5章 3話 アナザー2
「ご主人様の親類でないのなら――万死であるぞ」
グリゼルダはアナザーに手をかざす。
冷めてゆく空気。
直後、大量の氷がアナザーへと襲いかかった。
「――――矢印」
アナザーが唱えると、彼の右手の甲に矢印が出現する。
彼はそのまま、右手を盾にして氷撃を受け止めた。
――氷撃の進路が真横へと切り替わる。
「ひょわぁぁぁぁぁ!」
部屋に響いたのは詞の悲鳴。
アナザーは、詞へと向けて氷撃を弾いていたのだ。
想定外のタイミングでの一撃。
それでもなんとか詞は氷撃から逃れる。
彼がスピードアタッカーであったことが幸いした。
彼の速力が少しでも足りていなければ、すでに氷漬けとなっていたことだろう。
「矢印」
氷撃を弾くことで【面影】の動きをわずかに乱したアナザー。
綻んだ連携。
彼はそこを突く。
彼は矢印を踏み、空中に跳び上がった。
さらに彼は空中で矢印を展開し、氷を飛び越えるように移動すると――
「ッ……!」
アナザーは短剣でグリゼルダに斬りかかる。
前衛を無視し、マジックアタッカーを先に落とす。
グリゼルダもこの展開は予想していたのだろう。
彼女はあらかじめ作り出していた氷剣でガードする。
「矢印――矢印――矢印」
アナザーは矢印に乗り、グリゼルダを包囲するように飛び回る。
高速で彼女の周囲を飛び、隙あらば斬撃を叩き込む。
グリゼルダも攻撃を防いでいるものの、縦横無尽に移動するアナザーを捉えきれない。
反応が遅れるたび、彼女の背中や腕に切り傷が増えてゆく。
「ぐぬ……邪魔、だぁっ……!」
痺れを切らしたグリゼルダが魔力を高める。
捕らえられないのなら、範囲攻撃で。
その理屈に間違いはない。
だが――
「待て――!」
景一郎は制止の声を飛ばす。
だが、すでに彼女は全方位に氷撃を放出していた。
「矢印――多重展開」
そしてアナザーはすでに――矢印でグリゼルダを取り囲んでいた。
大量の矢印。
そのすべてが――彼女へと向いている。
「ぐぬぅ……!?」
悲鳴。
魔法を撃った直後、彼女は自分の魔法に押し潰されていた。
彼女の魔法がすべて、矢印で彼女のもとに戻ってきたのだ。
とっさに威力を抑えたのだろう。
そのためグリゼルダは致命傷を負ってはいない。
しかし全身を氷に強く圧迫されたことで、彼女はその場で膝をついた。
「――――――――」
グリゼルダが見せた隙。
アナザーは躊躇なくそこに刃を振り下ろす。
「退きなさいっての……!」
そんなアナザーの攻撃を妨げたのは香子の射撃だった。
彼女は銃撃を繰り返してアナザーを追い払う。
「ちょろちょろ動き回って鬱陶しいわね。服も黒いし、ゴキブリかってのよ」
「……同じファッションで同じことしてる奴がパーティ内にいることを少しは考慮してくれ」
「うっさいわね。あっちのほうがアンタより速いのよ」
「それはそれで傷つくんだけどな……」
景一郎は嘆息した。
――アナザーは景一郎と同じスキルを使えるだけではない。
一言で言うのなら、巧い。
自分の能力を活かす狡猾さを持っていた。
「矢印――」
「来るぞ……!」
アナザーの足元に矢印が現れる。
その方向は景一郎と香子がいる位置。
景一郎たちは警戒を強める。
だから気が付いた。
矢印のデザインが――少し異なることに。
「――転移」
アナザーが矢印を踏む。
その直後――彼の姿が消えた。
「……は?」
予想していない光景に、香子が声を漏らす。
アナザーが消えた。
見失ったのではない。
一瞬にして、忽然と姿を消したのだ。
「! 後ろだ!」
一瞬遅れて、景一郎はアナザーの気配を察知した。
彼がいたのは――香子の背後だ。
――【矢印・転移】。
想像でしかない。
だがおそらくあのトラップは、矢印の方向の一定距離地点までワープするトラップなのだ。
ワープしたのなら、目で追えるはずもない。
「痛ぅッ……!」
反射的にアナザーから距離を取る香子。
しかし、彼の斬撃は彼女の足を抉る。
香子の太腿に深くめり込む刃。
骨に達するほど深い斬撃。
だからだろう。
骨に刃が食い込む瞬間、斬撃の速度が緩んだ。
「これで――!」
香子はそのタイミングを逃さない。
彼女は拳銃を捨て、アナザーの手首を掴んだ。
アナザーは腕を掴まれたことで逃げるタイミングを失う。
時間にしてしまえばほんの1秒。
だが戦闘において、1秒は大きい。
「――対価はきっちりもらうわよ」
――1秒は、剣で腕を斬り落とすには充分すぎる時間だ。
飛び散る鮮血。
アナザーは腕を失いながらも距離を取る。
「アタシたちは6人で足1本。アイツは1人で腕1本。悪くないでしょ」
膝をつきながら香子はそう言った。
命にかかわるような傷ではないが、さすがに平気で歩き回れるほど軽くもないのだろう。
「ナイスカウンターだ。無茶苦茶だけどな」
景一郎は苦笑する。
先程の攻防。
香子はわざと、アナザーの攻撃を足で受け止めた。
彼に背後を取られた時点で、彼女は攻撃を躱しきれないことを察したはずだ。
だから――躱さなかった。
足を使ってアナザーの斬撃を受け止め、カウンターを仕掛けるためのキッカケを作ったのだ。
躱せないなら、身を切ってのカウンターを。
そんな判断が一瞬で下せるのは、彼女の戦闘センスあってこそだろう。
「矢印――【概念展開】」
腕を失い、戦闘力を大きく削がれたアナザー。
決着は近いと思われた時、彼は新たなスキルを使用した。
「【時流遡行】」
直後、彼の腕が生えてくる。
再生する。逆再生のように。
まるで、時が逆転したかのように。
ほんの数秒でアナザーの腕は元通りに治っていた。
「うわ……腕生えてきてるし。ほんと気持ち悪いんだけど」
目を細める香子。
足を犠牲にして奪った腕がすぐに治癒したのだ。
彼女は眉を寄せてアナザーを睨む。
「てか、アンタより色々スキル持ってんじゃないの? ひょっとしてアイツのほうが本物だったりしないわよね?」
「人を下位互換呼ばわりするな」
景一郎は大げさに息を吐く。
とはいえ、アナザーは景一郎と同じスキルを持っており、さらに景一郎が持たないスキルまで有している。
――ただの瓜二つなモンスター、というわけではなさそうだ。
「スキルで負けてても! お兄ちゃんは! 周りに可愛い女の子がいっぱいいるから!」
「それむしろマイナス要素でしょ。ちょっとロリコン風味だし」
「んんぅ……可愛い男の子もいるもんねぇ。うふふ。お兄ちゃんたらご立派な趣味をお持ちのようでぇ」
「お前らは俺とアイツのどっちを倒そうとしてるんだ? 俺のほうがダメージ受けてるだろ」
いきなり参戦したあげく爆弾を投下した詞へと景一郎は冷たい視線を向ける。
「――――」
こんな軽口を躱している間も戦場は動く。
景一郎たちを見据えていたアナザーが腕を上げた。
「――――【斬】×2+【矢印】」
アナザーの号令に従い、彼の掌に斬撃の球体が現れる。
鳴り響くのは甲高い音。
それは無数の斬撃が擦れ合う音だ。
斬撃トラップ2つ分の斬撃を、矢印によって球形に押し固める。
景一郎が考案した【重力砲】のように射出性能はないが、2つ分のトラップを圧縮した球体が内包する攻撃力は予想もできない。
「アンタさ……あんなのもできるわけ?」
「できるけどあの発想はなかった」
「頭のデキまで負けてるじゃん」
「言うな」
近距離戦でしか使えない、威力特化のトラップ融合。
欠点も多いが、当たれば大きい必殺技といったところか。
「矢印」
アナザーが動き始める。
彼は圧縮された斬撃を携え、景一郎たちとの距離を詰める。
「俺が行く……!」
そう言うと、景一郎は迎撃に向かう。
おそらくあの斬撃の塊は直接触れていいものではない。
触れたらその部位はミンチだろう。
「矢印」
だから、絶対に触れない方法を使う。
景一郎は掌に矢印を貼り付けてアナザーと対峙する。
突き出される両者の腕。
景一郎は矢印を。
アナザーは斬撃弾を叩きつけ合う。
そして――アナザーの腕が下に逸れた。
矢印はすべての物体の動きの向きを変える。
どんなに威力が高くとも、攻撃が景一郎の肌に届くことはない。
下方向の矢印に引っ張られ、アナザーの腕が地面へと向かう。
姿勢を崩すアナザー。
景一郎は残る一方の手で彼にトドメを刺そうとするが――
(弾かれるのを予想して、軌道修正用の矢印を――!)
アナザーの腕。
その下に矢印が見えた。
矢印は上――景一郎へと向いている。
アナザーは矢印で攻撃を弾かれることを想定し、軌道修正のためにもう1つ矢印を展開していたのだ。
逸らされても、確実に景一郎へと攻撃を当てられるように。
「最後の一手で――詰めをしくじったな」
両者とも、すでに攻撃を中断できないタイミング。
殺すか殺されるか。
その瀬戸際。
そんな状況で景一郎は笑う。
――勝ちを確信して。
「ん……先に使わせてもらった」
景一郎とアナザー。
肉薄する2人を横断するように氷弾が撃ち込まれた。
虚空からの狙撃。
それは――アナザーの手元にある矢印へと着弾した。
「――――――」
矢印が物体に干渉できるのは1度だけ。
アナザーよりも早く狙撃が矢印に触れたことで、彼が軌道修正のために準備した矢印は消えてしまう。
それだけではない。
矢印に触れたことで、魔弾が上方向へと軌道を変える。
変化した弾道のまま突き進む魔弾は――アナザーの手首を撃ち抜いた。
軌道を補正するはずだった矢印が消失したことで、アナザーはあっさりと狙いを外して地面に斬撃弾を叩き込んでしまう。
渦巻く斬撃が床を破砕し、砂煙を巻き起こした。
「――――悪いな」
この場にいるのは2人。
短剣を振り上げて構える景一郎。
腕を地面につけたまま膝をつくアナザー。
それはまるで処刑人と、死を待つ者。
「仲間がいたなら、お前は俺より強かったと思うぞ」
斬撃がアナザーの首に打ちおろされた。
透流「影に関するダンジョンだから『影』浦……これは……んんっ……」
詞「ちょ……そんなにイジったらお兄ちゃんが可哀想だよぉ……えへへ」
香子「寒すぎて正直ちょっと引くんだけど」
景一郎「マジで余裕だなお前ら……」




