4章 7話 収束
「ん。これで一件落着」
雪子がそうつぶやいた。
すでに景一郎たちはゲートの外へと離脱している。
本来の目的であったエリアボスの討伐も達成したため、一度探索を切り上げたのだ。
「大変な攻略になったな」
景一郎は息を吐き出す。
初めてのSランクダンジョンでモンスターハウスが発生するなんて限りなく低い確率の出来事だ。
結果こそ良かったものの、心臓には悪い。
「気付いた時点で、解決に必要な戦力が揃っていたのは幸運でしたね」
ある意味、菊理が口にしたことがすべてだろう。
モンスターハウス現象が発生したダンジョン。
偶然にも、そこに【聖剣】の2人が居合わせた。
だからこそ、ここまで効率よく事態を収束させられたのだ。
本来、モンスターハウス現象を止めるのは最低でも一日がかり、場合によっては数日を要する。
発見から半日足らずで鎮圧したのは異常といってもいい手際だ。
「ああ。2人がいてくれて良かった」
「景一郎さんも、ですよ?」
「……………………そう、か」
きょとんとした菊理が発した言葉。
嘘偽りを感じさせないその声は、景一郎の心に沁み込んだ。
おそらく、景一郎たちがいなくとも今回の件は解決しただろう。
きっと彼の影響なんて、鎮圧までにかかる時間が多少縮まったくらいのこと。
彼自身がそう思っているのに、菊理は彼の存在を認めてくれた。
認めて欲しい人に、肯定してもらえた。
そのことに感動を覚えないはずがなかった。
☆
「…………んんぅ」
詞は頬を膨らませてうなる。
彼の視線の先にいるのは景一郎と――【聖剣】の2人だ。
(お兄ちゃんのああいう表情……初めて見たかもなぁ)
半年。
それが景一郎と知り合ってからの時間。
確かに、長いとは言えない期間かもしれない。
それでも濃密な関係を築いてきたという自負があった。
あったのだが――
「どうなさいましたの?」
「お兄ちゃんがボクたち以外のパーティの人と仲良くしているのってフクザツな気分だよぅ」
明乃の問いに、詞はそう吐露した。
前を歩く景一郎の横顔は――嬉しそうだった。
もちろん彼は詞たちと一緒にいても笑うことはある。
だが【聖剣】の2人と談笑して見せる笑顔は――何かが違うのだ。
【聖剣】は景一郎が小学生だったころからの幼馴染だという。
だから彼女たちといるときは、景一郎は詞たちに見せないような笑顔を浮かべる。
大切な人が、自分には見せてくれない笑顔を誰かに見せている。
それはとても――寂しいことだ。
「ですが、仕方がないことですわ」
そう言って、明乃は景一郎の背中を見つめている。
彼女の瞳に宿るものは、詞とそれほど変わらない感情に思えた。
「あの方々は、わたくしたちよりも長く景一郎様と一緒にいて――」
明乃は微笑む。
だがその笑顔は彼女らしからぬ、分かりやすい作り笑顔だった。
「――景一郎様自身が、そこにいたいと思っている場所なのですから」
最初から分かっていたこと。
【面影】は景一郎の夢のための踏み台。
そして彼が目指す着地点は【聖剣】なのだ。
【面影】と【聖剣】――比べるまでもなかった。
最初から結末の分かっているストーリーでしかない。
「いつか……景一郎さんは【面影】からいなくなってしまう」
透流がそう漏らした。
いつになるのかは分からない。
それでも景一郎が【聖剣】に復帰することを認められた時には、【面影】というパーティは終わってしまう。
少なくとも元の形を取り戻すことはない。
【面影】はある意味で、景一郎を慕う感情を基盤として生まれたパーティだから。
「……別に本人がそう望んでるならそれで良いでしょ?」
「夢の応援をするって言ったけど……ちょっと寂しいなぁ」
きっと香子の言葉は正しい。
すべてを決めるのは景一郎。
大切な人が、大切な夢を掴む。
それはきっと詞にとっても、嬉しいことでなければならないはずなのだ。
ただ景一郎と【聖剣】の2人が語らうのを見ていると感じてしまうだけ。
――彼の夢が叶う日が、そう遠くはないことを。
「それでも。――応援するのでしょう?」
明乃はそう問いかける。
だから詞は――屈託なく笑った。
「もちろんっ。お兄ちゃんのことが大好きだからね」
寂しさを紛らわせるように笑った。
「それにパーティが変わっても、ボクたちの関係は変わらないって分かってるから」
いつか景一郎が【聖剣】に返り咲く日が来たとして。
それが【面影】にとって最後の日だったとして。
それで関係が途絶えるわけではない。
パーティメンバーでなくとも友達のままで。
最強のパーティで活躍をする景一郎の噂を聞いて『あれはボクたちのパーティリーダーだったんだ』だなんて自慢気な気持ちを抱いて。
そういう日々が続いていくはずだ。
「――何があっても、変わらないって信じてるから」
それくらいは、運命も許してくれるだろう。
☆
「景一郎君。今回の件で分かった」
談笑の最中、雪子はそう切り出した。
ほんの少しの声音の違い。
それだけで、彼女の話題がこれまでの雑談とは違うことが分かった。
「景一郎君は、ここで生きていけるくらい――強くなった」
雪子が口にしたのは、景一郎の実力を認める言葉。
彼が魔都に挑む資格があるのかを念入りに試そうとした雪子。
その結果、彼女は景一郎の力を認めたのだ。
「でも、だからこそ忠告」
「――――あの方、ですね」
雪子の言葉に菊理が顔を曇らせる。
「?」
話の流れから、別に景一郎を魔都から退けようという話ではないだろう。
彼の実力不足を指摘するものでないとして、彼女たちは何を忠告しようというのか。
「今、オリジンゲート攻略のためにアメリカから助っ人が来てる。名前はジェイソン・D・カッパー」
雪子が切り出したのは、とある冒険者の話だった。
「正直、素行は最悪。すでにかなりの数の問題行動を起こしてる」
海外からわざわざ派遣された冒険者。
素行の悪い冒険者は一定数存在するが、雪子がわざわざその冒険者について忠告してきた理由。
それは――
「というと――」
「いくら海外からの助っ人とはいえ、もうそろそろ監督官も動かなければならないほどです」
「……それは相当だな」
景一郎は眉を寄せる。
監督官は、冒険者の警察だ。
順々に上司を辿っていけば、最後は政府にいきつく。
ゆえに国家の思惑にその行動は制限される。
国家主導の計画遂行ために呼び寄せられた冒険者となれば、監督官はかなり甘い目で見なければならなかったはず。
政府の意向に従い、最大限見て見ぬふりをしてきたはずだ。
それでも看過できないとなれば、その行動がどれほどのものか考えたくもない。
――最悪、法に触れかねないことを繰り返しているというわけだ。
「暴力沙汰は当たり前。しかもSランクだから手が付けられない」
「あいつの職業は【バーサーカー】――アタッカー最強の職業」
雪子が告げたのは、件の冒険者の職業。
【バーサーカー】というのはパワーアタッカーに分類される職業だ。
全職業最強のパワー。
魔法もスキルも少ないが、肉体強度はタンク向きとされる上級職よりも高い。
最強の攻撃力、最高クラスの防御力。
それを兼ね備えるからこそ【バーサーカー】はアタッカー最強の職業と呼ばれるのだ。
「あいつと揉め事を起こしても、損しかしない」
雪子の語る人物像に誤りがないのなら、平和的な話し合いが通じる相手ではない。
しかも実力はトップクラス。
雪子の言う通り、関わるだけこちらが損をする相手だ。
「だから気を付けておいて欲しい」
「私たちでも、彼を止めるのは一苦労ですので」
「そんなに強いのか?」
「ええ」
菊理は頷く。
「――殺しても良いなら話は別ですが」
――くすっ……。
菊理はほの暗い笑みを浮かべてそう漏らした。
どうやら、ジェイソンという冒険者にはかなり手を焼かされているらしい。
「ま、まあ……話は分かった。気を付けておく」
「ん。あんなのに景一郎君の道が邪魔されるのは不愉快。だから頑張って」
「おう」
夢の邪魔をされたくないのは景一郎も同じこと。
ありがたく忠告を受け入れる。
「ゆっこ。菊理」
景一郎が呼びかけると、雪子と菊理が振り返る。
憧れの人であり、幼馴染。
そんな2人に、景一郎は笑いかけた。
「絶対に俺も、オリジンゲート攻略に行くからな」
☆
「ごろにゃーん」
縁側で白い少女はそう鳴いた。
白い少女――天眼来見の視線の先にいるのは猫だった。
猫は和風の庭園――いわゆる枯山水を我が物顔で闊歩している。
来見は猫じゃらしを揺らし、猫の注意を引きつけた。
「おっと」
猫の注意を十分に引いたと思えるタイミング。
そこで来見は――猫に飛びかかった。
とはいえ、来見に冒険者としての身体能力はない。
それどころか片足に障害があり、歩行には杖が必要な身。
そんな彼女の瞬発力では、猫を捕えることなどできなかった。
「君は素早いかもしれないけれど、運命の掌からは逃げられないのさ」
とはいえ、跳んで逃げた猫の着地地点を予測し、見事に捕まえて見せたのだけれど。
速さ比べでは勝ち目がなくとも、来見が誰かに先読みで負けることなどありえないのだ。
「ぁぅ……」
その時、来見の顔面に痛みが走った。
それは捕えられた猫の反撃。
爪による一撃が、来見の顔に炸裂したのだ。
可能性として察知していても、痛みに体が反応してしまうのは本能だ。
反射的に身を引こうとした来見は、踏ん張り切れずにその場でひっくり返る。
とっさに身を守ろうと受け身を取ったことで、猫は彼女の手中から逃れてしまった。
「ふむ。暴力か。策謀に対してもっとも有効なカウンターだね」
暴力は即物的で、時に低劣とされる。
だが知力や権力に対して有効なカードでもある。
知力も権力も、眼前に迫る拳を受け止めてはくれないのだから。
来見は縁側に倒れ込んだまま、そんなことを思っていた。
「――何やってるワケ?」
そんな彼女に声をかける存在が現れた。
黒髪に、幾何学の瞳。
美しいはずなのに、それよりも不気味さが先んじてしまう不穏な少女。
彼女はリリスと名乗っていた。
彼女は来見のお友達。
友達ではなく、お友達。
お友達ごっこと言い換えても良いかもしれない。
「おや。リリスちゃんじゃないか」
来見は寝そべったままリリスを見上げた。
「簡単なことだよ。運命を調整していたのさ」
そう言って、来見は笑う。
そんな彼女に対するリリスの反応は――ため息だった。
「猫とじゃれているようにしか見えなかったんだケド」
リリスの言葉は正しい。
しかし、正しいが満点の回答とは言えない。
いわば歴史上の人物の名前を問われ『生物』と答える程度の正しさだ。
「うん。それだけさ。しかし結果として、君はここで足を10秒止める。それによって、君はあそこの廊下で出会うはずだった執事と出会わない」
来見は廊下を指で示した。
廊下がちょうど十字に交差している部分。
そこを初老の男性が横切った。
「これが、運命を調整するってことさ」
もし来見がいなければ、あのままリリスは歩き続けていた。
そしてあの交差路で、あの男性と面識を持っただろう。
――そこに意味があるのかはともかくとして。
「出会いは偶然、別れは必然。であれば、出会いを操ることは簡単なのさ」
いわば意図的なバタフライエフェクト。
蝶の羽ばたきによって、地球の裏側で竜巻が起こるのではない。
地球の裏で竜巻を起こすため、目の前にいる蝶を完璧なタイミングで羽ばたかせるのだ。
天眼来見にはそれができる。
「運命の2人を引き裂くことも、出会うべきではない宿敵と鉢合わせさせるのも。すべて私の胸先三寸というわけなんだ」
「…………」
寝転がったまま来見は両手を広げる。
呆れた視線で見下ろすリリス。
それを無視して、来見は演説を続けた。
「さぁて、景一郎君。君は、次はどんな子と出会いたいかな?」
「今度会える子が――――いい子だと良いね?」
次回から4章も後編に。




