1章 5話 影の真価
冒険者の間では『Bランクの壁』という言葉が使われることがある。
CランクとBランクのモンスターの間には明確な差が存在する。
――Bランクのモンスターはダンジョンから出られない。
ダンジョン外にも生息するCランクモンスターと違い、Bランクモンスターはダンジョン外で行動することはない。
ダンジョン外で活動できるか否か。
それこそがBランクとCランクを分ける定義。
だが、一部にCランクと呼ぶには強力で、ダンジョン外でも問題なく動き続けるためBランクの定義にも当てはまらない。
そんなモンスターが発見された。
そんなモンスターのために作られた等級が――C+。
つまり、オーガの戦闘力はBランクモンスターに匹敵するということ。
「厄介ですわね……!」
明乃は苛立たしげな表情を浮かべる。
彼女の仲間は非戦闘員が多く、戦えそうな人物は負傷している。
ゴブリンの群れを退けた直後に現れたオーガ。
明乃にとっては頭を抱えたい状況だろう。
「想定外だな」
そう口にした景一郎は――笑っていた。
「だからこそ、自分が冒険者だって思い出せる」
想定外で気の抜けない戦い。
これこそが冒険者だ。
今、自分は全力で冒険を楽しめている。
「来いよオーガ」
「この戦いで、俺自身に真価を問う」
相手は格上のモンスター。
半日前の自分なら歯が立たないような相手だ。
そんなオーガを前に何ができるか。
この困難を乗り越えられるのか。
影浦景一郎は、これを試練だと理解した。
幼馴染に追いつくための、超えるべき壁の一つなのだと。
「オ、オオオオオオオオオッ!」
オーガが吠えた。
彼は棍棒を振り上げる。
あれに殴られてしまえばミンチ確定だ。
「トラップ・セット」
ゆえに景一郎は地面に2つの【矢印】を貼り付けた。
片方は景一郎が回避に使うため。
もう1つは――
「離れていてくれ」
――明乃を逃がすためのもの。
景一郎は明乃の肩を押す。
すると彼女は一歩下がり――【矢印】を踏んだ。
「きゃっ……!?」
明乃の体が急激に離れてゆく。
彼女は矢印の方向に飛ばされ、広間から追い出された。
広間に残るのは景一郎とオーガだけ。
1対1。
それは混じりけのない死合いだった。
「っと」
景一郎は矢印を踏み、横に飛ぶ。
その一瞬後、彼のいた場所を棍棒が叩き潰した。
矢印を利用した移動は、景一郎の速力を超える。
逆に言えば、素の身体能力だけでオーガの攻撃を躱し続けることは難しい。
「トラップ・セット」
充分な距離を取ってから、景一郎はトラップを準備する。
(トラップ同士の融合が可能なら――)
「――――――【デュエット】」
地面で――2つの矢印が重なった。
トラップの融合。
それが実現したとき、景一郎はこの可能性に思い至っていた。
矢印同士の重ね掛け。
それによる――移動強制の強化。
「行け」
景一郎は矢印へと短剣を投げ込んだ。
短剣が落ち、矢印へと触れる。
すると――短剣が高速で射出された。
景一郎の動体視力を以てしてもブレて見えるほどのスピード。
「ガァァァァァッ!?」
響くのはオーガの絶叫。
短剣のミサイルが、オーガの足首を貫いたのだ。
足首を破壊され、オーガが膝をつく。
足を潰した。
これでオーガは移動できない。
「悪いけど俺は【罠士】だからな。射程外から確実に殺させてもらう」
機動力は奪った。
オーガに遠距離攻撃はない。
ならば彼の攻撃が届かない位置から少しずつ削っていくのが定石。
「トラップ・セット」
景一郎は矢印に乗る。
彼は地面を滑るようにして加速した。
オーガを円で囲むように。
彼の間合いの外を滑ってゆく。
「格落ち品だけど、当たれば痛いだろ」
景一郎は腰に手を伸ばし、コートの下にあるウエストポーチを探った。
これもアイテムバッグと呼ばれる特殊な道具で、見た目以上の容量が特徴だ。
大量の物が入り、重さもない。
ダンジョンから持ち帰ったアイテムが収入源である冒険者にとって必需品である。
彼が取り出したのは短剣。
だが宵闇の双剣に比べれば遥かに格は劣る。
念のために持っていただけのサブにすぎない。
景一郎はそれを矢印に投げ込んだ。
「ガァァァッ!?」
撃ちだされた短剣がオーガの後頭部に刺さる。
武器の質か、射出速度不足か。
頭部に撃ち込んでも、オーガは生きている。
「このまま削り殺せば――」
景一郎がそう考えていると――オーガが吠えた。
咆哮は洞窟を揺らし、小石を降らせる。
「なるほど――」
オーガが棍棒を振り上げた。
そして――投げる。
「死ぬまで待ってくれるほど馬鹿じゃないってわけか」
回転しながら飛来する棍棒。
オーガの筋力で投擲された武器だ。
そこに内包された威力はすさまじい。
「――ただの狩りじゃあつまらないと思い始めていたところだったんだ」
景一郎は腰を落とし、構えた。
オーガの攻撃を躱さない。
受けてみせるという意思表示だ。
「駄目ですわぁぁっ!」
明乃の声が響く。
どうやら彼の戦いをずっと見ていたようだ。
さっきまでは静観していたが、景一郎の暴挙を前に叫ばずにはいられなかった。
そんなところか。
「トラップ・セット」
だが、景一郎とて勝算もなく立ってなどいない。
彼は短剣を盾のように構える。
その刀身には――矢印が貼り付いていた。
「ッッ!」
景一郎は刀身――その横っ腹で棍棒を受け止める。
瞬間、トラップが発動する。
矢印に引かれ、棍棒の軌道が変化する。
もしも身体能力で受け止めようとしたのなら、景一郎など容易く弾き飛ばされることだろう。
だが【矢印】の強制移動という概念そのもので受け止めたのなら。
「ッ――!」
棍棒が打ち上げられる。
それはつまりオーガは得物を失ったということ。
防御手段を失ったということだ。
「トラップ・セット――――【矢印】+【炎】」
両手にトラップが展開される。
彼の拍手に合わせ、二つの罠は融合し、起動した。
湧き上がる豪炎。
本来なら、炎はトラップを踏んだ者だけを焼き尽くす。
しかし炎は矢印によって指向性を与えられ、オーガへと迫った。
断末魔の叫びが響く。
オーガは業火に焼かれ身を起こす。
だがそれも一度きり。
全身を焼かれたオーガは力尽き、地面へと五体を投げだすのであった。
☆
「そんな……」
明乃は驚愕のあまり上手く声が出なかった。
思考は巡るのに、言葉は見つからない。
「スピードアタッカークラスの速力。ウィザードクラスの重力魔法」
戦士系。魔法系。
その長所を集めたような戦闘力。
それは本来あり得ないことだ。
生まれ持った職業ごとに長所があり短所がある。
だからこそパーティを組み、ポジションを分けるのだから。
(この方は……冒険者の常識を覆しうる)
まだ、彼の実力は発展途上。
彼より強い冒険者など数多く存在している。
それでも、明乃は確信していた。
彼は、いずれ最強へと至ることのできる逸材だと。
(わたくしは――)
もしも、
もしも出来ることならば。
(わたくしはあの方を――)