5章 16話 最後の【聖剣】
――グリゼルダ・ローザイア、脱落。
機械的な音声が景一郎の鼓膜を揺らす。
「遅かったか……!」
景一郎は表情を歪める。
グリゼルダは紅への重要カードだった。
しかし彼女が落とされたのでは、その思惑も砕かれた。
景一郎はビルの屋上を次々に飛び移る。
短い時間だったが、激しい氷魔法が連続で使用された。
あれは間違いなくグリゼルダの魔法だ。
ならば、さっきまで彼女はそこにいたははず。
グリゼルダがそこにいた以上、敵もそこにいると考えるべきだ。
景一郎は矢印を踏んで加速する。
そうして跳躍した先には――
「……!」
景一郎は、少し前までグリゼルダがいたであろう場所へと到着した。
そしてそこで――見つけた。
白銀の鎧を纏う、美しい女性を。
彼女は金髪を風になびかせ、静かな瞳で景一郎を見た。
「遅かった……ですね」
すでに女性――鋼紅は抜刀している。
そして、ここには氷魔法が放たれた痕跡がある。
つまりグリゼルダを倒したのは彼女というわけだ。
「菊理と相打ちになったのかと思っていたけど……紅だったのか」
「はい。私が駆けつけたときには、もう菊理は落とされていました」
グリゼルダが脱落したというアナウンスの直前。
確かに菊理の脱落も伝えられた。
ほぼ同時だったため、相打ちに近い形になったのではないかと思っていたが――
「なら、あとは紅を倒せば俺たちの勝ちだな」
景一郎は双剣を向ける。
希望通りとまではいえない状況。
それでも、光明はつながっている。
あとは景一郎が紅を討ち取れるかどうかだ。
景一郎が戦意を高めていると――
「……いえ。試験はもう終わりにしましょう」
――鋼紅は刀を納めた。
「は――?」
冷や水をかけられたような衝撃。
思わず景一郎は固まった。
「もう景一郎のパーティ以外は脱落していますし、景一郎は菊理とゆっこを倒した時点で合格でしょう。もうこれ以上続ける理由がありません」
紅は目を閉じてそう語った。
「本気で言ってるのか?」
「……ええ。正直、【聖剣】の内2人が落とされるのは主催者側としても想定外だったことでしょう。続くオリジンゲート攻略を思えば、この時点で勝負を打ち切ったほうが無難です」
主催者――というのは政府のことだろう。
現時点において【聖剣】は3人中2人が討ち取られている。
いくら相手が複数のパーティであったとはいえ、【聖剣】が全滅することを政府側は良しとしないのではないか。
それにより【聖剣】の求心力が落ちることを危惧するのではないか。
すでに探索メンバーを選ぶための判断材料は揃った。
だから主催者の意図を汲み、ここで試験を終わらせる。
そういうことだろう。
――そういう建前だ。
「そうか――」
実際のところ紅がそんな提案をしたのは、もっとシンプルで個人的な理由だろう。
単純に、景一郎と戦いたくないのだ。
元来、紅は戦いを好きでも嫌いでもない。
不必要なら避けるし、必要なものまで避けることはしない。
そんな彼女が景一郎と戦いたくないと思う理由には――心当たりはある。
――後ろめたさから、景一郎に剣を向けることに躊躇いがあるのだろう。
「つまり紅は、俺と戦えば『万が一』があると思っているわけだな?」
だから景一郎はそう言った。
挑発に近い言葉を。
「油断が身を滅ぼすというのは、冒険者なら常識です」
紅はそう答える。
否定するでもなく
それでいて、真には迫らない答えを。
「そうか」
景一郎は口角をわずかに上げる。
そして――構えた。
「でも悪いな。俺は試験と関係なく――紅と戦いたい」
景一郎は斬りかかる。
矢印は使っていない。
だが、矢印トラップの補助を受けていない彼に出せる最大の速度で短剣を振り下ろした。
黒い刃がそのまま紅の脳天へと迫る。
刃が彼女を縦に引き裂くまであと20センチ。
それが15センチに縮まるよりも早く――紅の白刃が割り込んだ。
明らかに後手に回った状態からのガード。
それを強制的に彼女は間に合わせる。
普通なら絶対に間に合わないタイミングでの防御を、彼女の速力は可能にしてしまうのだ。
景一郎の双剣を片手で受け止めた紅。
しかし彼女の顔は曇っている。
「…………やはり」
「言っとくけど、私怨とかじゃないぞ?」
景一郎は彼女の言葉を遮る。
妙な誤解をされるのはあまりに不本意だ。
「俺は……見て欲しいんだ」
そういう、暗い気持ちでここに立っているわけではない。
「俺がこれまで積み上げてきた――すべてを」
強くなった自分を見て欲しい。
影浦景一郎を見下してきた冒険者に――ではない。
あんな連中のことなどどうでもいい。
ずっと昔から一緒にいて、今でも憧れていると断言できる女性たち。
【聖剣】の皆に見て欲しい、認めて欲しい。
そう思ってここまで来た。
そして、思うのだ。
これまであまり意識はしてこなかったこと。
でも、気付いた。
忍足雪子。
糸見菊理。
2人と同じダンジョンに潜り、実力を認めてもらったとき――気付いた。
多分、景一郎が一番認めて欲しいと思っている相手は――鋼紅だったのだと。
「――分かりました」
わずかに紅の声音が変わる。
彼女の中でスイッチが切り替わった。
景一郎はそう確信した。
ついに彼女が――景一郎を敵として見た。
「ッ……!」
景一郎は一気に距離を取る。
――紅は追撃しない。
ただ腰を落とし、彼の姿を見つめていた。
「一太刀目から――手は抜きません」
そして彼女の姿が消える。
初速さえ見えなかった。
そもそも彼女に加速という概念はない。
最初の一歩から最高速。
一瞬で最高速へと至り、一瞬で停止する。
ゆえに――彼女が次に見えたときには、すでに死の刃が迫っている。
「ッ……!」
数秒間意識を失っていたのではないのかと錯覚したくなるほど唐突に――紅が現れた。
彼女は手が届くほどの距離で、剣を構えている。
(想定より速い!)
身を低くし、膝を伸ばす力を乗せた斬撃。
おそらく、彼女は一撃で首を落としにくる。
景一郎はわずかに身を反らすが、彼女の剣を躱せるほどの効果はない。
「――でも、問題ない」
彼女が剣を振り抜くことはないのだから。
「っ……!?」
紅の顔が驚愕を滲ませる。
直後、彼女の体が空中へと撃ち上げられた。
トリックというほどのこともない。
後退した景一郎が着地したのは、最初に彼女と対峙した場所。
あらかじめそこには上向きの矢印トラップが仕掛けてあった。
それだけのことだ。
最初からそこに待ち構えていたらトラップを疑われる。
待ちの作戦は、【罠士】がもっとも得意とする戦術だから。
ゆえに一旦、景一郎は紅に斬りかかるついでに移動した。
そして距離を取るフリをして元の位置に戻る。
彼が矢印トラップをしかけたのは、紅と対峙した直後。
いまいち戦いに身が入っていなかった彼女は見落としていたのだろう。
「――これは」
紅は無防備に宙を舞う。
彼女は【空中歩行】のスキルを持たないため、足場のない場所では自由に動けない。
だからここの瞬間、彼女の速力は十全に機能しない。
「「はぁぁぁ!」」
事前に打ち合わせたわけでもない。
だが、このタイミングで2人はしかけた。
少し遅れて到着した――詞と香子が。
2人もまた、氷魔法を遠目に見てここを目指していたのだろう。
身動きが取れない状況。
そして2人のAランク冒険者による挟撃。
それでも紅は2本の剣で2人の攻撃を容易く受け止めた。
足場のない状況で、攻撃を――それも複数方向からの攻撃を受け止めてしまえば、反動で姿勢が崩れるのが普通だ。
そうなれば致命的な隙となる。
――本来なら。
だが、それくらいで鋼紅という冒険者は破綻しない。
「体勢を乱したくらいで討ち取れると――」
「思ってないわよ」
彼女の言葉を遮ったのは香子だった。
詞も香子も理解しているのだ。
こんなものは隙でさえないと。
これくらいで獲れる首ではないのだと。
「でも、腕1本はもらっちゃうよぉ?」
だが隙は隙。
ここを起点にダメージを通す。
そんな意思を込め、詞は笑った。
詞の脇腹から影の腕が伸びる。
影はナイフを手に、紅へと迫った。
おそらくあれは、雪子が使う戦闘術の模倣だ。
「ッ!」
そして詞の向かい側では、香子が拳銃を構える。
2人は左右から紅へと攻撃を仕掛けた。
紅が手にしている剣はすでに詞たちの攻撃を受け止めている。
2本腕と4本腕――この場合は5本かもしれないが――というシンプルな手数の差。
それが紅へと牙を剝く。
「――――光あれ」
だがそれさえも取るに足りない。
手数が倍以上であることなど関係がない。
それを証明するように、紅の剣が白い光を纏う。
魔力で強化された紅の剣と競り合うことは叶わず、同時に弾かれる詞と香子。
弾かれたことで姿勢が崩れ、2人の攻撃は狙いを外してしまい紅には届かない。
「【矢印】+【縛】+【重力】」
だが、空中という自由のない場所で、しかも剣を振るった直後。
そんな隙を景一郎が逃すわけがない。
彼の掌から黒い鎖が伸びる。
その標的は当然、紅だ。
(紅は防御系のスキルを持っていない)
紅の場合、防御力=回避能力といっていい。
彼女が纏う【戦乙女の鎧】も高ランクであるためにかなりの防御力を有してはいるものの、あくまで速力を重視した逸品だ。
同ランクの鎧の中では防御が薄いほうに分類される。
(だから――攻撃を躱せないときは剣で防ぐしかない……!)
防御スキルはなく、体で受け止められるような防御能力はない。
回避という手段が取れない以上、紅に残された選択肢は1つしかない。
「これくらいでは――」
紅は黒鎖を剣で受け止める。
しかし、黒鎖は蛇のように剣に巻きついた。
「……?」
わずかに紅が戸惑う。
自分に向かって伸びた鎖。
普通に考えれば、紅の剣を絡めとるためのものだと思うだろう。
しかし、その先端を景一郎は握っていない。
それでは鎖がただ剣に巻き付いただけで、その動きを制限することはできない。
ゆえに景一郎の狙いが分からないのだ。
彼女は知らない。
あの鎖は――巻きついただけで意味があるのだと。
「ッ……!?」
直後、紅が体勢を崩す。
そのまま鎖のついた剣に引かれるようにして、彼女は地面に叩きつけられた。
【縛】と【重力】の性質が融合したトラップ。
それは超重量の鎖となり、矢印トラップで射出された。
あの鎖が巻きついた以上、あの剣はもう持ち上げられる重さではない。
「これで手数は半分だよ!」
紅の頭上から詞たちが襲いかかる。
彼女は二刀流で戦う。
だが、そのうちの1本を奪った。
そうなれば攻撃の激しさが損なわれることは確実だ。
「剣が2本なら――倍の速度で振るうだけです」
詞の攻撃を受け止める紅。
「小学生並みの理論じゃん。馬鹿じゃないの?」
しかし、タイミングをわずかにずらして香子がさらに剣で追撃する。
「……小学生じゃないし、馬鹿でもありません」
瞬間、紅の手が霞んで見えた。
直後に吹き荒れるのは斬撃の嵐。
彼女を中心として、斬撃の軌跡が無数に引かれてゆく。
それはもはや斬撃の結界だった。
「痛っ……!」
「ちっ……」
すさまじい密度の斬撃に詞たちは逃げ出すように距離を取った。
2人が間合いから逃れるまでにかかった時間はほんの一瞬。
それでもすでに、2人の体には小さな切り傷が刻み込まれていた。
片方の剣を奪ってなお追いつけない斬撃スピード。
香子が苛立ちを見せる。
「馬鹿げたスピードしてるわねホント……!」
「……馬鹿じゃありません」
「今のは過剰反応だよ!? 香子ちゃんのセリフが若干効いちゃってる!」
詞が騒いでいた。
そんな彼を無視して、香子が景一郎へと小さく振り返った。
「ねぇ」
「なんだ?」
「手出しとかしないで。……アンタは見てるだけで良いから」
手出し無用。
3対1という優位を捨てる。
香子の発言は、そんな趣旨のものだった。
「何言ってんだよ。2対1で勝てる相手じゃ――」
「勝つ気とかないし」
冷静さを欠いているのかと思い口を開く景一郎。
だが、続く香子の声は――この上なく落ち着いていた。
「――アタシたちが捨て駒になるから、トドメはアンタが刺してよねって話」
彼女はそう告げる。
「ごめんねお兄ちゃん。ここに来る途中で決めてたんだよね」
詞はへらりと笑う。
「ボクたち2人で――【時間停止】を削り切る」
詞はそう宣言した。
鋼紅を倒すうえで最大の障害となるであろうスキル――【時間停止】。
そのスキルがある限り、どんな致命打も回避されてしまう。
だから2人は言っているのだ。
自分たちの命と引き換えに、限界時間まで【時間停止】を使わせてみせると。
「【時間停止】が使えない状態の鋼紅を、無傷のアンタにぶつける。それがアタシたちの役割――1対1じゃないと嫌だとか言わせないから」
香子はそう言い切った。
「お兄ちゃんが強くなった自分をあの人に見せたいのと同じくらいにね、ボクたちもお兄ちゃんに強くなったところを見せたいんだよ」
口調こそ強くないが、詞の様子を見れば分かる。
彼もまた譲る気はないのだと。
景一郎が少しでも優位な状況で紅と戦えるように。
そのためだけに、自分を捨て駒にするという決意が変わることはないのだと。
「…………多分この戦いが、お兄ちゃんと一緒に戦える最後の戦いだから」
詞が小声で何かを呟いた。
その声は、景一郎の耳に届かない。
だけど何故だろうか。
少しだけ見える詞の表情は――寂しげに見えた。
「――この戦いに勝てたらの話でしょ?」
「……そぉだね」
どうやら香子には聞こえていたようで、2人は短いやり取りを交わす。
「ま、勝つんだけど」
剣と銃。
香子は2つの武器を――太腿のホルスターに収納した。
「やっと抜くんだね」
「やるならここしかないでしょ」
詞にそう答える香子。
香子の手には景一郎が渡した――2本の短剣が握られていた。
次回、香子の新武器が登場予定。




