5章 19話 一刀
影浦景一郎。
鋼紅。
2人の戦いは呆れるほどに長引いた。
魔都に剣と剣がぶつかり合う音だけが響く。
「ッ……!」
突き出された剣が景一郎の頬を掠めた。
紅はそのまま剣を薙ぐようにして首狙いへと移行する。
しかし彼は短剣を添えることでそれを防ぐ。
「矢印」
直後、景一郎の体が不自然に加速する。
足は伸びきっており、地面を蹴ることができないタイミング。
しかし彼の体は矢印の補助を受けて動き出した。
景一郎は回転しながら紅へと短剣を振るう。
その動作に余計な動きはなく、円舞のように滑らかだ。
一方で不利になるのが紅。
刺突を繰り出した彼女の重心は前方に偏っており、回避動作が遅れている。
体勢から考えて、矢印で加速した斬撃をガードするのも間に合わない。
「まだ……です」
しかし次の瞬間、景一郎の短剣が弾かれた。
紅の剣――その柄頭によって。
ガードは間に合わない。
だから柄で思いきり短剣を殴りつけた。
攻撃に割り込むことは叶わないから、攻撃そのものの軌道を歪めた。
少しでもタイミングを誤れば指の1本や2本は失ってしまうような危険な絶技。
紅はそれをこの高速戦闘の中で成し遂げたのだ。
「「………………」」
息もできないような激しい剣の応酬。
そこに一時の沈黙が流れる。
2人は微妙に互いの間合いから外れた位置に立ち、言葉を交わすことなく見つめ合う。
2人の大きな傷はない。
とはいえ、このまま戦いが続けば不利なのは景一郎だろう。
職業。
それによる体力の差。
それが如実になるはずだ。
「いい加減……勝負をつけるか」
だから景一郎は提案する。
瞬間的な戦闘力での決着。
そこにしか勝機がないと判断した。
「……そうですね」
そして紅もその提案に乗った。
戦いが長引けば優位なのは紅だ。
とはいえ、彼女が景一郎に同意したのは手心というわけではない。
長引けば紅が優位。
しかし優位であることがそのまま勝利ではないし、1つのミスでいくらでも覆る程度の優位性にすぎない。
それを理解しているからこそ、彼女は一撃で勝負を決めることを選んだのだ。
「――――」
紅が一気に後方へと跳んだ。
ほんの一瞬で100メートル以上の間合いが開いた。
「――全力ってわけだな」
景一郎は口元をほころばせる。
――紅の体が淡く光っている。
白い光を発し、彼女の体の輪郭が曖昧になる。
自身の身体を光へと変換することで速力を強化する光魔法。
それは、紅が【白雷】と呼ばれるようになった由来だ。
「やっぱり紅はすごいな」
景一郎は率直な賛辞を口にした。
「――俺にできるのはこれくらいだ」
とはいえ負けるつもりもない。
景一郎はただ、自身に許された最大の攻撃を用意するだけだ。
景一郎から紅へといくつもの矢印が展開される。
一直線に矢印が並ぶ。
これはいわば段階的に加速する矢印のカタパルト。
紅が剣を振り抜くのが先か、景一郎の攻撃が当たるのが先か。
2人の勝敗は知略など投げ捨てたストレート勝負へと託された。
「――――紅」
「はい」
景一郎は言葉を途切れさせる。
「いや……やっぱりいい」
言いたいことがないわけではない。
むしろ、いくらでも思いつく。
自分は、彼女たちと肩を並べられるようになったのかだとか。
皆を、護れる自分になれたのかだとか。
言いたいことがないわけではないのだ。
(紅たちが死ぬ未来――か)
天眼来見が語った未来の景色。
オリジンゲート攻略が失敗し、【聖剣】がいない未来。
それを変えたいという気持ちは、景一郎の歩みをさらに力強く――重いものへと変えた。
(何があっても護りたいという気持ちに変わりはない)
どんなに困難でも。
どんなに絶望的でも。
それが彼の決意に影を落とすことはない。
(だけど――俺がお前たちより弱いんじゃ説得力がないよなッ……!)
自分よりも弱い人間に、自分の命運を託すことはできないだろう。
弱くては、駄目なのだ。
それでは昔と変わらない。
護られて、後を追うだけだった影浦景一郎は終わりだ。
紅たちが頼ってくれるくらいの力をここで証明する。
「――――【光魔法】」
「【斬】×2+【矢印】」
紅の剣が光を纏う。
彼女は腰を落とし、居合の構えを取った。
景一郎の手元で斬撃が生み出される。
それは矢印によって収束し、球状に押し固められる。
無数の斬撃が擦れ合い、甲高い音が響き始めた。
「秘剣」「トラップ・セット」
小細工なしの一発勝負。
2人は目の前の敵に――そこへと叩き込む一撃にすべての意識をつぎ込んでゆく。
「【時間停止・白雷】」「【デクテット】」
景一郎が10枚重ねの矢印を踏みつけると同時に――世界が止まった。
【時間停止・白雷】。
時間を止め、神速の抜刀術で斬り裂くというシンプルながら最強の一撃。
何の誇張もなく刹那で敵を斬る最速の剣だ。
だが――
「「――――――!」」
影浦景一郎は――止まった世界に踏み込んでいた。
10の矢印で加速した彼の体はすでに、時をゆがませる領域に手をかけていた。
――彼の体が裂ける。
攻撃を受けたのではない。
これは、反動だ。
自分のスピードが起こした影響に、自分の体が耐えきれていない。
紅の【時間停止】はそういった反動への耐性を含めてのスキルだ。
その領域へと強引な手段で足を踏み入れたのなら、その対価を要求される。
全身が風圧で裂ける、鼻から目から血があふれる。
それでも景一郎はノーブレーキで突っ込んでゆく。
時が止まった世界。
そしてついに紅が動いた。
(ああー―やっぱり)
矢印のカタパルトに乗って加速する景一郎。
それでも泥の中にいるかのように体が重い。
時さえも置き去りにするように速く。
それでいて動き辛さを感じながら走る景一郎。
(やっぱり紅は――強いな)
そんな世界でも――彼女は最速だった。
景一郎が感じている鈍重さを彼女は容易く振り切った。
時が止まった世界でも、紅は景一郎の追従を許さない。
最速の剣は、他者の先制を許さない。
最後に景一郎が見たのは、彼が接近するよりも早く剣を振り抜いた紅の姿だった。
☆
「――――なるほど」
世界が動き出した。
再び吹き始めた風が紅の髪を揺らす。
彼女は剣を振り抜いた姿勢のまま動かない。
「――まだ最速の名前は譲れませんね」
彼女の背後には、倒れた景一郎の姿があった。
攻撃の後のことなど考えていなかったのだろう。
ただ彼はスピードだけを追及し、一切の減速もなしに背後のビルに突っ込んだ。
彼の体は自身の速度でボロボロだ。
それはすでに致命傷で、あの肉体は1分もなく消失するだろう。
そんな彼の姿を見て、紅は微笑む。
「ですが――最強の名前は譲ることになるかもしれません」
鋼紅の剣は――半ばで折れていた。
止まった世界での一騎打ち。
剣を振り抜くのは紅が速かった。
――しかし、攻撃がぶつかり合ったときに押し負けたのも紅だった。
景一郎が繰り出した斬撃の塊は、衝突と同時に紅の剣を砕いたのだ。
だから、紅の剣は届かなかった。
いくら速く振り抜こうと、刃を折られては斬ることなど出来るわけがない。
だから景一郎の肉体に刻まれたのは、純然たる自傷によるものだ。
そして鋼紅は――脇腹が吹き飛んでいた。
景一郎の一撃は彼女の剣を折り、そのまま彼女の腹を抉り飛ばしたのだ。
景一郎は1分とかからずに脱落するだろう。
だが――紅の体はもう10秒と保てない。
その時間差が、2人の明暗を分ける。
「景一郎。私の――負けです」
そのまま紅の体は粒子となって消えた。
選抜戦、決着――




