5章 18話 そこに面影はなく
「これで……最後ですね」
紅が呟いた。
「そうだな」
すでに詞と香子の体は消失し、この場には景一郎と紅しかいない。
どちらが勝つか。
それがこの戦いの結末へと直結するのだ。
(俺の見立てが正しければ、紅が使える【時間停止】は多くてもあと1回だ)
詞たちの奮闘により、紅はすでに2度【時間停止】を使用している。
そして、道中で多くのパーティを相手にしたのであれば数回は【時間停止】を使用しているはず。
逆に言えば、【時間停止】が打ち止めになっている可能性も薄い。
もしさっきの1回が最後であったのなら、多少の傷を許容してでも温存するべき場面だったからだ。
そうしなかったということは、最低でもあと1回くらいは時間を止める余力があったということ。
1対1で、2度の有効打。
相手が紅となればなかなかに難しい条件だが、不可能だというつもりはない。
ここまでお膳立てされておいて、負けるわけにはいかないのだ。
「ッ――!」
紅が選択した初手。
それは抜刀術だ。
スピードとリーチを高水準で兼ね備えた一刀。
彼女が戦いの起点としてよく使う攻撃だ。
「っと……」
だからこそ景一郎も予測できており、問題なく跳んで回避する。
本来なら、ここからさらに魔法剣術で追撃――あるいは相手が着地するよりも早く接近して斬り捨てるのが常だ。
しかし――
「そうくるか――!」
紅が選択したのは後退だった。
彼女の斬撃は数キロ先にも届く。
だからこそ、後退したところで彼女の攻撃が緩むことはない。
一方で、紅に対しての遠距離攻撃は無謀といっていい。
彼女のスピードなら、大概の遠距離攻撃は回避できてしまうから。
距離を取って確実に削り殺す。
堅実な手だ。
「――!」
紅は宙を舞い、腰をひねる。
そのまま彼女は体を回転させた。
――剣を振るいながら。
「ぅお……!?」
彼女が回転するのに合わせて光の斬撃が乱れ飛ぶ。
狙いを定めない無差別攻撃。
だからこそ躱しづらい。
斬撃がコンクリートの地面を抉り飛ばす中、景一郎は冷静に剣筋を見極めて安全圏を探ってゆく。
「矢印ッ……!」
景一郎の手の甲に矢印が現れた。
そのまま彼は視線を巡らせる。
そしてタイミングを測ると――迫る斬撃に裏拳を叩き込んだ。
矢印による強制移動。
それは斬撃が彼の肌に到達するよりも早く発動した。
「!?」
斬撃が急激に方向を変えたことで紅の体勢が崩れる。
さっきの攻撃は適当に振るっているように見えるが、実際のところは彼女が優れた体さばきで減速することなく回転し続けることができるからこそ。
ああやって姿勢を崩してしまえば回転速度は落ち、剣を振るい続けることは難しくなる。
「【斬】+【矢印】」
紅の回転が緩んで斬撃の嵐が終わり、それでいて彼女が次の行動に移れないでいる絶好のタイミング。
そこを狙って、景一郎は大量の斬撃を紅に向かって射出した。
10を越える三日月形の斬撃が紅へと殺到し――彼女の剣ですべて叩き落とされる。
最速。
その肩書は、斬撃が自身へと到達することを許さなかったのだ。
「そのスキルを相手に遠距離攻撃は分が悪いようですね」
景一郎は矢印で迫る攻撃の軌道を歪めることができる。
だからこそ、遠距離攻撃では彼にダメージを与えられない。
むしろ逸らす隙さえないようなインファイトが有効。
そう考えたのか、紅が次に選んだのは接近だった。
彼女は一瞬にして距離を詰めてくる。
2人の距離はおよそ1メートル。
「トラップ・セット」
だが景一郎はこの展開も想定していた。
そもそも【罠士】である景一郎の間合いは中遠距離。
そして【ヴァルキリー】である紅の間合いは近距離。
セオリーから考えても、彼女が接近してくるのは自然なことなのだ。
だから――対策もしている。
「矢印――多重展開」
景一郎はそこら中に矢印をばらまく。
それはまるで2人を覆う繭のように。
あるいは、逃亡を許さない決闘場のように。
様々な方向を向いた矢印が、2人の周囲を囲むように展開された。
「っ……!」
紅は剣を振りかぶり――硬直した。
あまりに隙だらけな動き。
その理由は明確だ。
周囲に浮かぶ無数の矢印――そのうちの1つに剣が触れてしまいそうになったのだ。
すでに紅も矢印の性質は理解しているはず。
こんなところで剣が矢印に触れ、制御できなくなってしまえば致命的。
それが分かっているからこそ、矢印を避けるため反射的に硬直してしまったのだ。
「【斬】+【縛】+【矢印】」
その隙を縫い、景一郎は手元から光の縄を射出する。
今、戦場は大量の矢印によって隔絶されている。
せいぜい半径数メートルほどの半球状となった戦場。
いくら最速であれど、逃げる空間が限定されては真価を発揮できない。
(この戦場はいわば、矢印の密室。限定された空間だからこそ、剣で戦う紅よりも――短剣や無手で戦える俺が優位に立てる)
満足に剣を振りかぶれない。
光魔法による斬撃の拡張などもってのほか。
しかし景一郎は違う。
剣よりも刃渡りが短いため、多少の大振りでも矢印に触れてしまう心配はない。
そして小さなモーションでトラップを撃てる。
さらにいえば――術者である景一郎は周囲の矢印の向きを完全に把握できている。
「ッ……!」
「捕まえた」
紅が躱したはずの縄が――矢印に反射されて戻ってきた。
そのまま縄は彼女の左手首を捕らえる。
矢印によって隔離された戦場。
紅にとっては、触れてしまえば何が起こるか分からない戦場。
しかし景一郎にとっては、どこに触れれば矢印による反射を利用した不意打ちが決まるのかを知っている独壇場。
狭く、景一郎によって完全掌握されたフィールド。
そうなれば、紅の速力をもってしてもすべての攻撃を回避するのは難しい。
「ッ……!」
紅の表情がわずかにゆがむ。
左手首に巻き付いた縄が締まり、肌を裂いたのだ。
あれは斬撃トラップの性質を有している拘束トラップ。
拘束した相手を引き裂く融合トラップだ。
対処が遅れてしまえば、彼女の左手首は斬り落とされ――
「……やっぱり、簡単には行かないか」
しかし、紅は剣で縄を斬り捨てた。
自分の肌には一切刃を触れさせず、細い縄だけを斬った。
ミリ単位での調整が必要な斬撃を、彼女は当然のように成功させたのだ。
「正直……驚いています。景一郎がこんなに強いなんて、知らなかった」
紅の視線が景一郎へと向けられる。
彼女の表情は薄い。
しかしそこには感心、賞賛――景一郎の実力を称える色が宿っていた。
「まあ……紅と一緒にいたころは間違いなく弱かったからな」
景一郎がここまで強くなれたキッカケを得たのは、【聖剣】を除籍されてからのこと。
それまでは、夢破れる大多数の冒険者と同じだった。
【罠士】は大成しない。
そんな常識に道を阻まれた冒険者の1人にすぎなかった。
「ですが……負けるつもりはありません」
「当たり前だ」
そんな景一郎は今、最強と対峙している。
戦えている。
「それじゃあ――」
だが、戦うだけで満足する気はない。
「行くぞ」「行きます」
再び2人は死合いへと身を投じてゆく。
(一瞬も気を抜けない)
景一郎の頬を刃が掠める。
紅はその才覚をもって矢印に触れない軌道を見極め、神速の剣を振るってくる。
景一郎は足裏に矢印を展開し続けることで速力を補助し、紅が振るう高速剣術に対応してゆく。
(なのに……笑いが止まらない)
一進一退。
薄氷の戦い。
いつ途切れるかも分からない綱渡り。
それが――無性に楽しい。
(皆と……肩を並べて戦いたかった)
目の前にいるはずなのに、手が届かない。
そんな彼女と今――景一郎は戦っている。
その事実が嬉しくてたまらない。
(俺の夢は今……叶ってる……!)
冒険者になったばかりのころ。
周囲の目や、明確な実力差が存在しなかった昔。
純粋な気持ちで駆け抜けた日々に戻っている。
無根拠な希望を胸に踏み出した日々に戻っている。
そんな気がしていた――
☆
冒険者協会の広間。
そこにある巨大なモニターは戦いの様子を映し出している。
――すでに影浦景一郎と鋼紅を除いた全員が脱落。
この部屋には数十人の冒険者が集まっていた。
「ん……」
「さっきぶりでーす」
詞がモニター前のソファーに歩み寄ると、そこには雪子がいた。
「きゅぅ……」
ちなみに、彼女の隣には透流も座っていた。
――目を回しながら。
「あっれぇ? 透流ちゃんどうしたの?」
「察してあげて下さいな」
詞が透流の顔を覗き込んでいると、近くに座っていた明乃が肩をすくめる。
どうやら透流は、憧れの人の隣に座っているせいでオーバーヒートしてしまったらしい。
「ん……多分、試合疲れ。あの狙撃はタイミングも狙いも完璧だった。そうとうに消耗したはず」
「…………んきゅぅ」
「リアルタイムで消耗したように見えたけどなぁ」
しかも憧れの人からの称賛によってさらに追撃を食らっていた。
透流は目を回しながらクラクラと頭を揺らしておりノックアウト寸前だ。
「グリゼルダさん。空いている部屋もございますし、もう一戦交わってみませんか?」
一方で、少し離れた位置では菊理がそんなことを口にしていた。
――妙に彼女の周りは人がいない。
いるのは、露骨に眉を広めているグリゼルダだけだ。
「嫌だと言うておるだろうが……! 我はご主人様の戦いを見届けるのに忙しいのだッ……!」
菊理に言い寄られていたグリゼルダが全力で拒否している。
景一郎の戦いを見届けたい。
その気持ちに偽りはないのだろう。
しかし、どうにもシンプルに菊理と戦うのを嫌がっているように見えてしまうのは気のせいだろうか。
「私も最初はそのつもりだったのですが……見ていたら自分でしたくなってしまいまして」
「なら他の奴らを誘えば良いであろうっ……!」
「わぁ。みんな同時に目を逸らしたよぉ?」
――菊理の周りに冒険者が寄り付いていない理由が分かった瞬間だった。
「当然の反応だと思いますわ」
明乃は嘆息する。
あんな死闘を経て、それでも戦い足りないというのは控えめに言って異常である。
少なくとも詞には分からない感性だった。
「で? 試合はどうなってんのよ」
そんなことを考えていると、遅れて現れた香子がそう尋ねてくる。
「ちょっと景一郎君が押され気味。でも、掠り傷だけだし、勝負に響くようなダメージはどっちも受けてない」
それに返したのは雪子だ。
彼女はモニターから目を逸らすことなく、端的に状況を口にした。
「矢印を使えば追いつけるとは言っても、逆に言えば素の身体能力ではとても追いつけないほどに速力差がありますわ。どうしても、後手に回ってしまっていますわね」
明乃はそう分析する。
確かに景一郎は紅の動きについていけているように見える。
しかしそれは矢印の存在を前提としてのこと。
本来の身体能力で比べてしまえば、その差は大きい。
景一郎と紅。
【罠士】と【ヴァルキリー】。
2人の身体能力はかけ離れている。
それを矢印で埋めようにも、毎回のように矢印を展開しなければならないのでワンテンポ出だしが遅れてしまう。
そのせいで先手を紅に取られ続けている。
そんなところか。
「ん……景一郎君は紅の太刀筋を知ってるから、予測で追い縋っているのが現状」
それが雪子の評価だった。
景一郎は紅の戦い方を知っている。
一方で、紅は今の景一郎の戦い方を知らない。
その知識差もあいまって、2人の戦いは長くもつれ込んでいた。
「でも……勝つのはお兄ちゃんだよ」
それでも詞は口にする。
言い聞かせるように。
「ちっ……くだらない試合だぜ!」
「………………」
その時、そんな声が聞こえた。
――雪子の雰囲気が少し冷たくなる。
「見え透いた接待バトルだね。そうでもなければ、あの『お荷物係』が【白雷】と斬り合えるわけがない」
「あからさますぎて笑えるぜ」
大柄な態度でソファーを占領した冒険者たちが笑い声をあげる。
彼らの目には、あの戦いの熱量が伝わっていないのだろう。
だからあれを見て、接待などという言葉が浮かぶのだ。
真剣に戦っている2人を侮辱するような言葉が浮かぶのだ。
「……ちょっと止めてくる」
雪子が音もなく立ち上がった。
――なぜかほの暗いオーラが見えた気がする。
「ええっと……息の根じゃないよね?」
「? それ以外に何が」
「えぇ…………」
無表情のまま激怒している雪子であった。
しかし結論から言えば、彼女の暗殺術が披露されることはなかった。
「くだらないのはお前らだろ」
冒険者の内の1人がそう言ったから。
「な?」
「逆に聞くが、お前たちにアレができるのか?」
その冒険者は、景一郎たちの戦いを嗤っていた冒険者にそう問いかけた。
「あの【白雷】の斬撃をさばき続けられるのか? あそこまで食らいついて行けるのか?」
「…………」
冒険者の言葉を否定できるものはいない。
ここにいるのは最前線の冒険者。
分からないはずがないのだ。
ただ、認めたくなかっただけで。
「まあ……俺もアイツを馬鹿にしていた側だからな……。こんなことを言える立場じゃないけど」
冒険者はモニター越しに景一郎を見る。
そこに嘲りの色はない。
「――あいつはもうお荷物係なんかじゃない。一流の冒険者だ」
その言葉を聞いた冒険者たちの反応は様々だった。
新たな強者を歓迎するように微笑む者。
不快感を滲ませる者。
様々な反応でも、その根幹は同じ。
彼らは理解しているのだ。
影浦景一郎が、自分たちを越える実力を手にしたことを。
「どんな経緯を辿ったのかは知らない。でもあいつは今、俺たちよりも遥か高みにいる。……本当は分かっているんだろ?」
「………………ちっ」
冒険者に諭され、景一郎たちの戦いを嗤っていた者たちが黙り込む。
彼らも景一郎の実力が分からないわけではないのだ。
ただ、これまで見下してきた相手が自分よりも強いなどと認めるわけにいかなかっただけで。
それを理解しているから、否定の言葉を吐けない。
「……なんだ。分かってる人もいるじゃん」
「ん……当然」
詞がそう呟くと、雪子が頷く。
どうやら、とりあえず怒りはおさまったようだ。
「――景一郎様。貴方はもう、かつて貴方を軽んじていた者たちでさえ認めざるを得ないほどの力を手にしましたわ」
明乃はモニターを眺めてそう口にする。
【面影】の中で、最初に景一郎と出会ったのは彼女だ。
だからこそ、今の彼の戦いに対してことさらに思い入れがあるのだろう。
「だから最後に……1番認めて欲しい方に、すべてをぶつけてくださいませ」
魔都の冒険者でさえ認めざるを得ない力を得た。
だが、そうじゃない。
景一郎が本当に認めて欲しいのは、彼らじゃないのだ。
そして今、景一郎は認めて欲しい人に対して全力でぶつかっている。
「なんだか、まだ戦いが終わってもいないのに……泣いちゃいそうかも」
「今泣いてどうすんのよ。せめて勝ってからでしょ」
詞がそう漏らすも、香子に呆れられてしまった。
さすがに感傷的すぎただろうか。
「……勝つに決まってるけど」
とはいえ、香子も大概な気がしなくもない。
無関心を装っているようだが、彼女が景一郎の勝利を信じ、願っていることは明らかだった。
いっそこちらが気恥ずかしいくらいに。
「信じてるんだ?」
「そりゃあ……信じてなかったらこんな所までついてくるわけないじゃん」
「ふふ……ガチ恋勢だね」
「は、はぁぁ!?」
【面影】と【聖剣】。
景一郎と縁深い2つのパーティに見守られながら戦いは続いてゆく。
終わりは――近い。
あと1話くらいで決着の予定です。




