4章 8話 望まぬ出会い
「んー…………」
魔都の拠点。
そこで景一郎は思案していた。
彼の手元にあるのは冒険者カードである。
「なに冒険者カード見て唸ってんのよ」
ソファに寝そべっていた香子がスマホから顔を上げる。
無意識のうちに声が出てしまっていたらしい。
「いや、実はな――」
とはいえ、彼が悩んでいるのは香子にも関係のあることだ。
せっかく向こうから声をかけてきたのだ、相談してみるのも悪くないだろう。
「――新しいユニークスキルを覚えた」
「はぁ!? ばっかじゃないのッ!?」
「別に馬鹿じゃないだろ……」
――あんまりな反応だった。
「そんなポンポン手に入るスキルのどこがユニークなのよ」
香子がスマホを懐にしまうと、ソファから身を起こす。
少なくとも話を聞いてくれるつもりはあるようだ。
「……それは否定できないんだけど」
ユニークスキルは目覚めるだけでも希少。
複数のユニークスキルを所有している冒険者だなんて、ダンジョン黎明期からこれまで存在したこともない。
どう考えても異常事態だった。
「で? なんてスキルなの?」
香子にそう言われ、景一郎は手元のカードに視線を落とす。
冒険者カードは登録者に対して常に【鑑定】をかけ続けている。
そのためこのカードには彼が所有しているスキルの名前すべてが記されているのだ。
「【光と影】ってやつだ」
【光と影】――それこそが、前回の探索直後に出現したスキルの名だった。
「……どんなスキルなのよ」
「分からん」
本来、スキルは名前からある程度の性能は予測できる。
しかし今回のスキル名はあまりに抽象的だ。
もし光と影の両方を操れるのなら、光魔法と影魔法といった風に分割して記述されるのが普通だ。
――もしかすると、何かの暗喩なのだろうか。
「1日経ったってのに、まだ試してないわけ?」
香子はそう返す。
手に入れたスキルは早めに試すのが常識。
まして戦術的価値の高いユニークスキルとなればなおさら。
「いや、試したけど何も起こらなかったんだ」
「?」
だが、景一郎は試さなかったのではない。
試したが、よく分からなかったのだ。
「多分、特殊な条件でしか使えないスキルなんだろうな。たとえばモンスター相手じゃないと使えないとか」
景一郎が【光と影】を使用したのは誰もいない訓練場。
結果として何も起こらなかった。
すぐに思いつく理由は2つ。
スキルの発動条件を満たしていなかったのか。
スキルの発動対象がいなかったからなのか。
そんなところだろう。
「……アタシに使わないでよね」
香子は嫌そうな表情を浮かべ、自分の体を抱く。
「分かってる。危なすぎるからな」
汎用スキルなら調べれば詳細なんてすぐに分かる。
しかしユニークスキルは他に使用者がいないため、使ってみるまでその性質は分からない。
敵ならともかく、そんなものを味方に使うわけもない。
(それにしても、気になるな)
景一郎は考える。
次々に増えてゆくユニークスキル。
そして――
(最初はトラップ関係だったユニークスキルの傾向が変わりつつある)
手に入るユニークスキルの傾向の変化。
最初の3つ――トラップ【矢印】と【空中展開】とトラップ【ダンジョン】はいずれも彼の職業である【罠士】と親和性があるスキルだ。
しかしそれ以降の【操影・異形】は違う。
まだ名前しか分からないが【光と影】もあまりトラップ系のスキルとは考えにくい。
(トラップから、影のスキルに――そこに意味があるとしたら)
最近のユニークスキルはトラップというより、影という性質で統一されている。
本来なら無作為なはずのユニークスキル。
そこに傾向がある理由は――
「ん……?」
その時、着信音が響いた。
音の出処は――景一郎のケータイだ。
「誰だ……?」
彼はそれほど交友関係が広いほうではない。
電話番号を知っている相手となれば【面影】か【聖剣】くらいのもの。
「………………」
――なぜか嫌な予感がした。
☆
「さすが魔都といったところですわね」
明乃は魔都の街を歩く。
もちろん、ただ漫然と歩いているのではない。
人の流れ、そして並ぶ店なども逐一チェックしている。
「高ランクの冒険者ばかりとなれば、多少無茶な値段設定でも成り立つということですわね。収入が多いからこそ、散財に頓着なさらない方が多いのでしょう」
今日はとある人物との商談であった。
本来、冷泉家が商売の対象とするのは中堅冒険者。
しかし最近の調子なら、もう少し市場を広げてもいいと思い始めたのだ。
「桐生院家との折り合いも考えなければなりませんが、実際に見てみると勉強になりますわね。後々は、こちらに市場を広げてゆくことも――」
上級冒険者を対象とした商売は、どちらかといえばジェシカ――桐生院家の領分だ。
だからこそ下手な手の出し方をすれば、桐生院家との関係が悪くなる可能性もある。
互いのためにも、上手く市場の隙間を見つけたいところだけれど――
「きゃぁぁっ!」
そんなことを考えていると、悲鳴が上がった。
「……何事ですの?」
女性の声。
とはいえ、ここにいるのは一流の冒険者ばかり。
か弱いという言葉とは無縁の者たちばかりだ。
「またかよ……」「さすがにそろそろ――」「やめとけ。大怪我するだけだって」
(何を遠巻きに見ていらっしゃいますの……?)
声のしたほうには人が集まっている。
野次馬――なのだろうが、彼らの表情にあるのは好奇心ではない。
どちらかといえば同情に近い。
「失礼いたしますわ」
何が起こっているのか。
それを確かめるため、明乃は人波をかき分ける。
「あれは――」
その先にいたのは、倒れた女性と大男だった。
女性はうずくまり、男性はそんな女性を見下ろしている。
あまり――穏やかな雰囲気ではない。
『クソうぜぇ雑魚どもだぜ』
「…………海外の冒険者のようですわね」
男が口にしたのは英語だった。
発音や言葉選びから察するに、もともと英語圏で生まれた人物だ。
ここにいる理由は分からないが、本来このあたりを拠点にしている冒険者ではないのだろう。
『オレ様に指図なんざ、千年早ぇんだよ』
男が腕を振り上げる。
――冒険者の能力は見た目と一致するとは限らない。
小柄な少女がパワーアタッカーであることも。
大男が魔法使いであることも珍しくない。
見た目で冒険者の性質は分からない。
だが、仕草を見れば分かる。
あの男は――他者を殴り慣れている。
(まずいですわっ――)
明乃は反射的に地を蹴っていた。
男の実力は不明。
だが女性は無防備な状態だ。
あのまま殴りつけられてしまえばどうなるか分からない。
明乃は大盾を手元に召喚すると、横から男の拳に突進した。
横からの衝撃で男の腕の軌道が変わる。
おかげで男の腕は地面へと叩きつけられた。
『ぁぁ?』
『事情は存じ上げませんが、さすがにそれ以上はやりすぎなのではなくて?』
男の視線が明乃へと向けられる。
そこに宿るのは苛立ち。
明乃はそれでも毅然とそう返した。
(横から受け流したのに……腕が痺れましたわ)
だが、痛みでわずかに彼女の眉がゆがむ。
たった一度。
それも受け止めるのではなく受け流した。
だというのに明乃の腕にはまだ痺れが残っている。
もしかすると目の前の男は、想像よりもまずい相手かもしれない。
『お酒も入ってらっしゃるようですし、とりあえず――』
『うっせぇんだよ』
できるだけ相手を刺激しないよう、丁寧な英語で語りかける明乃。
しかし男は耳を貸さない。
それどころか、今度は明乃へと向けて腕を振るった。
「ッ……!?」
とっさに明乃は大盾で攻撃を受け止める。
しかし――
(素手で盾を砕きますの……!?)
砕けたのは盾だった。
男はどう見ても全力を出していない。
威力が一点に集中するよう、固く握った拳で殴りつけたのではない。
ただ薙ぎ払うように、その腕を横に振り抜いただけ。
そんな適当な攻撃が、明乃のガードを上回ったのだ。
『らぁッ!』
続いて男が拳を引いた。
(防具を砕くような勢いで殴ったあげく追撃まで――まともな神経でするような行動じゃありませんわ……!)
明乃は背筋が凍るのを感じた。
反射的に攻撃しただけならまだ分かる。
男は酔っているということもあり、本能的に攻撃した可能性はある。
だが――普通に考えたとして、追撃までするだろうか。
防具を破壊された相手を、さらに殴ろうなどと考えるだろうか。
そこにあるのは、抑えられない暴力性だった。
「ぁぐっ……!?」
男の拳が明乃の腹へとめり込む。
瞬間、世界が暗転した。
☆
「ん……」
明乃は呻き声を漏らした。
あのまま殴り飛ばされ、気を失っていたのだ。
彼女の体がいくつもの建物を貫通し、路地裏へと吹っ飛んでいた。
崩れた瓦礫の上で明乃は身を起こす。
彼女が頭を振れば、髪に降りかかっていた砂埃が宙を舞う。
『ったく、雑魚どもがイキり上がってて白けるぜ』
――男の声が聞こえた。
明乃が意識を失っていたのはほんの数秒だったのだろう。
しかしもしかすると、それは不幸なことだったのかもしれない。
あのまま気絶し続けていることこそが、残された救いだったのかもしれない。
『オレ様にかすり傷もつけられねぇような雑魚が、オレ様のやることにケチつけるなんてクレイジーなんだよ』
誰もいない路地で、2人は対峙する。
とはいえ、殴られた衝撃で明乃の体は動かない。
どこかが折れたわけでもないが、すさまじい虚脱感のせいで立ち上がることさえできないのだ。
「んぐっ……」
座り込んだままの明乃。
男は彼女を蹴り倒す。
そのまま男は明乃の胸を踏みつける。
『こっちの連中は特にだ。一発殴れば潰れるくらいヒョロいくせに、よく口を挟みやがる』
胸元を踏みにじられ、押し潰された肺から酸素が逃げてゆく。
圧迫された心臓が悲鳴を上げる。
だが明乃と男の力の差は歴然。
彼女がいくら抵抗しようとも、男はバランスを崩しさえしない。
『そいつらがどうなったかは――教えなくても分かるよな?』
男が再び拳を構えた。
彼の行動を妨げた明乃は、よほど許し難い存在らしい。
(まずい……ですわね)
明乃は唇を噛む。
(あれを食らったら、内臓の1つか2つは覚悟しなければなりませんわ)
――それも、1発で終わればの話だ。
彼の気性から考えて、それはあまりにも希望的観測が過ぎている。
冒険者として、女として。
まともな状態で帰してもらえるとは思えなかった。
「ちょっと待ったぁ!」
それでも最後まで抵抗はやめない。
そんな悲痛な覚悟を固めようとしたとき――声が聞こえた。
誰もいなかった路地。
そこには、ゴスロリ服を纏った少年が立っていた。
「っ!? 詞さん……!?」
「ごめんね明乃ちゃん。さっき騒動を聞きつけて来たんだけど、結構ギリギリだった感じだよね」
詞はすでにナイフを構えている。
状況がどれほど緊迫しているのかを、彼も理解しているのだろう。
「あ?」
想定していない人間の登場。
それによって男の足が明乃から離れた。
「とりゃっ」
そのタイミングを突き、詞は明乃を男から引き離す。
おそらく【隠密】で初動を隠し、男が詞の動きを察知するまでの一瞬のロスを利用したのだ。
「確かに……かなり危うい状況ではありましたわ」
男と距離を取れたことで、明乃は安堵の息を漏らす。
だが事態が好転したわけではない。
明乃は腰を上げ、詞の隣に並び立つ。
「で? えっと……あの人はどこの国の人? 英語で通じる? ボク、英語もあんま得意じゃないけど」
「安心してくださいませ。彼に通じる言語はありませんわ」
「えぇ……」
明乃の言葉に偽りはない。
彼女たちが何を言ったとして、あの男の行動を変えることはできないだろう。
「ならぁ――」
話し合いでの解決は不可能。
それを詞も理解したのだろう。
彼は笑みを浮かべ――号令をかけた。
「やっちゃえ透流ちゃんっ!」
直後、魔弾が男の後頭部に炸裂した。
4章後半の敵はこれまでよりかなり強くなる予定です。




