4章 14話 天の眼を持つ者
「わぉ」
それが詞の第一声だった。
現在、景一郎は微妙な表情を浮かべて立っていた。
――グリゼルダに抱き着かれたまま。
彼女はペットがじゃれつくかのように景一郎の腰に頬を押し付けている。
「…………言いたいことがあるなら言ってくれ」
「キモ」
「……良識の範囲で言ってくれ」
横から聞こえた香子の声に嘆息する。
――もっとも、気持ち悪いと言われても仕方がない状況なのは自覚があるのだが。
とはいえ不本意な状況である以上、どうにか抗議したい気分になる。
「自分をご主人様とか呼ばせて、すでに良識からぶっ外れてる奴に言われたくないんだけど」
そういう香子は本気で引いているようだった。
逆の立場であれば似たような反応をしていたことが想像できるため、景一郎としても強く言い返せない。
「……やっぱり、そんな感じに見えてるのか」
できることといえば、ひっそりと傷つきつつ肩を落とすくらいだ。
「その人は……新しいパーティメンバーなんですか?」
そう聞いてきたのは透流だった。
多少特殊な状況ではあるが、パーティリーダーである景一郎が連れてきた人物なのだ。
そこに意味を見出そうとすることは自然なことだった。
「……どうしたものなのか。正直、俺も決めかねてる」
(こいつの扱いには慎重にならざるを得ないからな)
本当に頭が痛い。
あれからグリゼルダについて分かったことがある。
――彼女は、記憶を失っていた。
というよりも改変されていたというべきか。
彼女はどうやら景一郎を心から『ご主人様』と信じ込んでいるようだ。
本人曰く『生まれた時からずっと景一郎に仕えてきた』らしい。
だが不自然な点もある。
彼女自身も景一郎をご主人様と呼んでおきながら、彼とのエピソードを一切覚えていない。
2人の思い出はゼロ。
なのにずっと景一郎に仕えてきたと主張する。
そして、その矛盾を指摘しても理解できない。
数秒フリーズした後、景一郎の質問を無視してまた話し始めるのだ。
どう考えても異常だ。
(さすがにこれが演技だとは思えないけど)
「どうしたのだ? ご主人様」
景一郎が思案していると、グリゼルダが首を傾ける。
ぴたりと体をくっつけ、上目遣いでこちらを見る彼女の姿は最初に会った時よりも少し幼げに見えた。
(演技とはいえ、こんなことができるほど器用な性格ではなかったよな)
景一郎が思い描くグリゼルダはむしろ、こんな演技をするくらいなら舌を噛み切りそうなほどのプライドを持っている女性だった。
「景一郎様……その女性は本当に……?」
【面影】の中でも特に微妙な反応をしているのは明乃だった。
さっきまで殺し合っていたはずの相手がこんな状況であれば、平静を保つほうが難しいだろう。
「ああ。信じられないだろうけど本物だ」
「……何が起こっていますの?」
「分からん」
何度目かのため息。
目下の難は逃れたが、大きすぎる負債を背負う羽目になってしまった。
(とはいえ、放置できる事態じゃないよな)
グリゼルダの処遇。
それは、そう放置していい問題ではない。
(もしこいつが記憶を取り戻せば、俺だけの力では止められない)
――実を言うとあれ以来、景一郎にも変化があった。
グリゼルダを殺そうとすることができないのだ。
殺せないのではない。
殺す――あるいはそれに類すると自覚している行動すべてができないのだ。
短剣で心臓を貫こうとしても、直前で体が硬直する。
逆にあらかじめトラップを設置しておき、グリゼルダに罠を踏むよう命じようとしても――言葉が出なかった。
ご主人様。
グリゼルダの言葉を肯定したうえで、発想を逆転させる。
そうすると、グリゼルダは景一郎にとって配下であるということ。
配下であるグリゼルダは主人である景一郎に絶対服従。
一方で、主人である景一郎は配下であるグリゼルダを護らねばならない。
そう誰かに決められてしまっているような気分だ。
(普通に考えて、原因はあれだよな)
【光と影】――景一郎が手にしていたユニークスキル。
効果もよく分からないままに使用した【光と影】がなんらかの形で作用したのだろう。
しかしスキルの詳細が分からない以上、明確な答えを知る術はない。
あるとするのなら――
「……すまん。ちょっと出かけてくる」
☆
「ん……なんとか10分だけなら」
景一郎は電話をしていた。
相手は――忍足雪子だ。
彼女は【聖剣】の一員であり、景一郎が知る限り一番の情報通だ。
彼女ならば彼の願いを聞き入れてくれるかもしれない。
そう思ったから彼女に電話をかけたのだ。
「助かった、ゆっこ」
「景一郎君の頼みだったし」
平坦な声で雪子はそう答える。
「でも疑問」
そこで彼女が言葉を続ける。
――疑問。
それは当然だろう。
景一郎の頼みは、あまりに脈絡のないものだったから。
「――なんで、天眼来見と会いたかったの?」
なにせ、いきなり『天眼家の当主と会いたい』などと頼み込んだのだから。
とはいえ景一郎も酔狂でそんなことを依頼したわけではない。
天眼家――それも当主が相手でなければならない理由があったのだ。
「【天眼】スキルで鑑定して欲しくてな」
「……天眼家は冒険者カードの作成者――血縁者の全員が【鑑定】を持って生まれてくる」
雪子がそう呟いた。
他者の能力・スキルを読み取る【鑑定】スキル。
それはどの職業でも覚える可能性があるが、その一方で覚醒率の少ない貴重なスキルだ。
しかし天眼家は、例外なく【鑑定】スキルを習得している。
ダンジョンが生まれて半世紀の間『全員が』だ。
遠縁ならともかく、2親等以内に天眼家の人間がいれば100%【鑑定】スキルに覚醒するという特殊な血筋。
それが天眼家。
「でも――【鑑定】ではユニークスキルの詳細は分からない」
【鑑定】スキルは有用なスキルだ。
能力などという曖昧な指標に基準を与えることで、冒険者の実力をより正確に測れるようになった。
たとえ未知の物体であっても【鑑定】をしたのなら、ある程度ながらその性質を把握することができる。
人類にもっとも貢献したのは【鑑定】だったと語る専門家もいるくらいだ。
だが【鑑定】にも弱点がある。
――ユニークスキルの詳細が分からない。
逆説的に、【鑑定】できない=ユニークスキルという図式は成り立つので、ユニークスキルであるかどうかまでは判明する。
しかしユニークスキルの効力までは見えないのだ。
「天眼家の中でも特別な【天眼】スキルの覚醒者に見てもらいたかったんだ」
だが、天眼家にはもっと優れたスキルが存在する。
――【天眼】スキル。
天眼家の当主にだけ使用が許されるスキルであり、ユニークスキルの詳細さえも見抜いてしまう究極の【鑑定】スキルだ。
「ん……となると確かに、当主と会うしかない」
【天眼】に目覚めるのは天眼家の血筋のみ。
その天眼家においても【天眼】を有するのは当主だけ。
現当主が襲名したとき、前当主を含めた他の【天眼】持ち全員の目が潰されるからだ。
――【天眼】は未来が見えるという。
だが未来が見える人間が多ければ多いほど、未来はブレてしまい正確性を失う。
だから【天眼】持ちは常に1人だけ。
仮に当主が死んでも、潰した【天眼】持ちのうち誰かの目を治療すれば、新しい【天眼】使いを生み出せる。
【天眼】を潰された者は、当主が死んだときのスペア。
そんな異質な価値観で紡がれてきた一族なのだ。
「ぶっちゃけ天眼家はやべぇ奴の宝庫。正直、お勧めできない」
雪子はそう言った。
普段から割と手加減のない言動の多い彼女。
しかし今回はいつもより容赦なかった。
「……未来が見えるから、人格破綻者が多いってやつか」
「ん。自分にしか見えない未来のために、余裕で人を殺せる当主。自分が見たわけでもない未来のために命を懸けられる部下。超やべぇ奴」
雪子はそう語る。
彼女は天眼家の当主と会ったこともあるという。
そんな雪子が言うのなら、きっとそうなのだろう。
「未来が見えるから、視点が私たちと致命的に違う」
おそらく、雪子の語った言葉がすべてなのだろう。
未来という人知を超えたものを見ることのできる目。
ゆえに景一郎たちよりも高次の視点で世界を観測する。
だから人を、個人ではなく『人類』という括りで見てしまう。
個人の生死を、数字の増減として捉えてしまう。
そんな生き方が、見えざる者には異質に映るのだ。
「でも、俺は会わないといけない」
景一郎はそう断言した。
実際のところ、天眼来見という人物の人格は問題ではない。
問題は――彼自身の内側にあった。
「俺自身の力を理解していなければ、俺はいつか大切な人を傷つけてしまうかもしれない」
少なくとも、今の景一郎は極大の爆弾を抱えてしまっている。
【光と影】によるグリゼルダの変化。
それは一時的なものなのか、永続的なものなのか。
結論によっては、対応を急ぐ必要がある。
「ともかく助かった。ありがとな」
「ん」
ともあれ、雪子のおかげで天眼家との接触は叶いそうだ。
☆
「うふふふふ。楽しみだね景一郎君」
和室で白い少女は笑う。
憂うように、愛でるように。
複雑怪奇な感情を向けられているのは1人の青年。
影浦景一郎。
少女――天眼来見が主人公に抜擢した青年。
彼から面会の依頼があった。
「君と会うこの10分のためだけに、忍足雪子とつながりを持っておいたんだ。君が頼れる最大の人脈だからね」
当然、天眼家の当主である来見が彼からの面会を受ける義務はない。
むしろ断るのが自然。
しかし来見は受け入れた。
当然だ。
そうなるように調整したのだから、会わない理由がない。
「おいでよ景一郎君」
来見は両手を広げる。
そして、虚空を抱き締めて微笑んだ。
「君も、この世界のために役立てるなら嬉しいよね?」
影浦景一郎は主人公だ。
彼なら、どんな困難を用意しても乗り越えてくれるだろう。
次回は天眼来見との面会になるかと。




