなら試験を合格すれば昇格できる。
しかしSランクだけは国家からの認定が必要となるのだ。
言い換えれば、国家に認められるだけの実績が必要なのだ。
【聖剣】の3人が関東地方で同時発生したスタンピードダンジョンをクリアすることで国民の生活圏を守ったように。
「とはいえ影浦様にはそう言った偉業がございません。だから、今回のオリジンゲート攻略の功績を使って影浦様をSランクにする予定のようですね」
そして、それが景一郎にはない。
だが、ちょうど良くオリジンゲートに潜る予定がある。
世界に現れた最初のダンジョンをクリア――偉業と呼ぶには充分だろう。
「だからあくまで今は内定――現時点での扱いはAランクというわけか」
Sランク冒険者になることは確定。
だが、その理由付けができるまでは保留。
そんなところか。
「はい。影浦様が対外的にSランク冒険者として発表されるのはオリジンゲート攻略が終わってから――来週ですね」
第1次オリジンゲート攻略は来週に迫っている。
【聖剣】とともに戦うために目指していたわけだが、いざ実現してしまうと現実味が薄く感じられてしまう。
「そっかぁ。Sランク冒険者って、出てくるたびにすっごく騒がれるもんねぇ」
「ええ。Sランク冒険者の存在は国家にとってもステータスですわ。だから、かなり大規模に宣伝されると思ってよろしいかと」
詞が感心の声を漏らすと、明乃がそう答える。
アイドルなどの副業をしているのならばともかく、冒険者個人が世間に認知されることは少ない。
主な活動圏がダンジョンということもあって、一般人とはあまりに縁がないからだ。
そのため一般人に名前を知られている冒険者となれば、必然的に高ランク――大体はAランク以上となる。
だが、Sランク冒険者の知名度は別格だ。
冒険者に興味がなくても自然と耳に入ってくる。
それがSランク――世界規模で活躍する冒険者なのだ。
「ん……すごい」
「しばらく記者とかがついてきてウザそうね」
無表情ながらも興奮に体を揺らす透流。
一方で、香子はうんざりとした様子で息を吐いた。
――実を言うと、景一郎も彼女と同じ懸念を抱いていた。
3人同時昇格ということもあったからなのかもしれないが、【聖剣】がSランクに上がったときも似たようなことがあったのだ。
それこそ、しばらくは記者が来ないようなダンジョンで時間を潰していたくらいに。
「でしたら、その時はわたくしの別荘で暮らしてはいかがでしょうか。さすがに、冷泉家を敵に回したがる記者はいないと思いますわ」
すると明乃がそう提案する。
確かに彼女の言う通りかもしれない。
ダンジョンに潜れば記者の目から逃れることはできるが、どうにも気が滅入る。
だが冷泉家の別荘に匿ってもらえばそんな手間はない。
むしろ快適だろう。
「そういうの楽しそうだねぇ」
「ん」
詞と透流も乗り気のようだった。
小旅行のような気分なのかもしれない。
「――どうしたんだ?」
そこで景一郎はふと気が付いた。
さっきから会話に入って来ない人物がいることに。
グリゼルダ・ローザイア。
彼女だけは少し離れた場所で紅茶を飲んでいる。
あまりこちらに興味を持っている様子はない。
「うぬ……? いや、なんということはない」
景一郎の視線に気付いたのか、グリゼルダは紅茶のカップを机に下ろす。
そして彼女は視線をこちらに向けた。
「我のご主人様を名乗る以上、これくらいは当然であろう」
「いや、俺から名乗った覚えはないんだけどな……」
景一郎は微妙な表情を浮かべる。
とはいえ、彼女自身も好き好んで景一郎を『ご主人様』と呼んでいるわけではないので責めづらい。
影浦景一郎とグリゼルダ。
2人は【光と影】による主従契約を強制的に結ばれている。
――術者が景一郎である以上、彼がご主人様を名乗ったというのもあながち間違っていないのだろうか。
少し不安になった。
「そういえば【黒閃】って?」
「影浦様の二つ名のようですね」
詞の疑問にナツメが答えた。
「あー。香子ちゃんの【千変万化】みたいな?」
詞が納得の声を上げた。
高い実力を有する冒険者は、自然と周囲の人間から特別な称号を与えられる。
それがいつしか代名詞となり――2つ名と呼ばれるようになる。
ちなみに香子の【千変万化】は、様々な武器を使うことによる変幻自在な戦闘スタイルに由来しているそうだ。
「どうやら【白雷】と対になっている2つ名のようですね。それほど、あの戦いは見ていたものに衝撃を与えたことなのではないかと」
「白い雷と黒い閃光ってわけかぁ」
あの日の戦いを思い出しているのか、詞が微笑みを浮かべる。
「おそらく景一郎様が元【聖剣】であることも加味しているのでしょうね」
明乃がそう呟いた。
2つ名は戦闘スタイルだけではなく、容姿など様々な要素を加味して決められる。
おそらく景一郎が元【聖剣】であるという経歴も影響しているだろう。
「2つ名といえば、すでに魔都では皆様にも2つ名が付けられつつあるようですよ」
「そうですの?」
ナツメがそう告げると、明乃がわずかに驚いた顔を見せる。
――なにも、あの戦いで活躍したのは景一郎だけではない。
彼女たちも相応の評価をされたということだ。
「はい。Sランクパーティは、基本的に全員が2つ名持ちですから」
「あ。そっか。お兄ちゃんがSランク冒険者になったら、【面影】もSランクパーティになるんだ」
手を叩く詞。
「Sランクパーティの条件は『メンバーにSランク冒険者がいること』だからな」
景一郎はそう口にした。
ついに【面影】が最高峰のランクを冠することとなった。
そのことに確かな達成感を覚えながら。
「ん……2つ名……気になります」
透流は自分たちにつけられた名前が気になるようでそわそわとしている。
2つ名は冒険者にとって実力の証明だ。
多くの冒険者にとって憧れといっていい。
早く知りたいと思うのも当然だろう。
「まだ確定しているわけではありませんが――明乃お嬢様は【皇女騎士】、月ヶ瀬様は【黒百合姫】、碓氷様は【魔弾】、グリゼルダ様は【絶対零度】――といったところでしょうか」
ナツメはそう答えた。
2つ名とは必ずしも1つではない。
様々な冒険者が好き勝手に2つ名をつけて、気に入られた名前だけが自然と残ってゆく。
まだ2つ名が付き始めたばかりの景一郎たちには、大小様々な名前が付けられているのだろう。
だからナツメは確定していないと前置きしたのだ。
「ん……雪子さんと同じ2つ名持ち……」
透流は嬉しそうに肩を揺らす。
彼女は忍足雪子のファンだ。
だからこそ、憧れの存在である彼女と同じ2つ名持ちに至れたという事実は大きな喜びらしい。
「あれ? どうしたの香子ちゃん? もしかして拗ねてるの? 香子ちゃんは元々2つ名持ちなんだから仕方がないってぇ」
詞が香子の顔を覗き込む。
不機嫌そうな様子の香子。
ただし、その原因が『自分だけ新しい2つ名がもらえなかった』だとは思えない。
――まあ、大体の予想はつくけれど。
「いや――おかしいでしょ!」
そしてついに香子が爆発した。
彼女は怒鳴るように声を上げる。
その矛先にいるのは――詞だ。
「誰かツッコミなさいよッ! なんでコイツの2つ名に『姫』がついてるのよ!」
月ヶ瀬詞の2つ名――【黒百合姫】。
ルールがあるわけではないが、2つ名に『姫』がつくのは基本的に美しい女性だ。
――そう。女性だ。
少なくとも男性につける2つ名ではない。
「あ、羨ましかった?」
「違うわよ!」
詞の返しに香子は叫ぶ。
「――どうやら月ヶ瀬様は、女性冒険者として認知されてしまったようですね」
――きっと、ナツメの言う通りなのだろう。
【面影】の暫定2つ名が登場。
ただあくまで暫定なので、実際には違う2つ名になる可能性もあります。




