5章 プロローグ 皇女の凱旋
「なるほど……なるほど……!」
冒険者協会。
最新鋭の設備が揃えられた施設。
そこで金髪の女性――グリゼルダ・ローザイアは目を輝かせていた。
まばゆいほどに純粋な輝きを宿す金髪。
白雪のように透き通った肌。
露出の多い純白のドレスからは、煽情的な肢体がこれでもかと主張をしている。
「なるほど、ここで実力を示せたのならばご主人様と同じパーティに入れるのだな?」
「…………ああ」
キラキラとした目を向けられ、景一郎は目を逸らす。
初めて出会ったときのような冷たい美貌はそこにはなかった。
あるのは、妖艶な容姿とは裏腹に幼げな行動が目立つ美女である。
「ご主人様」
景一郎を置き去りにして駆けたかと思えば、グリゼルダは立ち止まって振り返る。
彼女は無垢な笑みで彼の顔を覗き込んでくる。
彼女の表情は、何かへの期待に満ちていた。
「……なんだ?」
景一郎は気乗りしないまま続きを促した。
「我がBランクになったらご褒美が欲しいのだ」
ご褒美。
グリゼルダの要求はシンプルだった。
――あれから、暫定的にだがグリゼルダを【面影】に加えることとなった。
リスクの塊である彼女だが、その戦力は景一郎にとってあまりにも魅力的であったから。
未来を変えなければならない彼にとっては。
とはいえ問題もある。
オリジンゲート攻略に参加できるのは最低でもAランクパーティ。
そしてAランクパーティの条件は、全員がBランク以上の冒険者であることと、過半数がAランク冒険者であることだ。
幸い【面影】には3人のAランク冒険者がいる。
パーティが6人に増えても過半数をAランク冒険者が占めていることに変わりはない。
しかし全員がBランク冒険者という条件が問題となった。
グリゼルダは冒険者登録をしていない。
――もっとも、ダンジョンで暮らしていた彼女が冒険者登録をしているわけもないのだけれど。
そんな理由から、彼女を早急にBランク冒険者にしておく必要があったのだ。
「ご褒美……か。いちおう……聞くだけ聞いておく」
断っても面倒な予感がしたので、景一郎はとりあえずグリゼルダの要求を聞いておくことにした。
余程の無茶でなければ――
「抱っこ♪」
「やめろお前マジでやめろ」
超弩級の無茶だった。
(お前の発言のシワ寄せが誰に来ると思ってるんだ)
不本意ながら、景一郎とグリゼルダは主従関係にある。
それは【光と影】による洗脳効果ゆえのこと。
しかし【光と影】には精神を支配する能力がないため、このやりとりは本物――洗脳される前のグリゼルダに筒抜けなのだ。
当然、洗脳効果が解けても一切忘れられることはない。
――ここで呑気に抱き合ったら後が怖い。
今でこそ肉体を完全に支配しているが、その支配も永遠ではないのだから。
「そんなぁ……!? これはもしや、ご主人様は我のことが嫌いだったのか……!?」
しかし、そんな事情を知らないのが今のグリゼルダだ。
景一郎に拒絶され、彼女はふらふらと後ずさる。
彼女の目には涙が浮かんでいた。
「ご主人様見捨てないでぇ……! 我なんでもするからぁ……!」
「ちょ、待ッ……!?」
グリゼルダが大声でそう叫んだ。
――現在時刻は正午過ぎ。
休日ほどではないが、冒険者が多く訪れている時間帯だ。
そんなタイミングで、彼女の悲痛な叫びは部屋中へと響き渡った。
「体も好きにしていいからぁ……! 夜もご主人様のために頑張るからぁ……!」
「本当にやめろぉ!」
周囲の冒険者からの視線が刺さって痛い。
確実にグリゼルダ(本物)の憎悪が膨れ上がったのを確信して胃が痛い。
――彼女の隷属が解けた際には絶対殺される。
そう確信した瞬間だった。
☆
「ふ……ついにこの日が来た」
「前回は意味の分からない【罠士】のせいで散々だったからな」
「絶対、あの後に出てきた計測器は偽物だったね。じゃないと、あの【罠士】が合格で、俺たちがBランクに昇格できない道理がない」
3人の少年が語り合う。
「とはいえ、俺たちは不幸な境遇を憂うだけの惰弱な連中とは違う」
「ああ。あれから俺たちはパーティを組み、実力を高め合った」
「たとえ不正まみれの試験だったとしても、今の俺たちは実力だけで打ち破ることができる」
彼らはかつてここで出会った。
ただBランク昇格試験を受けに来ただけの他人同士。
本来なら顔さえ覚えずに終わる関係だった。
しかし彼らは強い絆で結ばれることとなる。
きっかけは1人の【罠士】。
彼は珍妙な技術でこの試験をパスした。
――いや、あの【罠士】が本当に合格基準に達していたのかは疑問が残るのだが。
そしてそれ以降、彼らのテストは散々だった。
機材の交換のために待たされたせいで調子を崩したのか、結果は不合格。
本来であれば一流と呼ばれてしかるべき彼らは世の理不尽に一度沈んだ。
だが、折れてなお復活した一流はいわば超一流。
彼ら3人は悔しさを噛み締め、どんな状況であろうとも試験をパスできるだけの実力を積み上げてきた――!
「――ここが試験会場で問題ないのか?」
「はい」
そんなとき、声が聞こえた。
それは女性の声。
声だけでも美しいと断言できる。
しかし振り返れば、己の想像力が貧困であったことを痛感させる存在が立っていた。
そこに立つ存在の美しさはもはや神話の領域に踏み込んでいた。
「グリゼルダ・ローザイア様――本日、冒険者登録をなさったんですね」
「うむ。ここの結果で最初のランクが決まるのだろう?」
「はい。初期のランクが高いとパーティへの勧誘も増えますし、頑張ってくださいね」
ここで行われるのは魔法を駆使する職業の試験。
つまり彼女も魔法を使って戦うタイプの冒険者なのだろう。
「入るパーティはもう決まっているのだ」
女性――グリゼルダというらしい――はそう言って試験官の女性に背を向けた。
迷わず勧誘したくなるような女性だったが、どうやらすでに先を越されていたらしい。
「今日が冒険者登録日――新人か」
「可哀想に。熟練の俺たちと並べられて、自信を喪失したりしないだろうか」
「熟練の俺たちは不正まみれの試験だろうと構わない。それを突き破るだけの修業を積んできた。だが、せめて彼女だけでも公正な試験をさせてもらえることを祈ろう」
彼らはそう語り合う。
彼女の美貌が理不尽に穢されることがあってはならない。
そう思わずにはいられなかった。
だが冒険者はシビアな世界。
あくまで実力主義。
であれば手心を加えてしまうのは彼女のためにならな――
「それではこれより、魔法部門の能力検査試験を開始いたします」
彼らの思考を遮るようにして試験官の女性が声を上げた。
「あちらに標的がございます。これから順番に、白線より離れた位置からターゲットに魔法を撃っていただきます」
彼女が説明したのは以前と同じ形式の試験だ。
ターゲットを狙うことで、魔法の威力、速射性、射程などを測るのだ。
「あのターゲットには魔力測定器が内蔵されていて、皆様の魔法の威力を測定いたします」
しかし、あくまで最優先は威力。
Bランク冒険者が挑むのはC~Aランクのダンジョン。
そこに住むモンスターに有効打を与える必要があるのだから。
「ターゲットは対魔法素材で作られていますので、思いきり攻撃していただいて構いません」
とはいえ、毎度ターゲットが壊れていてはコストがかかりすぎる。
そのためターゲットは高ランクの魔法耐性を持つ素材で作られていた。
――以前の試験の後に調べたのだが、あれはAランクの【ウィザード】でも破壊できない代物だという。
そこから導き出される結論は、あの【罠士】が壊したのは、もっと脆い素材で作られたターゲットだったということ。
つまり不正。QED。
「それでは――最初はグリゼルダ様からお願いたします」
「ふ……良い判断だ」
「ああ。俺たちとの実力差を見せつけられてメンタルが崩れてしまえば十全な魔法は撃てないからな」
「俺たちは見守ろう。新たな同胞の門出を。実力を見せるのはそれからだ」
彼らは温かい視線でグリゼルダの魔法を見守る。
緊張するだろうがぜひ実力を遺憾なく発揮してほしい。
心からそう願う。
「――ここからで良いのだな?」
「はい」
グリゼルダは試験官に確認を取ると、手を伸ばした。
ターゲットに掌をかざし、口にした。
「一応……威力は抑えておく」
次の瞬間、爆発が起きた。
いや、爆発ではない。
――氷だ。
大量の氷が放たれ、その余波で氷が部屋を埋め尽くしたのだ。
津波のように進撃する氷撃。
それはターゲットを呑み込み――協会の壁をぶち破った。
氷はそのまま空を伸び、数十メートル規模の橋となる。
「「「あばばばばばばばばば」」」
あまりにすさまじすぎる大魔法。
彼らは揃って白目を剥いて固まった。
彼らだけではない。
試験官の女性も、目の前の光景に瞠目している。
「やはり部屋が脆すぎるのではないか……? これでもかなり抑えたつもりだったのだが」
冷静だったのはたった1人。
グリゼルダだけだった。
もっとも、この場では冷静でないことが正常な反応なのだけれど。
「そ、測定……不能です……。というか……ターゲット回収不能です……」
試験官は震えながらそう言った。
彼女のスーツはところどころが白く凍っている。
見た目はスーツだが、彼女の服も冒険者用の装備のはずなのだが――
「これでBランクになれるのか?」
グリゼルダは興味なさげに試験官へと歩み寄る。
「は、はい……充分すぎます」
魔法耐性のあるターゲットだけではない。
冒険者が暴れても大丈夫なようにと作られているはずの協会の壁を破壊したのだ。
それはつまり、彼女の魔法を測れる道具どころか、彼女の魔法を受けても壊れないものがこの場には1つたりとも存在しないということだ。
「では早くサインするのだ。我は1秒でも早くご主人様のパーティに入りたい」
「はい……」
グリゼルダに催促され、試験官は試験結果を記入してゆく。
――試験官の手が震えていたのは冷気のせいだと思っておいたほうが良いだろう。
「これで今日からご主人様とダンジョンに潜れるのだ……!」
戦慄の最中にある試験会場。
その中心で、グリゼルダは無邪気に笑っていた。
すさまじい温度差である。
「おい。グリゼルダ? なんかすごい音がしたけど――」
そんなとき、部屋の扉が開けられた。
そこから顔を覗かせたのは――以前見た【罠士】だった。
「「「あれは――」」」
「ご主人様ぁッ……! 我はBランクになれたのだっ! これでご主人様のパーティに入れるのであろう!? であろう!?」
「「「え?」」」
グリゼルダが発した言葉で、部屋がまた凍りついた。
妖姫のような美貌で、鬼神のような氷魔法を放った彼女が――男をご主人様と呼んだのだ。
「そうか良か――って、おい……。あれ弁償とかないよな……? 俺の時は大丈夫だったけど、さすがに俺も壁までは壊さなかったからな……」
【罠士】の男は部屋に空いた大穴を見てぼやいていた。
どうやら彼にとってもグリゼルダの暴挙は想定外だったらしい。
「あんな美人が――」
「あんなとんでもない魔法を使って――」
「あの【罠士】をご主人様って呼んだ…………?」
青年たちはフリーズする。
もっとも、すでに彼らの体も半分ほど物理的に凍っていたのだが。
――ちなみに【罠士】は逃げるように部屋を立ち去っていた。
罰金関連の話が浮上する前に逃亡することを選んだようだ。
「あ、あのぉ……も、申し訳ありません……検査室が重大な被害を受けたため、残りの皆様の試験は後日とさせていただいてもよろしいでしょうか…………」
「「「…………はい」」」
彼らのBランク昇格は次回へと持ち越された。
グリゼルダが冒険者登録をしたことで、【面影】と共にダンジョンへと潜れるようになりました。