5章 15話 個VS個
「【魔界顕象】――【白の聖域】」
グリゼルダの言葉が――世界を改変した。
彼女を中心として、円形状に氷の世界が広がってゆく。
地面は凍りつき、氷の柱が天へと伸びる。
床も天井もないが、それは間違いなく氷の宮殿だった。
「ッ……!」
宮殿の顕現と同時に吹いた冷気。
それを袖で受け止めた菊理はわずかに息を漏らす。
――彼女の半身が薄く凍りついていたから。
別にダメージと呼ぶほどのものではない。
ただ薄く、霜が降りたように氷の膜が張っただけ。
しかし、忘れてはいけない。
――今の冷気は、グリゼルダが力を開放した際の余波でしかないことを。
攻撃でさえない魔力の噴出が、菊理がスキルで強化したはずの魔力耐性を突き破ったのだ。
「……【スキル封印】が強制解除された……?」
そして重要な事実がもう1つ。
グリゼルダが発したのは氷属性の魔力。
――つまり、現在の彼女はスキルが封じられていない。
「――【スキル封印】」
動揺のあまりスキルの効果時間を測り違えたのだろうか。
不穏な予感を覚えながらも、菊理は再びグリゼルダのスキルを封印した。
した――はずだ。
それでもグリゼルダの放つ冷気は衰えない。
「……なぜかは分かりませんが、弱体系のスキルが無効化されているようですね」
菊理はそう結論付ける。
弱体化への耐性をつけるスキルは存在する。
それにボスモンスターなどは特別な恩恵により、そういったスキルによる干渉を遮断することがある。
グリゼルダが使ったのはおそらくユニークスキルあるいはそれに準ずる何か。
であれば、【スキル封印】を弾くような効果があったとしても驚くべきことではない。
「当然であろう。この宮殿は我の世界。我の力を支えることこそあれど、削ることなど赦すわけがない」
グリゼルダを捕らえていた大量の腕が凍りつく。
凍った腕は脆く、ガラス細工のように砕けた。
対峙する菊理とグリゼルダ。
両者の間合いは10メートルに満たない。
魔法使いの間合いとしては近すぎるが――グリゼルダは構わずに魔法を放った。
「……!?」
これまでの氷弾とは違う魔法。
振るわれたグリゼルダの腕を起点として、地面を氷が走ってゆく。
一陣の冷風。
それが吹き抜けた場所には氷の結晶だけが残る。
その場から飛んで回避する菊理だったが――
「魔法の発動が速い……!」
彼女の反射速度をもってしても、グリゼルダの魔法速度が上回る。
飛んだ菊理の片足はすでに凍りついていた。
この程度の氷は軽く砕けるが、回避しようとして間に合わなかったという事実は重い。
「確かに――この結界は手狭かもしれぬな」
そして何より、すでにグリゼルダは次の一手へと移行していた。
「これは――!」
菊理はグリゼルダの魔法への警戒をさらに引き上げ、己の体を球体状の結界で守る。
そしてグリゼルダは――構わずに魔法を放った。
指向性もない全方位を巻き込む氷魔法。
魔力をロスなく攻撃力へとつなげる繊細さ。
それでいて、目を見張るほどに大胆なスケール。
グリゼルダの氷魔法は結界内を埋め尽くし――そのまま内側から突き破った。
☆
「驚きましたね。まさかこんな奥の手を」
己の結界を一撃で破砕されたせいか、菊理は少し驚いたようにそう漏らした。
「我も、ここで使うつもりはなかったのだがな」
だがグリゼルダはそれを当然と断じた。
切る予定のない切り札だったのだ。
ならばこれくらいの結果を出せなければ割に合わない。
「……なるほど。紅さんへの切り札だったわけですね」
得心がいったように菊理は頷いている。
発生速度と、攻撃範囲。
それを両立させている菊理の魔法は回避が困難だ。
だから、鋼紅との戦いに――彼女の【時間停止】を浪費させるのに有効。
それが今回の戦いが始まる前の読みだった。
だからここで使ったのは失敗だ。
おそらくこの魔法の情報は菊理を経由して紅へと届く。
事前情報のない状態で1発を食らわせる予定だったが、情報を得てしまえば紅も簡単にはこちらの思惑に乗ってくれないだろう。
「でも……それならここで使って正解でしたね」
予定外の切り札。
それを菊理は正しい判断だったと語る。
「ここで使わないと、使う機会はなかったでしょうし」
――どうせ、紅と戦う機会などなかったのだからと。
そう暗に言ったのだ。
「奥の手を見せていただいたことですし、私も奥の手を開示いたしましょうか」
菊理が目を細める。
その仕草は妖しくも艶やか。
彼女は蠱惑的な笑みを浮かべ――唱えた。
「――【式神憑依】」
突如、菊理の肉体に変化が現れる。
彼女の肌に刺青のような紋様が浮かんだ。
それは頬から首へ。
そのまま胸元まで伸びている。
紋様だけではない。
彼女の艶やかな黒髪をかき分け――角が生えていた。
太く、力強いそれはまるで悪魔の角だ。
――菊理が巫女服をはだけさせる。
両肩が見えるほどに着崩したことで露出する肩甲骨。
そこから――羽が生えていた。
昆虫の羽のように半透明な翅は小刻みに振動してバチバチと音を鳴らしている。
「……なんだそれは」
妖しくも奇妙で――不気味なその姿。
思わずグリゼルダは問いかけていた。
「100の式神をすべて私という1つに押し込んだ姿。これが、私に用意できる最大戦力です」
人から人ならざる者へ。
人間離れした容姿と引き換えに力を引き上げた菊理。
そんな彼女を前にして――
「そうか」
――それでもグリゼルダは揺らがない。
勝てる。
そう自負しているから。
「残念だが、その奥の手にはあまり意味がなかったようだな」
一瞬。
その一瞬で、氷の槍が四方から菊理を貫く。
「……!」
【魔界顕象】によって強化された魔法の発動速度。
菊理はそれに追いつけず、無防備に全身を貫かれた。
彼女の口から赤い液体が垂れてゆく。
「……うふふ」
それでも菊理は笑う。
唇を赤く染め、恍惚と笑みを浮かべる。
「楽しい……ですね」
体中を貫かれてなお、菊理は戦いの愉悦を語る。
「凍った体は寒くて、傷口は熱い。私……おかしくなってしまいそうです」
体に穴が開き、肌には霜が張りついている。
それで菊理は白い息を吐きながら笑う。
「おかしくなってしまいそうだけど…………もっと酔いしれたい」
菊理は歩き出す。
刺さった氷柱を無視して。
傷口が開くことさえ気にせず、彼女は氷柱をへし折って歩く。
「もっともっとアクセルを踏んで……取り返しがつかないくらい」
すでに彼女には――グリゼルダしか見えていない。
「【魔力変換・身体強化】」
そして菊理が――消えた。
気が付くと、彼女はグリゼルダに肉薄していた。
鼻と鼻が触れそうな距離。
瞬間移動ではない。
そう勘違いしてしまいそうなほどの――脚力だ。
「あはッ……!」
無邪気に笑う菊理。
彼女はグリゼルダの両肩を掴み、その場に押し倒した。
【魔力返還・身体強化】。
すべての魔力を身体能力へと変えた菊理のパワーはすでにグリゼルダを凌駕していた。
ゆえに一瞬の抵抗さえままならず、グリゼルダは背中を地面に押し付けられることとなった。
「ぁ……ぬぁ……!?」
菊理はグリゼルダの上に位置取ると、膝を彼女の胸へと押し付ける。
そのまま菊理は膝で彼女の中身を圧迫してゆく。
呼吸を止める――甘い。
胸骨を砕く――甘い。
心臓や肺、その奥にあるすべてを破裂させんばかりの意思を込めて。
「こ……のッ!」
痛みに顔をゆがませながらもグリゼルダは腕を振るう。
すると冷気が菊理へと直撃し、彼女の体を凍らせた。
このクロスレンジでグリゼルダの魔法を躱すのは不可能に近い。
ゆえに勝負は決したと思ったのだが――
「どこまでしぶといのだ……おぬしは」
グリゼルダは眉を寄せる。
彼女の上には、依然として菊理が馬乗りになっている。
確かに彼女の魔法は菊理を凍結させた。
しかし菊理はその身体能力によって全員を覆う氷を砕き、ふたたびグリゼルダに牙を剥いたのだ。
「まだまだ、ですよ?」
菊理の手がグリゼルダの頭へと添えられる。
しかし次の瞬間には、彼女の頭部を砕くために万力のごとき力が加えられてゆく。
グリゼルダの腕力では菊理を振りほどけない。
ゆえに彼女は菊理の攻撃への対処を捨て、菊理へと全力の魔法を叩き込む。
何度も、何度も。
幾度と菊理が氷を砕いても、そのたびに氷結させてゆく。
グリゼルダ・ローザイア。
糸見菊理。
どちらの体が先に壊れるか。
2人の戦いは、そんな泥臭いものへと移っていた。
「………………」
そして、最初に力を抜いたのは――グリゼルダだった。
彼女はその場で手足を投げだし、一切の抵抗をやめる。
「うふふ……」
そんな彼女を、菊理は見下ろした。
「疲れ…………ましたね」
菊理の体には――大量の亀裂が走っていた。
腕から顔にかけ、体が割れている。
繰り返される凍結によって脆くなった肉が、彼女の有するパワーに耐えられなくなったのだ。
「グリゼルダさんは楽しかったですか? この戦い」
「くだらぬことを言うな。手間ばかりでどこが楽しいのか分からぬ」
「……そうですか」
少し残念そうに苦笑する菊理。
残念ながら、グリゼルダは戦闘狂ではない。
だから彼女が感じた喜びを理解することはできない。
「私の戦いはここまで……ですね。あとは、見て楽しむことに……します」
そう言い残すと、菊理の体が砕けた。
彼女は全身が氷の欠片となり――戦場から消失した。
☆
「……やっと倒せたのだな」
グリゼルダはゆっくりと起き上がった。
彼女の体にはかなりのダメージが蓄積している。
秘中の秘。
人間とモンスターの因子を併せ持つ者にしか使えない【魔界顕象】を使っての辛勝。
こればかりは苦戦と認めるほかない。
「早く合流せねばならぬな」
グリゼルダはどこにいるかも分からない仲間を目指して歩く。
まだ敵は残っている。
まだ、戦わなければならない。
そのためにはまず仲間と合流するのが先決で――
「――遅かったようですね」
女性の声が聞こえた。
グリゼルダの前方約20メートル。
そこには金髪の女性が立っていた。
一言で表すのならヴァルキリー。
胸元と腰回りを守る白銀の鎧。
半面、肩や腹部は大胆に露出しており、白く透き通った肢体が美しい曲線を描き出している。
――鋼紅。
――【白雷】。
――日本最速にして最強のスピードアタッカー。
皮肉にも、グリゼルダのもとに現れたのは最後の【聖剣】だった。
「……おぬしは」
目の前に紅が現れ、脳が彼女を倒すべき敵と判断する間に一瞬。
「ッ……!」
考えることさえなくグリゼルダの体が動く。
速く、広く。
まずは当てることだけを考えた氷の一撃。
しかし――
「まずは1人」
世界が逆様になった。
グリゼルダの視界がグルンと回り、空が地面になる。
半回転した世界。
その原因は――逆様に見える自分の体が教えてくれた。
頭部を失ったまま、地面に立ち尽くしているグリゼルダ自身の体が。
(我の魔法よりも早く首を――)
――――グリゼルダ・ローザイア、脱落。
そのアナウンスを最後に、彼女の意識は鎖された。
生存者
・影浦景一郎
・月ヶ瀬詞
・花咲里香子
・鋼紅




