5章 5話 そして運命の岐路へ
「……これは?」
景一郎の視界がぐらりとゆがむ。
ひどい眩暈に、彼は思わず膝をついた。
脱出ゲートに向かっていたはずの景一郎たち。
その時、無機質な声が聞こえた。
機械のようなアナウンス。
彼らの体に異常が起きたのはそれからのことだ。
「ぅぅ……体が熱いよぉ」
体の変調を訴えているのは景一郎だけではない。
目を動かせば、床に這いつくばる詞がいた。
彼は俯いたまま肩で息をしている。
――彼に外傷はない。
だが、どう見ても異常だ。
「ん――――体が、おかしい」
透流は力尽きたようにその場でぺたりと座っている。
彼女も眩暈に襲われているのか、目の焦点があっていない。
「ちょ、ここで変なトラップとか発動するわけ……!?」
「いえ……ダンジョンのトラップが発動した様子はありませんでしたわ……」
香子と明乃は壁に寄りかかって耐えていたが、それでも平常通りでないのは明らかだ。
壁に体を預けているおかげで立つことができているが、支えを失えばすぐにでも倒れることとなるだろう。
(何が起こってるんだ……?)
景一郎は思考を巡らせる。
ダンジョンにはトラップが存在していることがある。
いきなり炎が噴き出したり、拘束されたり。
――毒を吹きかけられたり。
だが、経験則で景一郎はその可能性を否定する。
脱出ゲートが存在している時点でこのダンジョンはクリアしている。
ボスを倒した先にトラップがあっただなんて話を聞いた覚えがない。
だとしたら――
「…………? なにをそんなに大げさな反応をしているのだ? レベルアップしただけであろう?」
そんな状況で、声が響いた。
――グリゼルダだ。
彼女だけがただ1人、この場で何の異常も見られない。
ただ頭上に疑問符を浮かべているだけだ。
「レベルアップ……?」
(いや……確かに感覚は似ているけど――)
景一郎はグリゼルダの言葉を咀嚼する。
そして現状と照らし合わせた。
レベルアップをした際に体の内から熱を感じることはある。
それは一気にレベルアップした場合より大きな衝撃として体に降りかかる。
だが、あり得るのか。
ここにいるのは全員、最低でも100回はレベルアップを経験した冒険者だ。
その全員が誤認してしまうほど、激しいレベルアップの反動に襲われてしまうことなんて。
「みんな、冒険者カードを確認してくれ」
うめくように景一郎は言った。
グリゼルダの言葉を確かめるのには、これが一番早い。
彼は懐から1枚のカードを取り出し――固まった。
「……は?」
そこに書かれていたのは3桁の数字。
それは景一郎のレベル。
だがその数字は、あまりにも見慣れないものだった。
「………………220レベル? ダンジョンに来る前より50も上がってるのか……?」
超高レベルなんてものではない。
おそらく魔都でも10本指に入るくらいの高レベルだ。
(レベルが150を越えたあたりから伸び悩んでいたのがこんなにあっさり上がるのか……?)
このダンジョンに潜る前の時点で、景一郎のレベルは160台であったと記憶している。
それが今や220レベル。
レベルアップするごとに必要経験値は増してゆくというのに、50レベル以上も一気に上昇するなど常識外れもいいところだ。
「――わたくしもレベルが上がっていますわ……それも70レベル」
「ボクも60くらい上がってる……」
「アタシは50くらいね」
「ん……40レベル」
カードを確認した面々がそう言った。
それはグリゼルダの言葉が正しかったということ。
景一郎たちに起きた異変はトラップなどではない。
――大量のレベルアップによる反動だったのだ。
「この体の異常は、いきなりレベルが上がったせいだったのか……」
レベルアップの際には力が湧き、体に変化が表れる。
とはいえ普段のレベルアップは1ずつ、多くても3~5レベルくらいしか一気に上がることはない。
だが今回はその10倍前後。
あまりにも激しい感覚であったため、レベルアップによるものだと分からなかったのだ。
「ご主人様。我もレベルが5上がっておるぞ」
グリゼルダも呑気にカードを眺めていた。
――レベルの上昇幅はあまりに小さかったが。
「グリゼルダは俺たちほど一気にレベルアップしていないから反応が薄かったわけか」
グリゼルダは【面影】で一番レベルが高かった。
それこそ200レベル中盤――【聖剣】に匹敵するほどに。
ゆえに大量の経験値を得ても、それほどレベルが上がらなかったのだろう。
結果として、彼女だけがレベルアップの感覚を正確に認識できたのだ。
「もうビックリしたぁ。あんまりすごいから、お兄ちゃんの前でえっちな声上げちゃったよぅ」
身の危険はないと理解して安心したのか、詞が冗談めかしてそう言った。
「安心しろ。こっちもこっちで大変だったから聞いてない」
「むぅ」
頬を膨らませる詞。
ともあれ、まさかレベルアップの反動で倒れることになるとは思わなかった。
毒でも浴びたのかと思って焦らされた。
結果として、それに見合うだけの報酬はあったのだが。
「ん――景一郎さん。私、スキルも覚えてた」
そんな中、透流がそう言った。
彼女はレベルだけでなく、スキル欄についても確かめていたようだ。
「……本当か?」
景一郎は指をカードの表面で滑らせ、自分のスキルについて記された画面を表示する。
そこには――
「――俺もだ」
――見慣れないスキルがあった。
見慣れないスキル。
だが同時に、心当たりのあるスキルだった。
(【矢印・転移】に【概念展開】――――あいつが使っていたスキルだ)
増えていたスキルは2つ。
そのどちらも、アナザーが使用していたスキルだった。
まるで景一郎が――アナザーの背中を追いかけているかのように。
「大量の経験値とスキルがそのままクリア報酬ってわけか」
いつものようにアイテムが手に入ることはない。
おそらくこの経験値とスキルがそのままドロップ扱いなのだろう。
「ロマンはないけど……ありがたい」
一銭にもならない報酬。
しかし景一郎にとってはこの上ないプレゼントだ。
(紅のレベルは、春の時点で250。最低でも200レベルは必要だと思っていたところだ)
レベル差はどうにかするしかないと思っていた。
それでも、【聖剣】とのレベル差を埋めることは至難の業だと理解してもいた。
しかし今回の探索で、その差は大きく縮まった。
「これなら本当に――」
☆
「リリスちゃん。大ニュースだよ」
とある和室で白い少女はそう言った。
彼女は両手を広げ、くるりと回る。
片足を引きずりながら。
「ハ?」
白い少女――天眼来見が声をかけたのは黒髪の少女。
――リリスと呼ばれる少女だ。
しかしリリスは来見の言葉に興味がないようで、その返事は冷淡だ。
「影浦景一郎が、本格的に力と馴染みつつあるみたいだよ」
それでも構わず来見は語る。
「――――リリスちゃんの力とね」
運命の調整を兼ねて、リリスから景一郎へと譲渡させた力。
彼の物語を始めるための力。
結果は成功だった。
予定通り、リリスが景一郎へと接触しようとしていることに気付いた『アレ』は――彼を殺そうとオリジンゲートの向こう側から手を伸ばした。
景一郎は死にかけたが、それさえも掌の上。
むしろ彼が襲われるようにするために、あのタイミングでリリスを向かわせたといってもいい。
――あそこで事故が起こらなければ、彼は見過ごしてしまうから。
電車で、そのまま通り過ぎてしまうから。
将来の仲間となる、冷泉明乃と出会える最後のタイミングを。
事故で電車が大破し、森を歩くという未来が訪れないから。
それからも景一郎は期待に応え続けた。
そしてついに、彼は新たな段階に進みつつある。
「まあ前兆はあったけれどね」
来見は笑う。
「一番はスキル傾向の変化。リリスちゃんがあげたのは『トラップ』のスキルだったのに、最近の景一郎君が目覚めるのは『影』のスキルばっかり」
きっと景一郎も察していたことだろう。
どんどん増えてゆくユニークスキル。
その傾向が変わりつつあることに。
「それはつまり、借り物だった力が、彼自身の本質に合わせて変質している証明だ」
リリスは与えた。
景一郎の職業である【罠士】と相性の良い力を。
「リリスちゃんの力をそのまま振るっていただけの段階から、自分自身の能力を発露する段階にまでは到達した」
だが本来、ユニークスキルとはそんなものではない。
職業との相性なんて考慮してくれるものではない。
ユニークスキルは本人の本質そのものに影響を受ける。
ゆえに職業と相性が悪いことも少なくない。
スキル傾向が変わったのは、それが彼の本質だったというだけの話だ。
「ここまで力が馴染んできたのなら、そろそろもっと高次元のスキルも覚えるのかな?」
与えられた力が馴染んだ。
そうなれば出力が上がるのも必然。
リリスと景一郎。
2人の本質を統合した、より高次元の力へと昇華されることだろう。
「たとえば概念にトラップを仕掛けるスキルとかね。名前を付けるならそうだなぁ――【概念展開】とかになるのかな?」
「知らないシ」
「ツレないなぁ」
来見の笑みは終わらない。
「このままリリスちゃんの力に馴染み、その本質を理解してゆけば――いつか至るんだろうね」
「――――【魔界顕象】に」
もし最初の電車事故が起こらなければ、景一郎は明乃と出会わず、彼女はゴブリンたちとの戦闘で死亡。
そうなると景一郎はスポンサーを得られずに【面影】が結成されない。経験値効率も悪く、第1次オリジンゲート攻略に間に合わない。
などと実は、あの事故はかなり重要だったり――




