4章 13話 光と影
(あれは間違いなくさっきまでいたダンジョンだ)
確かに壁も天井もない。
あの宮殿に比べれば限定的な空間だ。
しかしその空気感はまったくの同一。
この世界は、グリゼルダのために存在するものだという確信があった。
(あいつが歩くと、連動してダンジョンも動いている)
グリゼルダが一歩進めば、それだけダンジョンとなったエリアも移動する。
つまり先程、彼女が使用したスキルは、自分を中心とした一定範囲をダンジョンに変えてしまうものということだ。
「あまり派手に魔法を使ってしまえば人を呼ぶか――」
グリゼルダはそう呟いた。
彼女の魔法は規模が大きく、派手だ。
使ってしまえば多くの人の目につくことだろう。
そうなれば、他の冒険者が集まってきてしまう。
「……いや、そんな思考はあまりに貧相だな」
それを理解したうえで、彼女は行動した。
人目につかないよう魔法を抑えるという発想とは真逆の手段で。
むしろ大技で、人目についても駆けつけられない状況を作り出した。
「ッッ……!」
景一郎とグリゼルダ。
二人だけを隔離するように氷が噴き上がる。
(威力が戻ってる……! あのエリア内なら、ボス部屋と同じ出力で魔法を撃てるってわけか……!)
グリゼルダの魔法はボス部屋で見たときのように、それ以上に強力だった。
そびえた氷壁は分厚く容易に貫けるものではない。
しかもかなりの高さまで作り上げられているせいで乗り越えることも難しいだろう。
「援軍が面倒なら、援軍が来られないようにしてしまえばいい」
円柱状に区切られた戦場。
最後に、グリゼルダはそこに氷で蓋をする。
ほんの数秒で彼女は、誰にも邪魔されない隔離空間を作り上げて見せた。
「1対1を所望なのか?」
ここにいるのは景一郎とグリゼルダだけ。
明乃も香子も氷のドームから弾き出されてしまっていた。
グリゼルダの調子は万全。
今度は景一郎1人で戦うしかない。
状況は最初よりも悪くなっていた。
「お前を1と数えていいのかは疑問だがな」
嘲笑さえなくそう断言するグリゼルダ。
彼女が口にしたのは侮りでも蔑みでもなく――ただの事実だった。
☆
「【矢印】」
飛来する氷柱。
景一郎はそれを矢印で反射した。
向きを反転させた氷柱はグリゼルダへと向かい、彼女の足元に刺さる。
「なるほど……あれに触れると物の動きが歪むのだな」
彼女は表情を変えない。
ただ冷静に景一郎の能力を考察している。
「ならば――」
グリゼルダが腕を振るう。
それに伴い、氷が景一郎へと殺到する。
圧倒的な物量の攻撃。
景一郎はそれを矢印で防ぐも――
(マズいな……防ぎきれない……!)
氷の瀑布を完全に抑えることができない。
先端部の向きを変えたとしても、さらに後続の氷が止めどなく襲ってくる。
矢印で反転させた氷は後続の氷に押し戻され、再び景一郎へと迫る。
力押し。
だが、彼女はそんなシンプルな手段で矢印を無効化してみせた。
(回避が間に合わない……!)
すでに氷撃は景一郎へと肉薄している。
しかも戦場は氷で隔てられており、元々の回避スペースが少ない。
躱す術は――なかった。
「トラップ【ダンジョン】……!」
たった1つを除いて。
景一郎は手元に――ダンジョンを出現させる。
青いゲート。
氷撃はゲートに触れ、そのまま呑み込まれた。
ゲートの向こうにあるダンジョンへと転送されたのであろう。
苦し紛れの奇策。
それは景一郎の命をギリギリでつなぎとめたのだ。
「――お前も【魔界顕象】を使えたのか」
グリゼルダの猛攻が止まった。
彼女は静かな声音で景一郎に問う。
「別に……そういうのじゃない」
正直、景一郎は自分のスキルについて完全に把握しているわけではない。
しかし得体の知れないモンスターと同じ力を有しているつもりはない。
「確かに、完成度は雲泥の差だな。雑兵という形で力が漏出し、まだ世界も固まりきっていない。さらにいえば、現実を染め上げるほどの干渉力もない。未完成もいいところだ」
グリゼルダはそう彼の能力を評した。
両者の間にあるのはクオリティの優劣であり、その本質に大差はないと。
「まさか、すでにこちらで活動している尖兵がいるとは驚いた」
グリゼルダの口元が笑みを浮かべた。
それは――冷たい笑みなどではなかった。
「何を言って――」
訳が分からない。
困惑する景一郎。
そんな彼へと、彼女は手を差し出す。
「我々の使命を思い出せ。そして選べ。本当に――お前は我の敵か?」
「……さっきから何を言ってるんだ?」
明らかにグリゼルダの態度が軟化した。
これまでのように、問答無用で殺しに来る様子がない。
「お前は、我々の活動を補助するためにこの世界に来たのだろう?」
そうグリゼルダは微笑む。
「……俺はモンスターになったつもりはないんだけどな」
景一郎は後ずさる。
さっきまで死闘を繰り広げていた相手が親しげな様子を見せる。
その落差についていけない。
「何を言っているのだ」
グリゼルダは首を傾けた。
そして、ほんの少しだけ温かさを感じるようになった目を細めると――
「――我々は人間だろう」
そう告げた。
人間。
彼女はそう言った。
ダンジョンの最奥で待ち構えていた彼女が――人間であると。
「なるほど――本当に知らないらしい」
グリゼルダは嘆息する。
景一郎の反応は、彼女の希望に沿うものではなかったようだ。
「偶然とは恐ろしいな」
次の瞬間には、彼女の目は冷たく凍えていた。
さっきまでの労わるような温かさは欠片も残っていない。
「まさかこの世界にも……混ざっている者がいるとは」
瞬間、彼女の姿が消えた。
「がッ……!」
「事情が変わった」
気が付けば、彼女の手は景一郎の首を掴んでいた。
――彼女の能力はスピード寄りであり、パワーにはそれほど優れていないように見えた。
しかしそれは彼女の能力の中ではという話。
【罠士】である景一郎と比べてしまえば、そのパワーも強力であることは変わりない。
「お前の能力が成長してしまえば、我々にとっても脅威となりえるかもしれない」
――遊びはなしだ。
次の瞬間、景一郎の体が凍りつく。
両足が、両腕が氷の中に押し固められてしまった。
(魔法の発動スピードがさらに上がった……!)
今度は反応することさえできなかった。
さっきまでの戦いさえ、グリゼルダにとっては遊びでしかなかったのだ。
景一郎は、そんな遊びでしかない戦いでさえ追いすがるのがやっとだったのだ。
すでに2人の力量差は埋めようがないほどに広がっていた。
「お前が生きていれば、こちらの世界の希望となりかねない」
グリゼルダの左手に冷気が収束してゆく。
それは間違いなく、景一郎を殺すための魔法だ。
「このままじゃ……絶対死ぬよな……」
景一郎は薄く笑う。
どう考えても絶体絶命。
避ける術は、思いつかない。
「……まさか、ここに来て我が見逃すと思うのか?」
グリゼルダは冷たく問う。
「思わないな。だから、奇跡だとしても未来は自分で掴み取るしかないだろ」
(ぶっつけ本番になったけど――これしか可能性はない)
景一郎が知る限り、事態を打開する方法はない。
ならば、彼が知らない何かを使うしかない。
「――――【光と影】」
景一郎自身も詳細を知らないユニークスキルを――ここで使った。
「……これは!」
グリゼルダは目を見開く。
理由は景一郎の体に起きた変化。
彼の体から漏れだした、大量の赤黒い影を目の当たりにしたからだ。
あまりに禍々しい影。
グリゼルダもわずかに動揺を見せる。
「ッ……!」
彼女は景一郎の首から手を離した。
それは、彼の近くにいたくないという本能だったのだろう。
だが――離れる彼女の手を影がつなぎとめた。
「ッ……なにを――!」
影が植物のツルのようにグリゼルダの腕に絡みつき、伸びてゆく。
手首、肘、肩。
影は彼女の体を這い上がる。
「こんなもので我を――!」
捕らえられた右腕。
グリゼルダは自由な左腕を上げた。
だが――
「魔法が発動しないだと……?」
彼女は硬直したままそう漏らした。
どうやら氷魔法で影を破壊しようと試みていたらしい。
そして、彼女の魔法は発動しなかったようだ。
その間にも影は触手のように彼女を絡めとる。
「く……! ふざけるなッ……!」
右腕以外の四肢も影に捕らわれたグリゼルダ。
彼女の体が持ち上げられ、地面から足が離れる。
魔法の封印。
それでいてグリゼルダのパワーではびくともしない強靭さ。
景一郎の体から伸びた影は、明らかに異質なものだった。
「んぐ…………!?」
グリゼルダの表情が一変する。
不気味な影。
それが彼女の口内に侵入を始めたのだ。
顎が外れそうなほどに彼女の口をこじ開ける影。
グリゼルダは身をよじり逃げ出そうとするも、影は止まることなく彼女の中へと注ぎ込まれ続けた。
「なんなんだ……?」
これまで圧倒的な強者として君臨していたグリゼルダ。
彼女が影に蹂躙される様子を景一郎は茫然と見ていた。
(俺が上手く制御できていないっていうより、自律して動いているみたいだ)
あの影は、間違いなく景一郎が作り出したものだ。
しかしその動きに彼の意思は介在していない。
自立して動くという意味では【操影・異形】も似ている。
だがあくまで、あれは景一郎の指示を遂行するために動く。
根底に景一郎という存在がある。
しかし今回は違う。
【光と影】によって生じた影は、景一郎の意思とは無関係に最初からグリゼルダへと向かっていた。
彼の意思では影を動かすことも、止めることもできない。
あの影は、彼とは完全に独立した生き物のように行動しているのだ。
「んぐっ………ぁぁッ……! ありえない……ありえてはならない……! 決起の時よりも早く我が落とされることなどあって良いはずが――!」
呼吸もままならないのだろう。
グリゼルダは涙を浮かべながらも、怒りの言葉を吐く。
しかし影は淡々と彼女の体を貪り続け――
「ッッッ……!?」
すべての影を呑み込んだグリゼルダの体がビクンと跳ねる。
しかしそれも1度きり。
そのまま彼女は手足を垂らし、気を失った。
☆
「なんだったんだ……?」
グリゼルダが意識を失ったことで、景一郎を拘束していた氷が砕けた。
彼の少し先で、グリゼルダは倒れている。
彼女は完全に意識を失っているようで、手足を地面に投げ出していた。
(眠っていたら、こんな感じなんだな……)
倒れたグリゼルダの表情は無防備で、さっきまで猛威をふるい続けていた敵と同一人物とは思えなかった。
「とはいえ……こいつを生かしておくわけにはいかないな」
景一郎は短剣を手にグリゼルダへと歩み寄る。
彼女が意識を取り戻せば、間違いなく彼の脅威となる。
状況は分からないながらも、彼女が無力化しているのは事実。
トドメを刺すなら今しかなかった。
「こういうのは少し気が引けるけど――」
無抵抗な相手を殺すというのは多少抵抗がある。
しかし抵抗されてしまえば景一郎では勝てない。
だからこそ、彼は短剣を振り下ろした。
「なっ……!」
しかし直後、グリゼルダが目を覚ます。
彼女は素早く反応し、迫る景一郎の手首を掴んだ。
短剣の動きが止まり、彼女の命まであと数センチというところで刃が静止する。
「しま――」
グリゼルダが突然動き出したことへの動揺。
それが隙につながった。
グリゼルダが一瞬で身を起こし、景一郎の懐に飛び込んでくる。
――殺される。
そう最悪の確信をした景一郎だったが――
「なんでなのだッ!?」
なぜか、グリゼルダに抱き着かれた。
彼女に抱き締められると、豊満な膨らみが2人の間で押し潰される。
こんな状況で、さらにグリゼルダが相手でなければきっと動揺してしまっていたことだろう。
もっとも、景一郎は違う理由でパニック寸前だったけれど。
「我のことを捨てようというのか……!?」
グリゼルダが涙目で縋りついてくる。
――どう見てもさっきまでの彼女ではない。
こんな友好的――と言って良いのかは分からないが――あるいは親密な間柄になった覚えはない。
そもそも、彼女がこんな――誰かに泣いて縋りつくような性格とは思えなかった。
「いっぱいご主人様の役に立つから捨てないでぇ……」
「ど……どうなってるんだ…………?」
景一郎を抱き締め、顔をうずめるグリゼルダ。
どうすればいいのか分からない。
景一郎は途方に暮れるのであった。
あと数話で4章が終了となります。
続く5章はついにオリジンゲート攻略メンバーの選抜戦。
【聖剣】との直接対決となる予定です。




