4章 9話 最狂の戦士
「や、やったか――!?」
「わりと余裕ですのね……」
詞の宣言に明乃は呆れた視線を向ける。
とはいえ、透流の氷弾が後頭部に当たったのだ。
後頭部からの衝撃は脳へと伝播する。
いくらあの男でも、ダメージは避けられないだろう。
『――あ? なんだ今の』
――だが、それも都合の良い幻想でしかない。
男は体を一切揺らがせることなく立っていた。
脳へのダメージなどまったく感じさせない。
攻撃など受けていないかのように彼はそこにいた。
「うっわ。本当にやってないよぉ。最悪、裁判沙汰覚悟の一撃だったのに」
げんなりとした表情を浮かべる詞。
しかし明乃も似たような表情をしていたことだろう。
それほどに目の前の男は――強靭すぎる。
「後頭部に魔弾を撃ち込まれて無傷……それどころか脳が揺れた様子さえありませんわね」
明乃は歯噛みする。
明らかに不意を突いた攻撃。それも狙ったのは急所。
なのに効いていない。
それはつまり――何をやっても通用しないということ。
小細工や知略が入り込めるような隙がないということ。
『どいつか知らねぇけど――【隠密】か?』
男は首を鳴らす。
彼は手を伸ばした。
そのまま――コンクリートの壁を掴み取る。
砂の塊を握るかのように、軽々と。
そして――男は背後にコンクリート片を投げつけた。
「ぁぐ……!?」
虚空から苦悶の声が漏れた。
ダメージを受けたことで【隠密】が解除されたのだろう。
誰もいなかったはずの空間から透流の姿が現れる。
コンクリートの散弾に全身を打ち据えられ、彼女の体が地面を転がった。
衝撃で裂けた服からは青アザが覗いている。
「なっ……透流ちゃん……!?」
詞が声を上げる。
敵がいそうな方向に石をばらまくだけ。
シンプルながら有効な手段によって透流の居場所が割り出されてしまった。
こうなってしまえば、魔導スナイパーという優位が活かせない。
『うざったいメスに。ゴキブリみてぇにチョロチョロするメスに。豆鉄砲が趣味のメスか。随分と雑魚が湧くもんだな』
男は舌打ちした。
「ここは腕の良いヒーラーも多いらしいから――ごめんねっ」
このまま逃がしてくれる雰囲気ではない。
そう理解しているからこそ、詞は駆けだした。
男との距離を詰める詞。
そんな彼の姿が――黒い霧となる。
詞の輪郭が闇に溶けて消えてゆく。
『あ? そういや、ゴキブリ女も【隠密】使いか』
男は典型的なパワーアタッカー。
スピードアタッカーである詞なら【隠密】とスピードで攻撃をかいくぐることができるはず――
『とろいんだよ』
「うそ――!?」
だが、男はその常識さえも嘲笑う。
(詞さんのほうが速いはずなのに――反射速度で逆転するなんて……!)
スピードだけなら詞が勝っていた。
だが、反応速度においては男のほうが圧倒的に上だった。
彼のほうが、詞よりも数段早いテンポで動き始めている。
『退けよゴキブリ女』
ゆえに――男の攻撃のほうが先に詞へと着弾する。
男が放ったのは無造作な裏拳。
それはすでに詞の顔面へと迫っていた。
詞は前傾姿勢で走っており、回避に移ることは不可能。
首から上が吹き飛ぶ。
そんな最悪の光景を幻視するが――
「――――【潜影】」
詞がそう唱えた。
【潜影】――それは【アサシン】が習得することのあるスキル。
その名の通り、影に潜るスキルだ。
詞の体が、足首まで影に沈む。
そうすることで彼の頭の位置も下がった。
詞の頭上を通過する裏拳。
彼は【潜影】を駆使し、必中と思われた一撃を躱したのだ。
「とぉりゃぁぁ!」
沈み込んだ体。
そこから浮かび上がる力をも乗せて詞は跳ね上がる。
同時に振るい上げられるナイフ。
黒い刃先が男の眼球を削る。
――はずだった。
「うっそ! なんで眼球から火花が散っちゃうのさぁ……!?」
飛散する火花。
ナイフは男の眼球の表面を滑ってゆく。
人体でも特に柔らかいはずの眼球。
それさえも刃を通さない。
脅威というほかない防御力だ。
不意を突いたはずの一撃。
だが、一転して詞の状況は最悪へと変わる。
彼はナイフを振り上げた勢いで地面から両足が離れている。
しかも両腕は頭上に伸びており無防備。
攻撃は失敗し、致命的な隙を見せてしまった。
「ぁぐぅ……!?」
男の手が詞の首を掴む。
詞は苦悶の声を漏らしながら体を吊り上げられてゆく。
「――放して」
男の意識が完全に詞へと向けられている一瞬。
そこを縫うように透流が狙撃を放った。
撃ち出された氷弾は男のこめかみを直撃。
『ぁ?』
それでも男に傷はない。
しかし、着弾の衝撃によって彼の首がわずかに傾いた。
「【レーヴァテイン】ッ!」
さらされたのは男の首筋。
明乃はそこに飛びかかった。
彼女の手には炎剣が握られている。
冷泉家の次期当主として認められた明乃にしか使えない宝剣。
その一撃を男の首に叩き込んだ。
「これで――!」
『さすがに、今のはちょっと痛かったぜ』
だが、その刃さえ届かない。
とはいえ完全なノーダメージというわけではない。
男の首からは一筋の血が垂れている。
だが、だからこそ力量差を思い知らされてしまう。
自分の全力が、目の前の男にとってどれほど矮小なのかを正確に理解できてしまう。
『――ぶち殺す』
そしてその一撃は、男の激情を加速させた。
「ッ……!?」
伸びる男の手。
距離を取る間もなく、明乃は首を掴まれてしまった。
『おらぁッ!』
男は明乃と詞を捕えたまま走り出す。
その先にいるのは――透流だ。
「っ……!」
それはまるで重戦車。
透流の身体能力では、男のタックルを躱すことは不可能だった。
「ぁぅ……ぁぁ……」
詞と明乃の体ごと透流は近くの建物に叩きつけられた。
2人の体越しに男のパワーが透流の体を押し潰す。
(これは……マズいですわ……)
明乃の口から泡がこぼれる。
気道をふさがれて息ができない。
だが、一番危険なのは透流だ。
背後はコンクリート。前面は明乃たちの体。
逃げ場なく圧迫され、透流の体から音が鳴る。
それは人体が壊れてゆく音だ。
壊れてゆく。
3人の体は少しずつ、それでも確実に限界を迎えてゆく。
そしてついに、死へとつながる最後の一線が見えかけたとき――
『――――あ?』
男の手から力が抜けた。
彼が攻撃をやめたのではない。
明乃たちよりも興味を引く存在が現れたのだ。
『こんなタイミングでダンジョンかよ』
寂れた路地裏。
そこにダンジョンが出現した。
青い波紋が空間を波立たせている。
あれは紛れもなくダンジョンの入り口だった。
『気配からして――Aランクか』
――特殊な機器を使用すれば、ダンジョンの難度をあらかじめ知ることができる。
それは、ゲート越しに内部にいるモンスターの力があふれてくるからだ。
だからこそ、経験豊富な冒険者なら感覚だけでダンジョンの難易度をおおまかに把握することができる。
『こりゃあ良いぜ』
男が笑みを浮かべる。
そこから漏れだすのは、どす黒い悪意だ。
『おらよ』
男は詞を解放する。
酸欠で力が入らないのか、詞はそのままへたり込んだ。
「んぅ…………」
男が力を抜いたため、透流も圧力から解き放たれて地面に倒れた。
しかし地面に転がったまま彼女は動かない。
ただ浅い呼吸を繰り返しているだけだ。
しかし男は、明乃だけは解放しなかった。
彼の悪意ある視線は、彼女にだけ注がれている。
『何を……なさるつもりですの……?』
明乃が絞り出した声には震えが混じっていた。
嫌な予感、などではない。
これから起こることは最悪のこと。
そう確信せざるをえなかった。
『Sランク冒険者にもなると、Aランクダンジョンくらいなら1人でクリアできるんだけどよ』
男は歩き出す。
明乃の体を引きずって。
『Sランクのオレ様にたてついたってことは、お前もそれくらいできるんだよなぁ?』
「ま、まさか……」
明乃は血の気が引くのを感じた。
彼がしようとしていること。
その全貌を理解してしまったのだ。
『素っ裸で突っ込まれないだけありがたく思うんだな。ま、どうせ自分から脱いで命乞いする羽目になるんだけどよ』
男が向かったのはダンジョン。
彼は明乃の体を持ち上げ、ゲートへと近づけてゆく。
「い、いや……おやめになって……!」
必死で抵抗する明乃。
単身――それも疲弊した状態だ。
こんな体でAランクダンジョンに落とされてしまえば死は避けられない。
モンスターに囲まれ、引き裂かれ、蹂躙されるだけだ。
しかし、男と明乃の力の差は歴然。
抵抗むなしく彼女の体はゲートに沈められてゆく。
その時――ゲートの色が変化した。
青色から黄色へと。
『あ?』
男は眉を寄せる。
「これは――ミミックダンジョン……?」
黄色のダンジョン。
別名、ミミックダンジョン。
「そんな……つまりこのダンジョンは――」
ミミックダンジョンには2つの特徴がある。
侵入は自由だが脱出はクリアするまで不可。
そして――普段はワンランク下のダンジョンを装っている。
「――――Sランク……?」
もしもAランクという外観が偽りだったのなら。
このダンジョンの本当の姿は――Sランクダンジョンということだ。
☆
「明乃ッ!」
景一郎は叫んだ。
彼へと電話をしたのは詞だった。
詞は騒ぎを聞きつけ、あらかじめ景一郎に連絡していたのだ。
詞の情報を頼りに現場へと急行した景一郎。
そんな彼を待っていたのは、危機に陥った仲間たちの姿だった。
(あいつは――ゆっこたちが言ってたジェイソンって奴か……!)
明乃たちを傷つけた冒険者。
その容姿は、先日に雪子から聞いていた特徴と合致している。
『チッ……オレ様も触れちまってるから強制参加ってか……?』
明乃の首を掴んでいる男――ジェイソン・D・カッパーは不満げな声を漏らした。
彼の腕は黄色のダンジョンに触れている。
ゆえに彼自身もこのから手を引き抜けないのだろう。
「このままじゃ――」
徐々に2人の体がダンジョンに消えてゆく。
このままでは明乃がジェイソンと2人きりで高ランクのダンジョンに捕らわれることとなる。
そうなればもう、助からない。
「香子! 詞と透流の介抱を頼むッ!」
景一郎は指示を飛ばす。
詳しく見るまでもなく、詞と透流もダメージを受けている。
放っておくわけにはいかない。
「はぁ!? アンタまさか――」
「【矢印】」
香子の声を無視して、景一郎は矢印を踏む。
(明乃もアイツも、すでにミミックダンジョンに触れてしまっている)
加速しながらも、景一郎は思考を巡らせる。
ミミックダンジョンに触れてしまっている以上、明乃を引き戻すことはできない。
だとしたら景一郎に出来ることは――
「なら――こうするしかないだろッ」
「景一郎様ッ! 駄目ですわッ! このダンジョンは――」
一直線に突っ込む景一郎。
そんな彼を、明乃は悲鳴混じりに拒絶する。
すでに彼女の体はほとんどダンジョンに入っている。
まさに絶体絶命。
それでも彼女は景一郎が危機に飛び込むことを拒んだ。
(どうにかジェイソンをゲートから引き離したとしても、1人でダンジョンに送り込まれた明乃は助からない)
ジェイソンはまだ腕しかゲートに触れていない。
彼の腕を斬り落とせば、彼だけならダンジョンから引き離せる。
そうすれば明乃とジェイソンが2人きりでダンジョンに入ってしまうことは避けられる。
だが、単身でダンジョンに落とされた明乃は生き延びられないだろう。
(でも、ジェイソンをこっちに残して明乃を助けに行くわけにもいかない)
ならジェイソンをダンジョンから切り離した後、景一郎が明乃を助けに向かえばどうか。
確かに明乃は救えるかもしれない。
しかし、ダンジョンの外でジェイソンと共に残されてしまう詞たちが危ない。
(この状況で全員を守る方法は――1つしかない)
これらの問題すべてをクリアする一手。
それは単純明快。
(2人と一緒に俺もダンジョンに潜って――ジェイソンもダンジョンもすべて俺が倒すッ……!)
景一郎は一切減速せず――ジェイソンの背中を蹴りつける。
そのまま3人はゲートの向こう側へと消えてしまった。
不測の事態によってSランクダンジョンへと突入することとなった景一郎と明乃の運命は――




