4章 15話 白と黒
「おやおやおやおやおやぁー」
そこは和室だった。
時代劇なら権力者が座していそうな広大な座敷。
白い少女はそこで景一郎を出迎えた。
「よく来てくれたねぇ」
少女――天眼来見は両手を広げて微笑んだ。
「…………」
天眼家の当主。
そんな肩書を聞いていただけに、快活すぎる彼女の振る舞いに景一郎はついていけていなかった。
――もっと厳格、あるいは浮世離れした人物を想像していたのだけれど。
とはいえ、容姿に関しては『浮世離れした』という想像は正しいのかもしれない。
アルビノというのだろう――髪も肌も、まつ毛さえも純白。
感情の読めない薄い笑み。
一方で、幾何学模様が浮かんだ瞳はこちらのすべてを見抜いているのではないかと思わせる。
「んー。うん。いや、今回のお話はあくまで君からの発案だったね。歓迎の言葉を私が口にするのは妙なのかな?」
来見は足をひきずるようにして景一郎へと歩み寄る。
――足になんらかの障害があるのかもしれない。
「さて、私たちは完全無欠に知らぬ仲なわけだけれど、大親友である雪子ちゃんの友人となれば、もはや私と君は運命の糸につながれた間柄といっても過言ではないさ」
大仰な仕草で白い少女は歓迎の意を示す。
「いや……過言だ……じゃないですか?」
「そんな悲しい喋り方はやめにしようじゃないか。私は君より年下なんだ。それに今日初めて知り合ったとはいえ、これからは親友みたいなものになるんだ。もっとフランクに付き合っていこうじゃないか」
来見は悲しげな表情を浮かべると、彼の言葉を否定した。
正直、彼女が本当に悲しんでいるのかは半信半疑だけれど。
「…………はぁ」
景一郎としても遺憾ながら、それなりに変わった人間と縁があるという自覚はある。
だが天眼来見ほど独特なペースを持つ人間は初めてだった。
「して、要件はなんなのかな?」
来見はこてんと首を傾けた。
開かれた眼は景一郎を見据えている。
彼女はすでに景一郎が言いたいことなど知っているのではないか。
知ったうえで、彼の口から言わせたいのではないか。
そう思ってしまう。
自分よりも頭1つ以上に小さい少女。
それも年下。
そしておそらく身体能力においても遥かに劣るであろう相手に、景一郎は気圧されつつあった。
「――俺を【天眼】で視て欲しい」
しかし景一郎としてもそのまま帰るわけにはいかない。
彼には、彼女に会わなければならなかった理由があるのだから。
「ふむ……」
「俺は複数のユニークスキルに覚醒している」
「それはすごいじゃないか。歴史的快挙という奴だね」
来見は手を叩いて祝う。
しかしその動作もどこか白々しい。
彼女自身のように白々しかった。
「だから知りたい。俺の能力の本質を」
それでも景一郎は切り出した。
自分自身の力と向き合うために。
☆
「結論から言うと【光と影】の能力は――絶対隷属だね」
正直、提案した側である景一郎が驚くほどあっさりと来見は彼の願いを承諾した。
【天眼】スキル。
どんな秘密も暴き、未来さえ見るという彼女だけのスキル。
有力な政治家でさえ、彼女の『眼』で見てもらうことは叶わないという。
なのに来見は、なんの逡巡もなく景一郎を見ると答えた。
(想像はできていたけど、やっぱりか)
そして来見から告げられた答え。
それは彼自身も予想していたことだ。
洗脳に類するスキル。
そうとでも考えなければ、グリゼルダの状況は説明がつかないからだ。
「簡単に言えば相手を強制的に隷従させるスキルってところだね。そこには相手の意思も、実力差も関係がない。どんなに敵意を向けてくる相手でも、どんなに強い相手でもね。一発で性奴隷さ」
「……用途を限定するな。普通に奴隷でいいだろ。いや、普通じゃないし良くないけど」
景一郎がそう言うと、来見は肩を揺らして笑った。
「おや、あれだけの美人を奴隷にしておいてまだ手を出していないのかい?」
「こっちは殺されかけて24時間経ってないんだぞ。どれだけ気持ちの切り替え早いんだよ」
厳密に言えばまだ半日くらいしか経っていない。
いくら美しいとはいえ、自分を絶命寸前まで追い詰めた相手に欲情するのは無理があるだろう。
「ともかく……! 今、俺とグリゼルダの間には主従関係が成り立っているってことか?」
景一郎は咳払いをして話を戻す。
面会は10分と言われているのだ。
脱線されてはたまらない。
「そうだね。それも当人――特に奴隷側にとっては一切の抵抗を許されないほどに強制力の強い呪縛だよ」
来見は【光と影】を、実力差に関係なく主従関係を強制するスキルだと言った。
本来、洗脳系のスキルは自分よりも強い相手には効かない。
もちろん、その他の要素にもよるので断言はできないが、力の上下関係というのは主従関係を結ぶうえで基盤となる部分だ。
【光と影】はその定石を無視し、相手の承諾もなく主従を強制する。
使い方を誤れば――否、誤らなくとも凶悪なスキルだ。
「………………」
「罪悪感があるのかい?」
「そりゃあ……思うところくらいはあるだろ」
たとえ敵だったとしても。
さすがに自分のスキルが良識を踏み外したようなものであることを正当化するのは難しい。
仕方ないと思う反面、どこか引っかかりを感じてしまうのは自然なことだろう。
「ただ、君にとっては幸運だっただろうね」
それでも来見は笑う。
さっきまでと何も変わらずに。
「断言するよ。彼女の戦闘力は後々に必要になる」
むしろ語った。
グリゼルダを洗脳したのは好手であったと。
良い戦力が手に入ったじゃないか、と。
「それは――」
「ちなみに彼女との隷属関係は永遠じゃない。さすがに今日明日に解除されるものではないけれど、何かの拍子に洗脳が解けることはある」
景一郎の言葉を遮り、来見はそう言った。
「というと――」
「たとえばそうだね。知り合いとの再会――とかかな? 多少の矛盾や違和感ならスルーしてくれるだろうけど、積み重なればいずれ抑えきれなくなるだろうね。外界との接触を完全に断てば半永久的、複数のキッカケを与えてしまったとして数か月。まあ破格の性能と言って良いんじゃないかな?」
洗脳スキルの強さ。
一言で言っても、そこにはいくつかの要素が存在する。
対象人数。
洗脳の度合い。
洗脳の持続力。
それらの要素を総合して、洗脳スキルの強弱は測られる。
「ちなみにこのスキルは、その強制力の高さの反動か人生に1度しか使えないらしいね。だから、もう一度主従関係を結びなおすというやり方は通じない」
そう来見は忠告した。
対象人数は生涯において1人。
そんな強い制約と引き換えに、過去さえ改竄してしまう洗脳の深度――そして、破格の持続力を実現しているのだろう。
本来、洗脳されていても衝撃を与えてしまえば正気に戻すことは容易い。
それが出来ないという時点で、相当に強力なスキルだ。
「だから君に出来ることは、彼女の洗脳を維持しつつ、彼女が自由になったときのために力を蓄えておくことだね」
グリゼルダがいつ正気を取り戻すのかは分からない。
そして今度こそ【光と影】に頼らずに制圧しなければならない。
そう来見は突きつける。
「今の俺じゃ、あいつを止めるのは難しい」
「十中八九、洗脳が解除されると同時に殺されるだろうね。――周囲の人間もろとも」
あのままグリゼルダと戦い続けたとして、結果は見えていた。
景一郎は殺され、近くにいたであろう【面影】のメンバーも殺されていた。
彼女を止められるとなれば――【聖剣】の3人くらいだ。
その【聖剣】が到着するまでには、多くの冒険者が死亡していたことだろう。
「これは猶予期間だ。君は、彼女の洗脳が解ける前に、彼女を実力で支配しなければならない」
「支配って……人聞きが悪くないか?」
「でも、事実さ。別に殺しても構わないけどね。どちらにせよ、君が強くならなければならないという事実に相違はないからね」
来見が言うことは正しい。
数ヶ月後か数年後か。
いつになるかは分からないが、それまでに景一郎はグリゼルダを越える力を身に着ける必要がある。
(――やることは見えたな)
何も変わることはない。
もっと強くなる。
ただ、強くならなければならない理由が増えただけのこと。
ならばこれまで以上のスピードで突き進むまで。
「ああ、言い忘れていたけど、君の【光と影】は限りなく洗脳に近いけれど、厳密に言えば洗脳とは異なるものなんだ」
景一郎が覚悟を固めていると、ふと来見がそう言った。
「?」
首をかしげる景一郎。
そんな彼を見て、来見は笑う。
「【光と影】は精神を支配しない。支配するのは肉体だけなんだよ」
「? ? ?」
いまいち言わんとすることを理解できていない景一郎。
それが面白いのか、来見の笑みが深まる。
張りつけたような笑みではなく、愉悦をにじませた笑みを。
「つまり――今でもグリゼルダは自我を持っている」
――少し寒気がした。
「……それって」
わずかに声が震えた。
彼女の言いたいことを、ようやく脳が理解し始めたのだ。
「うん。発言を含めたすべてを支配されているから分からないだけで、彼女は今でも意識を保っているよ」
嬉しそうに、本当に嬉しそうに来見は嗤う。
「ある意味で、洗脳よりもタチの悪いスキルだよ。心は残したまま、体だけを奴隷にしてしまうんだから」
「…………マジか」
自分よりも弱い相手に、体だけが勝手に服従してしまう。
そんな屈辱を与え続けられたグリゼルダは、自由を取り戻した時にどうするのか。
――沸々と憎悪を蓄積させてゆく彼女の姿が容易に想像できた。
「洗脳が解ける日が楽しみだね☆」
「全ッ然楽しみじゃねぇ!」
――少なくとも、グリゼルダと和解する未来はなさそうだった。
次回、エピローグ。
そして続くは5章『その背中に手を伸ばして』です。
過去の面影を追って駆け抜けてきた景一郎。
はたして彼の手は【聖剣】の背中に届くのか――




