5章 エピローグ2 影浦景一郎は返り咲くのか
魔都は特殊な場所だ。
そこで暮らす人間の大半が冒険者、あるいは冒険者を相手として商売を営んでいる者。
だからか、魔都の生活サイクルは他の地域と完全に分離している。
深夜であっても、出歩く人間が一向に減らないくらいには。
人工の明かりで照らされた街を景一郎は跳ぶ。
矢印を踏み、道なき道を進んでいった。
「――あそこか」
景一郎はとある歩道橋を視界に捉えた。
あそこが紅に指定された待ち合わせ場所だ。
冒険者は自動車よりも速く走ることができる。
だから魔都の道路を走る車など存在しない。
あの歩道橋は、この国に冒険者が存在しなかった時代の遺物なのだ。
今となっては必要のなくなった場所。
そこには紅が立っていた。
彼女は歩道橋の上で、街並みを見下ろしている。
「もう来てたのか?」
景一郎はふわりと歩道橋に着地した。
矢印で飛びながら向かったせいか、まだ待ち合わせ時間までかなり余裕がある。
てっきり景一郎のほうが先に着くだろうと思っていたのだが。
「いえ……呼び出したのは私ですから」
紅はそう答える。
当然と言えば当然なのだが、今の彼女は私服姿だった。
戦乙女のような鎧ではなく、普通の女性のような装い。
11月下旬――それも深夜ということもあって気温は低い。
そのせいか彼女の吐息は少し白んでいた。
「話ってなんだ?」
景一郎はそう切り出す。
ここで話すとしても、場所を移すとしても。
いつまでも黙っているわけにはいかないだろう。
「……これを」
紅が何かを差し出してくる。
それは布に包まれた棒状のものだった。
てっきり、最低限の装備として剣を携帯しているのだと思っていたのだが。
「?」
景一郎はよく分からないまま彼女が渡してきた物を受け取る。
想像通りの重量感。
重心などから推測するに、これは剣だ。
「それは、宵闇の太刀です」
「――なるほど」
紅の言葉で彼は理解した。
宵闇の外套。宵闇の双剣。
景一郎が纏う装備の名前だ。
これらは宵闇シリーズと呼ばれている。
こういったシリーズ系の装備は、一緒に装備することで個々にはない特別な恩恵を得ることができる。
例えば、宵闇シリーズを2つ装備すれば【隠密】が使える、といった風に。
そして宵闇の太刀は、宵闇シリーズの最後の1品。
これがあれば、宵闇シリーズのすべてが揃う。
「あれから少しして……ダンジョンで見つけたので」
「あれから……? ああ、そういうことか」
妙に言いづらそうにしている紅を見て、景一郎は察する。
あれから――というのは、景一郎が【聖剣】から除籍された時のことだろう。
「ゆっこから『必要になるかもだから持ってたほうが良い』と言われたので手元に残していたのですが……景一郎のことを知っていたんですね」
紅も、菊理も、雪子もそれぞれシリーズ系の装備を持っている。
だからこそ、別シリーズである宵闇の太刀を使う恩恵がない。
それにもかかわらず、宵闇の太刀を換金しなかったのは雪子の言葉添えがあったからというわけだ。
「あいつは結構早い段階で俺のことを知ってただろうな……」
(棘ナツメと頻繁に連絡を取っていたとしたら、その日のうちに見つかってたんだろうな)
忍足雪子と棘ナツメ。
2人は何年も前から交流があったようだ。
棘ナツメの主人である冷泉明乃と出会ったのは、【聖剣】を除籍されたその日だ。
おそらく雪子は、最初から景一郎の居場所を把握していたこととなる。
――だから、宵闇の太刀をいつか渡すかもしれないと思ったのかもしれない。
「ともかく……ありがとな」
景一郎は宵闇の太刀を受け取った。
そのまま布を剥ぎ、中にある得物を見定めた。
「……ぉお」
その刀身はまるで夜そのものを凝縮したようだった。
重量も悪くない。
重すぎてしまえば振りづらいのはもちろんのこと。
軽すぎても手に馴染まない。
これくらい適度に重いほうが振りやすいだろう。
「宵闇シリーズすべてを集めると得られる恩恵は、確か『速力向上』と『【影魔法】』だったはずです」
宵闇シリーズはどれもSランクダンジョンでしか手に入らない逸品。
それをコンプリートしたことによる恩恵は大きい。
速度向上はシンプルながら強力だ。
素の身体能力に不安がある【罠士】にとって、速度強化による底上げは無駄にならない。
しかも【影魔法】。
単体でも使いどころのあるスキル。
さらにいえば、剣術と組み合わせることで魔法剣術へと派生させることもできる。
かなり嬉しいプレゼントだ。
「景一郎」
「?」
紅の声に、景一郎は太刀から視線を外す。
彼女は少し気まずそうにしていた。
紅の視線が左右へと泳ぐ。
彼女は両手を背中に回し、落ち着かない様子だ。
それでも彼女は息を吐き出すと――
「あの日のこと、後悔もしていますし反省もしています」
彼女はそう切り出した。
とはいえ――
「そうなのか? 俺は、紅の判断は正しかったと思ってるけど」
「え?」
景一郎の意見は真逆だった。
「まあ強いて言うなら、リーダーなんだから他のメンバーにも前もって言っとくべきだったんじゃないか――ってくらいだな」
景一郎の除籍は妥当な措置だった。
むしろ遅すぎたといっていいくらいだ。
景一郎は歩道橋の手すりに寄りかかる。
「あのまま一緒にいても、俺は居心地の悪さばかりが増していって……結局は自分から抜けていただろうし。まあ……それまでに死ななければだけどさ」
適正レベルなんて投げ捨てたような危険な探索。
あれで死なずに済んでいたのが奇跡だし、それがいつまで続いたのかも分からない。
だから彼女の判断を間違っていたといえるわけがない。
それにあの一連の流れがあったからこそ、景一郎は本当の意味で紅たちと並び立てた。
違うパーティに所属していても、【聖剣】にいた頃より近い場所に立てている。
そう思っているのだ。
景一郎は夜空を見上げる。
そして薄白い息を吐いた。
「ただ漫然と一緒にいたとしたら、俺は今でもお荷物係のままで――」
「そんなことありませんッ……!」
自嘲的な景一郎の言葉。
それを否定する紅の語気は想像よりも強かった。
「貴方がお荷物だなんて――思ったことはありませんッ……! 景一郎がいたから……! 私は……! 私たちは……!」
紅は胸に手を当て、途切れ途切れにそう言った。
だからこそ、彼女の必死さが伝わってくる。
心の底から出た言葉なのだと信じられる。
「それは多分……俺もだな」
「え……?」
景一郎が笑みを浮かべると、紅が呆けた顔になる。
「もし生まれたときからこのスキルが俺のものだったとしても、紅たちに会わなかったら俺は――ここまで強くなれなかったと思う」
もしも影浦景一郎が【罠士】でなかったら。
あるいは、最初からユニークスキルを持っていたら。
生まれてから今日までの20年以上の年月は、景一郎を遥かな高みへと押し上げたのか。
答えは否。
少なくとも、景一郎はそう考えている。
「ずっと前から、紅たちは俺の道標だったんだ」
最初から優れた才能を持っていても、景一郎はそれなりのところで立ち止まっていたのだろう。
【聖剣】という目指す場所があったから、景一郎は走ることができた。
迷わず、どこまでも。
そこに無茶があったことは否定しないが、それらを含めて景一郎は『良かった』と思っている。
「認めてもらいたいのも、格好良いところを見せたいのも、肩を並べたい相手も――全部、紅たちだったんだ」
思えば、つくづく出会いに恵まれている。
鋼紅、糸見菊理、忍足雪子という憧れに出会えた。
そして冷泉明乃、月ヶ瀬詞、碓氷透流、花咲里香子が景一郎の歩みを支えてくれた。
彼女たちとの出会いがなければ、今の景一郎はいない。
「……景一郎」
「?」
「あの…………えっと」
「? ?」
声をかけてきたはずの紅が口ごもる。
その様子は不審というほかない。
「……あの処分に関しては……すでに取り下げてはいるのですが……つまり、景一郎が今でも望んでくれているのなら……ですが」
さっきまでよりもさらに紅の舌が重い。
とはいえ、それも仕方がないことだろう。
きっとこれが、今日の本題だから。
「……ああ」
(【聖剣】への復帰、か)
景一郎は息を吐く。
紅はすでに景一郎の除籍処分を取り下げている。
つまり、彼に復帰の意思があれば今日にでも【聖剣】へと戻ることができる。
この半年間、彼が積み上げた努力が報われるのだ。
「…………目標だった、はずなんだけどなぁ」
そのはず、だったのだが。
もう景一郎の答えは――決まっていた。
「悪い。紅。俺はもう【聖剣】には戻らない」
景一郎は紅と向き合う。
戻らない。
それが、彼の答えだった。
「最初はここまで上り詰めるためのパーティだったはずなんだけどな……情が湧いたというか……単純に、良い仲間に恵まれたというか……」
景一郎は頭を掻いて苦笑する。
色々と言い訳を並べても仕方がない。
結局のところ彼は――
「だから俺はもう【面影】の影浦景一郎だ」
彼は――新しい居場所を見つけたのだ。
目指したのは【聖剣】だった。
しかし最後に彼が見出した居場所は【面影】だった。
それだけのことだ。
「…………そうですね」
紅は目を閉じる。
彼女の表情は穏やかで、どこか嬉しそうにも見えた。
「なんとなく、そんな気はしていました。貴方は……仲間から慕われている」
紅は景一郎から視線を外し、街並みへと目を向けた。
今日の試験で直接戦って、彼女なりに【面影】へと感じるものがあったのかもしれない。
「慕われているのかは分からないけど……俺のワガママに付き合ってくれるくらいには良い奴らなんだ。目的を達成したからって抜けるのが申し訳ない――というより、別れがたいというか」
自分だけが抜けることへの罪悪感や後ろめたさではない。
景一郎自身が【面影】の一員であり続けたいと感じているのだ。
それほどに、彼女たちとの日々は大きな意味を持っていた。
景一郎の中で【聖剣】と並ぶほどに【面影】の存在が大きくなったのだ。
「……分かりました。【聖剣】と【面影】――パーティは違いますが、良い関係を築いていきましょう」
こうして景一郎が【聖剣】へと返り咲くことは――なかった。
次回からは6章です。
第2部最終章であり、最終部へと続く物語。
その前半はオリジンゲート攻略編となります。
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