5章 11話 魍魎を統べる巫
「あれは――菊理か」
景一郎は目を細める。
人型の式神が跋扈する空。
そこには巫女服の女性がいた。
糸見菊理。
彼女は安定した様子で滞空している。
おそらく【飛行】スキルだろう。
「あらあら。ゆっこさん。苦戦中ですか?」
ふわりと降りてくる菊理。
彼女は雪子の隣に着地した。
「ん。これから超本気出すとこ」
「ダメみたいですねぇ」
控えめな苦笑を漏らす菊理。
「とりあえず治しますね」
「ん。感謝」
菊理は雪子の手をかざす。
すると菊理の掌は青緑の淡い光を灯す。
彼女の回復魔法は雪子の体をみるみる直してゆく。
大量出血によって、雪子のパフォーマンスは大きく低下していることだろう。
それでも、致命傷だったはずの傷はすでに塞がっていた。
Aランクヒーラー以上の回復魔法。
だが、それも菊理の能力の一部にすぎない。
彼女はあらゆる分野で一流の能力を持つオールラウンダーだ。
「菊理。こっちに来ていて良かったのか? 他の冒険者もいるだろ」
景一郎は菊理に問う。
今回、【聖剣】の敵は10ものAランクパーティだ。
【面影】だけに2人がかりで戦っていていいのか。
そんな意図を込めた問いだったのだが。
「?」
菊理はこてんと首をかしげる。
その目はきょとんとしており、何かを思案しているようにも見えた。
「ああー―なるほど」
景一郎が彼女の意外な反応に戸惑っていると、菊理の笑みが深まった。
いつもの淑やかな微笑みではない。
怪しさを滲ませる――【百鬼夜行】の主の笑みだ。
「景一郎さんたちは戦いに集中していたせいでアナウンスが聞こえていなかったんですね」
「もう――残っているパーティは【聖剣】と【面影】だけですよ?」
「は――?」
景一郎は固まった。
――パーティが壊滅した場合、他の参加者にもアナウンスされる。
そして、景一郎たちが雪子と接触した際にはまだ脱落したのは1つのパーティだったはず。
まだ雪子と戦い始めてから半刻も経っていない。
その間に、【聖剣】は8つのパーティを潰したのだ。
景一郎たちが雪子と戦っていたことを加味すれば――実質2人で、だ。
「紅さんもあと15分もあればこちらに到着いたしますし――全面戦争、ですね」
菊理は笑む。
紅の居場所は分からない。
それでも、彼女の速力ならそこまで時間を要せずにここへとたどり着くだろう。
たとえ彼女がいるのが魔都の最北端であったとしても。
「うふふ……ドキドキしますね? 景一郎さん」
菊理は頬に手を当て、妖しく笑う。
その姿は淫靡で、粘り気のある美しさを醸していた。
「うわぁ……合流しちゃったよぉ」
敵の増援に渋面を作る詞。
「最悪の展開ですわね」
「そんなわけないでしょ……最悪は――」
明乃の言葉を香子は否定する。
彼女は険しい表情で菊理たちの動向をうかがっていた。
「それでは思う存分、交わり合いましょうか」
菊理の言葉が幕開けの合図となった。
両手を掲げる菊理。
彼女の動作が号令となり、100の式神が動き始めた。
迫る式神の軍勢。
それはまさに百鬼夜行。
彼女が率いる式神は津波のように景一郎たちを襲う。
「やっぱ分断しに来たわねッ……!」
香子が舌打ちを漏らす。
大量の式神を使った分断作戦。
それは景一郎たちにとって最悪といっていいものだ。
「あっちのビル!」
跳び退いた香子が叫ぶ。
彼女の視線の先には廃ビルがあった。
式神の津波はすでに眼前に迫っており扉を開く時間さえない。
だが香子が言ったビルならば入り口も壊れており、そのまま身を隠すことができる。
「ッ……!」
「ふわぁ……!」
香子は【空中歩行】で式神を飛び越えてビルの2階の窓枠に掴まる。
詞は右手から【操影】で影を伸ばし、自分の体を引っ張るようにしてビルへと飛び込んだ。
「っ……!」
「明乃ちゃんセーフ!」
明乃は式神の軍勢に吞まれかけながらも大盾で身を守りつつビルに滑り込んだ。
一方で――
「っく……!」
景一郎は悔しさに声を漏らした。
彼は矢印を踏んでビルを目指したのだが――間に合わない。
皆のいるビルまであと数メートルという位置で式神が彼へとかぶさってくる。
「お兄ちゃん! 【操影】!」
詞が影を伸ばし、景一郎の救助を試みる。
だが、影の縄は式神に呑まれて砕ける。
「リゼちゃんも!」
それでも詞はもう一方の手で影を伸ばす。
標的はグリゼルダ。
彼女は立ち位置が悪く、景一郎よりもビルから離れている。
「我は構わぬ! それより、そっちに敵が向かっておるぞ!」
だからだろう。
グリゼルダは影に手を伸ばすことさえしない。
その代わり、警告を飛ばした。
――雪子が、頭上から詞を狙っていたから。
☆
「のわぁ!?」
ギロチンのように詞の首元へと振り下ろされる雪子のナイフ。
彼はそれをギリギリで弾く。
「そっち行ったよ!」
雪子は詞に弾かれた勢いを利用し、そのまま香子へと飛びかかる。
彼女の奇襲を防ぐ香子だったが、彼女の首元に薄い切り傷がつけられる。
「2人減った分、結構苦しくなっちゃったねぇ」
「それでも、やるしかないですわ」
明乃、詞、香子は固まって雪子と対峙する。
景一郎とグリゼルダは分断されてしまった。
すぐに合流することは難しいだろう。
ならば、ここにいるメンバーで戦うしかない。
「ねえねえ香子ちゃん」
「なによ」
「お兄ちゃんからもらったアレ――使わないの?」
小声で詞はそう言った。
先日、景一郎によってプレゼントされた装備。
香子はまだそれを使っていない。
そのことは明乃も気になっていたのだが――
「使わないわよ。アレは、あいつに有利取れるタイプの武器じゃないでしょ」
香子は雪子から視線を逸らさずにそう言った。
確かにあの武器は扱いが難しい。
彼女なりの考えがあっての選択だというのなら、それを尊重すべきだろう。
「ふむふむ。つまりお兄ちゃんからのプレゼントは絶好のタイミングで使いたいってわけだね☆」
「は、はぁ!? なんでそうなるわけっ!?」
「ひゅーひゅー」
一方で、当の本人は詞から茶化されて怒鳴っていたけれど。
「ん……景一郎君からのプレゼント。その件、ちょっと詳しく聞きたい。もしかして指輪だったりするの?」
そんな明乃たちの会話が聞き捨てならなかったのか、雪子が口を挟んできた。
――無表情なはずなのに、少しオーラが暗くなった気がする。
「は、はぁぁぁぁぁぁ!? なな、なんであいつから指輪なんてもらえるのよ!?」
「『もらえるのよ』って言い回し、微妙に期待してる感あるよね」
「うっさいんだけど! ってか、指輪貰ったのってあっちでしょ!」
「思わぬタイミングで飛び火いたしましたわ……」
明乃は溜息を吐いた。
彼女が景一郎から指輪を貰ったのは事実だ。
そして、それは彼女にとって大切なもの。
とはいえそこに含みがないことは百も承知。
「そ れ 本 当 ?」
――しかし、雪子がそんなことを知っているはずもないわけで。
「……すさまじい殺気ですわね」
明乃は口元が引きつるのを感じた。
たった一言。
それなのに、背中を汗が流れた。
その理由は――言葉からあふれる殺意だ。
「良かったね明乃ちゃんっ。タンクとしてヘイト集める手間が省けたよっ」
詞がそうはやし立てる。
確かにタンクは敵の注目を集める必要がある。
なにせ彼女は【面影】の盾なのだから。
「大 幻 想 陣 を 出 た ら 2 人 き り で 会 い た い」
「試験が終わっても尾を引くレベルのヘイトを稼いでいますわよ!?」
とはいえ、物事にはやりすぎというものがあるのだ。
☆
「結局――ご主人様ともはぐれてしまったようだな」
グリゼルダは周囲を見回す。
彼女を囲むのはコンクリートジャングル。
正直、彼女の目には建物がすべて同じに見えている。
「……どちらに行けば合流できるのかも分からないではないか」
式神に呑まれながらも、彼女は身を護るために氷の外殻を作り出していた。
それによって式神に圧殺されることを避けたのだ。
一方で、ここまでどういった道順で来たのかが分からなくなってしまっている。
つまるところ、今の彼女は迷子だ。
「あらあら。景一郎君は別のところに流れてしまったんですね」
そんなグリゼルダに声をかける存在が1人。
女性は巫女服を纏い、彼女の背後に着地した。
「糸見菊理――であったか」
グリゼルダは首だけで振り返る。
彼女の視線の先には淑やかな雰囲気を纏う女性がいた。
「1対1、だな」
「ええ」
グリゼルダの言葉に、菊理は柔らかな表情で答えた。
2人に気負いはない。
確信しているのだ。
自負しているのだ。
「まあ構わぬ。巻き込む心配もないというわけなのだからな」
1対1でぶつかったのなら、勝つのは自分であるのだと。
グリゼルダVS糸見菊理は後ほど。
次話はVS雪子の決着編となります。




