5章 10話 乱れる盤面
「――――」
光の刃が明乃の腕を断つ。
彼女の右手が下へとズレ、握った炎剣と共に落ちてゆく。
【エリアシールド】は光刃に貫かれたことでヒビが広がっていた。
結界が崩壊したタイミングを突き、雪子が接近している。
即死スキルを当てるには、範囲防御を持つ明乃が邪魔になる。
ここで彼女を討ち取るつもりなのだろう。
「ッ、ぁぁっ……!」
とっさに明乃は左手の大盾を手放す。
タンクが盾を捨てるという最悪の愚行。
だが決して、彼女は勝負まで捨てたわけではない。
「【レーヴァテイン】!」
明乃は空いた左手で、落ちてゆく炎剣を掴んだ。
そしてそのまま地面に叩きつける。
噴き上がる爆炎。
それは地面をめくり上げ、雪子の接近を拒む。
「ぁぐッ……!」
無秩序な爆風は明乃自身をも巻き込んで吹っ飛ばす。
しかし、それこそが彼女の狙い。
爆風で彼女の体は後方へと飛ばされ、雪子との距離が開いた。
「大丈夫か……!?」
飛ばされた明乃が地面に落ちるよりも早く、景一郎が落下地点に回り込んで彼女の体を受け止めた。
「大幻想陣の中で心底助かりましたわ……!」
明乃は痛みに顔を歪めながらそう漏らす。
今の彼女の体は幻術系の魔法で作られたものだ。
腕を斬り落とされたところで現実に影響はない。
――もしこれが現実世界での戦いだったらと思うと冷や汗が噴き出した。
「ちょっと待ってくれ。今、治す」
そう言うと、景一郎が明乃の背中を撫でた。
優しく、温かい掌。
そして――
「――っと。こうか……?」
景一郎が息を吐く。
「トラップ・セット――【概念展開】――【時流遡行】」
景一郎がそう唱えた。
そして――明乃の右手が再生してゆく。
【概念展開・時流遡行】。
それは景一郎のトラップ。
その効力は『対象の時間を巻き戻す』というもの。
今回は明乃の体を巻き戻し、腕を再生させたのだ。
「――問題ないみたいだな」
「……助かりましたわ。腕がないのでは、すぐに脱落するのは目に見えていましたので」
「それは……良いお手本がいたおかげだな」
景一郎が微妙な表情を浮かべる。
アナザー。
彼の言うお手本とは彼のことだろう。
彼とそっくりなモンスター。
【時流遡行】はアナザーが使っていたスキルだ。
以前に見たことがあったスキルだったからこそ、使用方法に迷いがなかったというわけだ。
「わぉ。いつのまにか景一郎君がヒーラーになってる」
雪子が足を止めてそう言った。
彼女も今回のトラップを見るのは初めてのはずだ。
それでも動揺らしい動揺を見せないのはさすがというべきだろう。
「ところでお兄ちゃん。あんな狙撃があるとか聞いてないんだけどぉ」
詞はジリジリと後退しながらそう言った。
「悪い――俺も初めて知った」
それに対する景一郎の言葉は――謝罪。
伝え忘れていた、ではない。
初めて知った。
彼はそう言った。
「確かに紅は魔法剣術で戦う。でも、あんな戦い方を見た記憶がない」
「へ?」
詞が変な声を漏らした。
しかしその気持ちは【面影】全員が抱いたものだ。
影浦景一郎は元【聖剣】だ。
そもそも、冒険者となるよりも前からの知り合いなのだという。
そんな彼が――知らなかった。
普通ならあり得ないことだ。
「あんな長距離狙撃は、ダンジョン攻略で使うような技術じゃないからな」
苦々しげに景一郎は口にした。
ダンジョン内の地形は多岐にわたる。
すべて違う地形である以上、長距離狙撃を行う機会はかなり限られる。
狙撃には地形への理解が必須だからだ。
まして数キロ以上離れた狙撃なんてダンジョンでするわけがない。
「それに、目視できない場所を狙うには誰かが代わりにターゲットを捉えている必要がある。パーティで固まって戦っていたらまず使う機会のない技術だ」
――おそらく今回は、現場にいる雪子が狙う地点を指定していた。
しかしこれは、今回の試験特有のルールがあってこそ。
普段の攻略であればパーティ全員が固まって移動するのが原則であり、数十キロも離れた場所にパーティメンバーがいるはずもない。
だとすると――
「だから多分、あれは――即興だ」
明乃の脳裏をかすめ、それでいてあり得ないと判断した可能性。
景一郎はそれを口にした。
「理論上は届くはず。それなら当てられる」
仲間から場所を教えてもらっただけで、その場所を正確に斬れる。
それこそ1ミリの誤差も許されない状態で。
あまりにも馬鹿げている。
「――そういうパーティなんだよ……【聖剣】は」
だけれど、馬鹿げているからこそ――彼女は最強と呼ばれるのだ。
☆
「――当たりましたか?」
とあるタワーの頂上。
針のような足場に立ち、鋼紅は戦場を俯瞰していた。
『ん。だいじょび』
インカムから雪子の声が聞こえてくる。
どうやら狙撃は当たっていたらしい。
初めてだったけれど、やれば出来るもののようだ。
「それでは次は――いえ」
次の狙撃はどこにするか。
そう問おうとして、紅は言葉を区切った。
「すいません。しばらくは狙撃できません」
『敵に見つかった?』
紅は足元へと目を向ける。
するとそこには5人の冒険者が殺到していた。
そのうちの3人が魔法を撃つ準備を始めている。
3人の魔法使いを2人のタンクが守る。
そんなパーティのようだ。
紅のいる場所は地上200メートル地点。
そして――近くに逃げ場はない。
回避のために跳んでしまえば、地面に降りるまで身動きが取れない。
狙うには絶好のタイミングだろう。
「――はい。ですので、30秒ください」
とはいえ、それくらいで討ち取られるつもりはないのだけれど。
『あらあら。ゆっこさんばっかり楽しそうですね』
そんな会話を交わしていると、新たな声が聞こえてきた。
糸見菊理だ。
『ん。菊理。そっちは?』
『パーティを2つほど。でも、あまり楽しめていませんね』
雪子の言葉に、菊理は嘆息する。
どうやら菊理にとって物足りない相手ばかりだったらしい。
『せっかくですし、私もそちらに向かってみましょうか』
そして菊理の矛先が【面影】へと向けられる。
――雪子が言うには【面影】は才能のある冒険者ばかりらしい。
菊理もそれを聞いて興味を持っているのだろう。
「――なら、私はこれから中央区のパーティを倒しておきます」
雪子と菊理が向かうのなら、紅の出る幕はないのだろう。
――それに、景一郎と顔を合わせるのが躊躇われる。
ゆえに紅は、他の地区を担当することにした。
『ん――近くにいたパーティは?』
「――もう倒しました」
――すでに、北区にいるパーティは壊滅させてしまったから。
☆
「ん……」
雪子が後方に跳ぶ。
詞のナイフが彼女の鼻先を掠めた。
「惜しいっ」
ここで仕切り直し。
しかし、あと一歩で有効打を与えられていた。
悔しさと嬉しさをにじませて詞は笑う。
「――次は獲るわよ」
香子は険しい表情で雪子を睨んでいた。
「ん。さすがに4対1はキツい……」
雪子はそう漏らす。
景一郎。
詞。
香子。
グリゼルダ。
4人からの猛攻は確実に雪子を捉えつつある。
雪子は両手と、影による腕――計4本の腕を使って攻撃をしのいでいる。
だがそれを操るのは彼女1人だ。
どうしても限界は来る。
このまま戦っていれば、あと1~2回の攻防で雪子を獲れる。
「景一郎君。私、景一郎君に責められてキツキツになってる。それも前後左右。上も下も。感想が聞きたい」
「…………ノーコメントだ」
景一郎は息を吐く。
雪子の言動にはペースを狂わされる。
――逆に言えば、まだ彼女は自分のペースを乱していないということだ。
「ん……さすがに正面突破は分が悪い」
雪子の目が細められる。
――来る。
そろそろ、彼女があれを使う頃合いだ。
彼女が――最強の暗殺者である理由を。
「――――――【隠密・無縫】」
(――来た)
雪子の姿が霞となり消えてゆく。
【隠密・無縫】。
それは忍足雪子のユニークスキル。
【隠密】系最強のスキル。
気配を感じないだけではない。
彼女が【隠密・無縫】を使用している間は、この世界にいる全人類が『忍足雪子を忘れてしまう』のだ。
忘れてしまうのだから、探そうともしない。
見つからないだけではない、誰も見つけようとさえしないのだ。
「……………………」
ゆっくり歩いてくる雪子。
足音だけが聞こえてくる。
「うわ……どこぉ?」
「ったく……本当に見えないわね」
「うぬ……ここまで高次元な【隠密】は初めて見る」
「まったく気配がありませんわ……」
詞たちは周囲を見回している。
だが雪子の姿を捉えられていないようだ。
「……みんな私を覚えてる」
雪子の声が聞こえた。
「景一郎君。本当に強いパーティなんだね」
どこか嬉しそうな声。
彼女の【隠密・無縫】は他人の記憶からも消える。
だが例外はある。
それは雪子とのレベル差が一定以下である場合。
この場にいる全員が雪子を忘れないということは、それだけ【面影】が強いということだ。
「でも見えないし、聞こえないし、嗅ぎ分けることもできない」
だが、覚えているだけ。
あらゆる器官は雪子の存在を捉えていない。
ゆえに、いくら警戒しても雪子の襲撃を防げない。
「だから――終わり」
雪子は死の刃を振るう。
「ここだッ……!」
――それが、景一郎にとって絶好のチャンスとも気付かずに。
景一郎は足元に矢印を展開した。
そして――雪子がいるはずの場所へと跳ぶ。
【面影】は雪子の位置を特定できなかった。
――景一郎を除いて。
彼とて完全に雪子の位置が分かるわけではない。
声と、足音がかすかに聞こえるだけ。
それでも分かるのだ。
次に雪子がどうするのか。
――友達だから。
「んッ……!?」
雪子の声が眼前で聞こえた。
景一郎が伸ばした手が虚空で止まる。
――何かを掴んでいる感触があった。
これは間違いなく、雪子の体だ。
「ゆっこの弱点」
――捉えた。
確かな感触に、景一郎は微笑む。
「それは――【隠密・無縫】への絶対的信頼」
【隠密・無縫】は強力なスキル。
レベル200オーバーの冒険者でさえ、足音を聞くこともできない。
だからこそ――
「隠れてるからって――足音を消すの忘れてるぞ?」
だからこそ――【隠密・無縫】を使った雪子は油断する。
足音を消すという【隠密】の初歩を怠ってしまった。
気配を殺すことより、1秒でも早く【面影】を殺すことを優先してしまった。
「景一郎君は見えて――んぐぅっ……!?」
雪子が手を打つよりも早く景一郎は短剣を振るう。
肉を裂く感触。
彼の刃は彼女の鎖骨を断ち、内臓を引き裂いた。
たった1撃。
それでも、あまりに重い1撃だった。
「ん……油断した」
雪子は拘束を振りほどく。
そして1秒と経たず、景一郎から少し離れた位置に出現した。
――【隠密・無縫】が解けたようだ。
雪子の体には左肩から袈裟斬りの傷が引かれている。
その傷は深く、傷口から流れる血には泡が混じっていた。
斬撃が肺にまで届いたのだろう。
「紅と菊理くらいしか見えないから、警戒を怠った。致命傷」
「鎖骨ごと肺まで斬ったんだ。勝負ありだろ」
景一郎は短剣を彼女へと向ける。
戦闘続行は難しい深手。
すでに【隠密・無縫】で姿を隠す余力もない。
戦局は完全に決していた。
そのはずなのに――
「残念だけど――それを言うにはちょっと遅かった」
雪子はそう告げる。
空気が抜けるような呼吸音を鳴らして。
今にも倒れそうな体で。
それでも己の敗北を否定した。
「…………なんだ?」
そこで景一郎はある異変に気が付いた。
――暗いのだ。
周囲に影が広がっている。
まるでここだけに分厚い雲がかかっているかのようだ。
「――――マジか」
異変の正体を探るために顔を上げ、景一郎は目撃した。
空を覆う100もの化物を。
彼は知っていた。
あれの正体を。
あれが――誰に召喚されているのかを。
「ん………………百鬼夜行が――ここまで来た」
空には――100の式神を従えた糸見菊理がいた。
Aランクパーティ残り6
【面影】:南区にて忍足雪子と交戦中
忍足雪子:南区にて【面影】と交戦中
糸見菊理:東区より南区へと移動、忍足雪子と合流
鋼紅:北区にてAランクパーティと交戦後、中央区へと移動




