5章 12話 銀色の死神に心臓を捧げよ
詞たちが入ったビルは長く使われていないのか、中は荒れ放題だ。
元々は塾のような施設だったのか、乱雑に机と椅子が倒れている。
剝き出しになったコンクリートの床はヒビが入っており、足運びを誤ればつまずいてしまうことだろう。
「っく……!」
そんな状態の良いとは言えない地形。
それでも雪子は細かい動きで詞たちを翻弄する。
【空中歩行】スキルを駆使することで、彼女は足場に頼らない移動を繰り返す。
そうやって相手にまとわりつくように攻め立てて隙を狙うのだ。
「ああもうッ!」
苛立たしげな声とともに香子が剣を振るう。
しかし雪子は宙返りでそれを躱した。
無論、着地でバランスを崩すような無様はさらさない。
「【操影】」
雪子の右手から影が伸びる。
影の腕はナイフを手に香子を襲う。
「ったく――」
迫る影を香子が迎撃しようと構えたとき――詞の直感が警告した。
明確な根拠はないが、なんとなく分かった。
強いて言うのなら、詞も【操影】を使えるからこそ感じたのかもしれない。
――アレは違う、と。
「だめぇぇ! それ【操影】じゃないッ!」
詞は叫んだ。
【死神の手】。
触れた敵の心臓を破壊する即死スキル。
あれも確か、景一郎が言うには『影の手を伸ばす』動作があったはず。
あれは【操影】に偽装した【死神の手】だ。
ガードをしたら――即死。
「ッ!? やっば――!」
倒れ込むようにして横に回避する香子。
幸いにも、【死神の手】は彼女に触れなかった。
もしも詞が気づかなければ。
そして、あそこから間に合うだけの反射神経が香子になかったら。
もう香子は脱落していたことだろう。
「ん……バレた」
影の手が雪子へと戻ってゆく。
やはり詞の直感は正しかったようだ。
「もう少しで即死だったのに」
雪子は無表情にそう言った。
フェイクを看破されても、そこに動揺はない。
あれは彼女にとって、他愛ない一手に過ぎないのだ。
「ったく……色が似てて分かりにくいのよ」
「ボクも、近くじゃちょっと分からないかもだねぇ」
詞は苦笑を漏らす。
あれは離れた位置から、自分以外へと向けられた攻撃だったから見抜けたのだ。
自分が攻撃を受ける立場であったら、あれくらいの違和感など見過ごしていたことだろう。
「じゃあ次は――【死んで】」
雪子の一手を防いだ。
だが戦いは終わらない。
当然のように放たれたスキルもまた即死の性質を有していた。
「【エリアシールド】っ……!」
明乃を中心に結界が展開される。
半球状のシールドは詞たちをも包み込み、死の言霊からガードする。
「ん、隙あり」
しかし次の瞬間、雪子の手がブレた。
目が追いつかないほどの早業で振り抜かれた手。
「ぁぐ……!」
それはナイフの投擲。
高速で飛来したナイフは拡張された【エリアシールド】を貫き、その奥にいる明乃の肩を穿った。
「【殺害予告】に有効なスキルは【エリアシールド】だけ。逆に言えば、私が【殺害予告】を使えばそっちはワンパターンな行動をとる。そこにカウンターを合わせるのは余裕」
【エリアシールド】は味方を護るために防御範囲を広げるスキル。
一方で、通常の防御よりもガード性能は低い。
一定範囲の敵を即死させる【殺害予告】を防ぐために【エリアシールド】を使わせ、薄くなった結界を一点集中のナイフ投げで突破。
単純。
だが、分かっていても避けられない。
それを避けるということは【殺害予告】を食らうということなのだから。
「強力な即死スキルでさえ、あくまで手札の1枚と割り切る。さすが……ですわね」
「これでも、貴女たちより長く冒険者やってる。経験値で負けられない」
明乃の言葉に、雪子はなんの感慨もなく答えた。
忍足雪子は中学生くらいにしか見えない。
しかし、彼女は影浦景一郎の同級生――つまり22歳だ。
明乃と同じ年齢で冒険者になっていたとしても、最低でも3年は明乃よりも経験を積んでいる計算になる。
その差は――決して小さくない。
ましてさらに低年齢である詞や香子となればいうまでもない。
その経験には倍以上の開きがある。
「――【隠密・無縫】」
そんなことを考えていると、雪子の姿が薄らいでゆく。
――記憶からさえも隠れてしまう究極の【隠密】スキル。
なんとか彼女を忘れることだけは避けられたものの、あのスキルを使った彼女を補足できないことは実証済みだ。
景一郎がいない以上、【隠密・無縫】を使わせた時点で詞たちの負けだ。
「させないよ!」
「させないっての……!」
詞と香子が同時に駆けだす。
あくまで【隠密】は姿が消えるだけ。
ワープするわけでも、透過するわけでもない。
見えなくとも感じなくとも、確かに存在しているのだ。
つまり、姿が消えた直前にいた場所を狙えば攻撃を当てられるというわけだ。
【隠密・無縫】を発動直後に潰し、ステルス戦に持ち込ませない。
それがベスト。
そう判断したのだが――
「っ!?」
(糸……?)
走る2人の胸に何かが食い込んだ。
それは目を凝らさなければ見えないほどに細い糸。
よく見てみると、交差するように複数の糸が床から天井へと伸びていた。
その糸は――影のように黒い。
これは――【操影】の糸だ。
「ふにゃぁぁ!?」
「なによッ……!?」
勢いよく突っ込んだせいで切れた影の糸。
それがトラップの起動スイッチだったのだろう。
張り巡らされていた糸が一気に動き、詞たちを中心に収束してゆく。
「ぁぐぅ……!」
詞たちはその場で転ぶ。
2人の体は影の糸によって縛られていた。
解こうにも、2人の体は密着しており自由が利かない。
「【隠密・無縫】を使おうとしたら、急いで距離を詰めてくる。それも分かり切ってること」
先程の【隠密・無縫】もブラフ。
彼女のスキルを止めようと焦るばかり、細い糸に気付かなかった。
光を反射しない影で作った糸だったのも罠が有効に起動した一因だろう。
「2人とも動かないでくださいませ!」
そう言って駆ける明乃。
彼女は詞たちを縛る影を払うため、横薙ぎに炎剣を構えるも――
「ん――もう1発」
「きゃっ……!」
床のヒビから影が伸び、明乃の足首を掠めた。
おそらく【操影】の刃を階下に伸ばしておき、下の階を経由して明乃を攻撃したのだ。
アキレス腱を断つような一撃ではないが、一瞬足元をふらつかせるくらいの効果はある。
「っ……はぁ!」
それでも明乃は転びかけながら炎剣を横に振るった。
体勢は乱れても剣筋はゆがまない。
炎剣は倒れた詞たちの真上を通過し、余波の熱量だけで影の糸を焼き切った。
「明乃ちゃんナイスぅ」
詞たちは拘束から逃れて立ち上がる。
体勢を崩されながらも拘束を壊してくれたおかげで追撃を食らわずに済んだ。
これは間違いなくファインプレーだ。
「さっきからチョコチョコ攻撃されてうっとうしいわね……!」
「うう……堅実に削られてるって感じだね」
苛立つ香子。
それに詞は困った表情を浮かべる。
「普通にやれば私が勝つ。勝てなくても、味方と合流したら同じこと。リスクを冒す理由がない」
――結局のところ、雪子の言う通りなのだろう。
彼女は無理な攻めをしない。
安全マージンを取り、冷静に少しずつ相手にダメージを蓄積させてゆく。
勝つためではなく、負けないための戦術。
それが有効なシチュエーションだと理解しているのだ。
「順当にいけば、順当に負ける。そんな戦いですわね」
明乃は目を細めた。
忍足雪子はスピードに優れた【凶手】だ。
彼女が守りを重視している限り、詞たちの一手は刺さらない。
「相手の勝利が盤石なら――無理にでもひっくり返すしかないよね」
それを変えるには、安定を度外視した攻めで押し切るしかない。
☆
「とぉぉりゃぁぁぁぁ!」
「ん……」
詞が腕を振るうたびに黒い剣閃が走る。
その斬撃は速く鋭い。
Aランクスピードアタッカーとしても上位に入るキレだ。
しかし相対するのは雪子。
日本で2番目に強いスピードアタッカー。
ゆえに詞の剣でさえ問題なく回避できる。
「ん……んん……」
それに今の詞の攻撃は速いだけだ。
そこに狡猾さはない。
速くて鋭いだけの、獣の剣だ。
「せやぁ!」
雪子は最小限の動きで攻撃を躱す。
――原因は焦り。
少しずつ追い詰められてゆく感覚に焦燥を覚えたことで、詞の動きは精彩を欠いている。
速さを追求するあまり、動きが雑になっている。
――焦りが見えるのは詞だけではない。
香子も動きに柔軟さが失われ、2人の連携に隙が出始めていた。
「2人とも落ち着いてくださいませ! これでは――」
その状況に警鐘を鳴らす明乃。
しかし、もう遅い。
「範囲防御が間に合わなくなる、だよね」
気持ちが先走り、詞と香子は突出してしまった。
明乃の【エリアシールド】で守れない位置まで。
明乃は職業の性質上あまり速くは動けない。
そのため、とっさに範囲防御で守れるエリアには限界がある。
その領域を――2人は出てしまっていた。
「ん……盤石な敵を崩すにはリスクのある手は必要。でも、リスクを冒さないといけない状況にされた時点で負け」
賭けに出なければ勝てない。
だが、賭けに出て防御を捨てた相手にカウンターを食らわせるのはそれほど難しいことではない。
「これで終わり」
雪子は息を吸う。
使うのは【殺害予告】。
音速で全方位に広がる即死スキル。
今の明乃の立ち位置では、どう頑張っても詞と香子のどちらかは見捨てなければならない。
「――そうかなぁ?」
将棋でいうのなら両取り。
そんな状況で――詞は微笑んだ。
敗北を間近にしているとは思えない表情で。
「突出したボクたちが明乃ちゃんの防御範囲から離れたら【殺害予告】が飛んでくる。それって逆に言えば、ボクたちの行動でそっちの反応を誘導できるってことだよね?」
その言葉で雪子は悟った。
演技だったのだ。
詞も香子も、この上なく冷静だった。
彼女は最初から、雪子の行動を誘導しようとしていたのだ。
雪子が【殺害予告】の予備動作として立ち止まるように誘導したのだ。
「透流ちゃん!」
古く寂れたビルの壁。
ヒビ割れたコンクリートが割れた。
砕けた壁から飛び出したのは――氷の弾丸だ。
「ん――――!」
(――ミスった。狙撃手の存在が頭から抜けてた)
碓氷透流。
思えば、彼女はいつの間にかいなかった。
おそらく【隠密】で狙撃ポイントに移動していたのだ。
「んッ……!?」
飛来する狙撃。
それは横から雪子の膝を撃ち抜いた。
彼女の膝は大きく抉られ、膝下が千切れ飛ぶ。
回転しながら彼女の足が宙を舞った。
(壁越しでもキッチリ狙撃を当ててきた――)
理由は分からない。
しかし透流は壁の向こうから雪子の位置を特定し、狙撃した。
おそらく【千里眼】のような透視系統のスキルだろう。
「まだ足1本。貴女たちが【エリアシールド】が間に合わない場所にいるのは変わらない。――このまま殺せる」
不慮のタイミングで失った片足。
しかし雪子の優位は変わらない。
【殺害予告】に必要なのは舌だけ。
一言でこの場にいる敵を殺せる。
足1本を失ったくらいで止まるのなら、最強パーティの一員など務まらない。
「――【死ん――】」
「いいえ間に合いましてよッ!」
死の言霊が終わるよりも早く、明乃は叫んだ。
そして彼女が――加速した。
「そりゃぁ!」
「はぁぁ!」
その理由はシンプルだ。
それは明乃から伸びている影。
おそらくあれは詞の【操影】だろう。
彼はあらかじめ明乃に影を結び付けていたのだ。
そして詞と香子が2人で明乃を引き寄せる。
明乃のスピードに加え、詞と香子の補助。
それによって、明乃は雪子の想定を超えた速度で動けた。
――そして、間に合った。
「【エリアシールド】!」
半球状の結界が【殺害予告】を跳ねのける。
明乃の範囲防御は、詞と香子のどちらも取りこぼさない。
「逃がしませんわッ……!」
それだけではない。
明乃はさらに床を蹴り、加速した。
彼女は盾を前面に構え、勢いよく雪子にタックルする。
「ん――!」
重量級の冒険者による突進。
それを受け止めるだけのパワーは雪子にない。
彼女はあっさりと押し切られ、コンクリートの壁に背中から叩きつけられる。
「捕まえ、ましたわ……!」
前方は大盾。
背面はコンクリートの壁。
前後をサンドイッチにされ、雪子はその場に縫いつけられる。
彼女の持ち味は速力。
足を止められては、彼女の戦闘力は大きく削がれてしまう。
「努力は認める。でも――心臓を潰されても同じことを言えるかは別の話」
だが、この程度で落とせると思われるのは心外だ。
雪子の手から黒い影がにじむ。
右手から伸びた【死神の手】は大盾を迂回し、明乃の背中を貫いた。
「ぁぁっ、ぁぁぁッ!?」
明乃の絶叫が響く。
しかしそれも仕方がないことだ。
――あえて、明乃の心臓はゆっくりと潰している。
痛みを感じないほどの一瞬で絶命させては、彼女は最期の1秒まで雪子を拘束し続けるだろう。
だからあえて、激痛で全身から力が抜けるよう殺す。
即死はしないからこそ感じるこの上ない苦痛。
それが雪子の拘束を緩めるのだ。
そのはず、なのに――
「はぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」
明乃は止まらない。
より強い力で雪子を壁に押し付けてくる。
「ん――なんで……」
「わたくしは、わたくしの役目を果たしますわッ……!」
心臓を潰されながらも明乃は強く床を踏みしめる。
そして、雪子をその場に止める。
「これは――」
雪子は動けない。
絶命寸前のはずだというのに、明乃から感じられるパワーは増してゆく。
そして――
「これで終わりだよっ」
左右から現れた詞と香子。
2人は左右から雪子に接近し――彼女の首を斬り落とした。
☆
以前のダンジョンで手に入れた透流のスキル【千里眼】を利用した壁越しの狙撃。
そして、明乃による決死の拘束。
それらを経て、ついに詞たちは雪子の首を落とした。
どう見ても致命傷。
あと数秒で雪子のアバターは崩壊し、脱落するだろう。
だが――まだ理解していなかった。
最強のパーティ【聖剣】。
彼女たちが持つ底力を。
「まだ――――終わってない」
床へと落ちてゆく雪子の生首がそう言った。
「さっきの1発で――居場所は分かってる」
そう呟くと、雪子は口から影を伸ばした。
彼女の【操影】はビルの窓枠を掴む。
「やば――!」
ここにきて、詞は雪子の意図を悟った。
雪子の行動を防ぐため、詞は手を伸ばす。
だが、間に合わない。
雪子の頭部が影に引っ張られて窓ガラスを突き破る。
頭部だけでビルを飛び出した彼女の目は――隣のビルの屋上で待機していた透流を捉えた。
「――【死んで】」
『ぃ……ぁぐ……!?』
インカムから透流の苦しげな声が聞こえた。
そして、びちゃびちゃと水っぽい音が鳴る。
「――最低限の仕事はした。後は任せるということで」
そう言い残し、地面に落ちるよりも早く雪子の頭が霧散した。
忍足雪子は――脱落したのだ。
「わたくしも――ここまでですわね」
そして、同時に心臓を潰されていた明乃の体が崩壊した。
彼女もアバターを失い、大幻想陣から弾き出されたのだ。
「ッ……! 透流ちゃん!」
しかし、さっきの攻防でダメージを受けたのは2人だけではない。
詞は【操影】を使って隣のビル――透流がいるはずの場所へと飛び移る。
するとそこには――
「ん……んん」
屋上に倒れた透流の姿があった。
彼女の背中には大きな穴が開いている。
確かめるまでもなく、致命傷だ。
「……します」
心臓を潰されたことで全身を痙攣させながらも彼女は身を起こす。
しかしその目からは光が失われていた。
「……あとはお願い――します」
その言葉が、透流の最後の言葉となった。
彼女の体は消失し、その場には吐き出された血液だけが残っている。
「うん……任されたよ」
冷泉明乃。
碓氷透流。
2人の犠牲を出し、詞たちは忍足雪子を討ち取った。
~現時点での戦況~
影浦景一郎:生存
冷泉明乃:脱落
月ヶ瀬詞:生存
碓氷透流:脱落
花咲里香子:生存
グリゼルダ・ローザイア:生存
鋼紅:生存
糸見菊理:生存
忍足雪子:脱落




