3章 16話 一歩の重さ
「この夢が叶うのなら死んでもいい」
どこかで聞いたようなセリフ。
そこに込められているのは覚悟。
夢と命を天秤にかけてなお、夢の重みが消えることはないことを示す言葉だ。
「でも、それじゃ俺の夢には届かないんだ」
努力を重ねても。
命を懸けても。
きっと景一郎の夢には届かない。
「俺の才能じゃ、その程度の捨て身じゃ届かない」
なら、どうすればいいのか。
いっそ諦められたのなら楽なのかもしれない。
でも、それはできないから。
この衝動は、それを許してくれないから。
「だから、俺は覚悟する」
なら、より覚悟をするしかない。
重く、重く。
己自身に誓うしかない。
「夢を目指すためのこの一歩一歩。そのすべてに命を懸ける!」
もっと努力を重ねる。
もっと命を懸ける。
燃え尽きるような愚直さで進むしかない。
「トラップッ! セットッ!」
景一郎は叫ぶ。
そして掌を叩き合わせた。
「【矢印】+【縛】+【重力】ッ!」
「ッ……! トラップの3重融合……!?」
この戦いで、初めてナツメが驚愕した。
それはそのはず。
これまで景一郎は3つのトラップを融合させたことはない。
近くで監視していたからこそ、その事実を知っているはず。
「3つ以上のトラップを合わせるのはリスクが高い。そう俺の本能が言っていた。だから、これまでは使わなかった」
スキルの使用には、感覚に頼る面も大きい。
スキルの使用限界を直感で感じ取ることも珍しくない。
そして景一郎は感じていた。
反動なく融合できるトラップの数は2つまでだと。
「だけど、もう迷わない」
限界を超える覚悟なら、もう決めたから。
「行けぇッ!」
合掌する景一郎。
彼の手から――黒く光る縄が伸びた。
黒縄は空中を走りナツメへと迫る。
「くっ……!」
動揺からか、わずかにナツメの回避が遅れる。
それでもさすがのスピード。
彼女は黒縄が直撃する事態だけは避けた。
黒縄はナツメの左手首に巻き付く。
体の末端。
胴体を縛られるのに比べれば、はるかに体の自由が残る場所。
景一郎へと伸びる縄を斬ってしまえば、動きのロスは1秒未満。
――もしもこれが『重力トラップ』を付与されていなければ。
「っ……!?」
ナツメがその場に倒れ込む。
――左手に引っ張られるようにして。
地面に叩きつけられる彼女の左手。
そこを中心に地面が小さくへこんだ。
「縄が――重い……!?」
すでにナツメはトラップの縄を断っている。
それでも彼女は立ち上がれない。
手首に巻き付いた縄そのものが重く、彼女を拘束しているのだ。
「ん、ぁぁっ……!」
ナツメは左手を掴んで立ち上がる。
しかし足元はふらつき、動きは鈍い。
景一郎のトラップは、確実に彼女の速度を削いでいる。
「【矢印】+【重力】ッ!」
ここが攻め時。
そう判断し、景一郎は新たなトラップを発動させる。
強力な重力が矢印によって指向性を与えられる。
それは純粋な力の奔流となりナツメを狙った。
重力という不可視の力。
だが、その威力は敵を圧殺することだろう。
「…………仕方ありませんねッ……!」
重りを背負っていては躱せない。
そう判断したのだろう。
ナツメは――左手を斬り捨てた。
彼女の左手首が地面へと落ち――その自重で地面を抉った。
一方で、身軽になったナツメは余裕をもって重力の津波を回避する。
「どうしたんですか……!? 言った先からいつもの融合トラップ――やはり口だけでしたか……?」
手首を落とした痛みのせいかわずかに汗をにじませるナツメ。
それでも彼女は余裕の表情でそう煽る。
だが――景一郎は揺らがない。
「【矢印】×3+【重力】」
今のトラップは、あくまでナツメを誘導するためのものだったから。
「4重――融合……?」
1つの矢印を円環させ、重力を球体状に固める。
残る2つの矢印で――射出した。
「これはッ……!」
ナツメが目を見開く。
彼女の体が重力弾に引き寄せられているからだ。
景一郎が放った黒い魔弾は、ブラックホールのように周囲の物体を引き寄せる。
回避をしたくとも、吸い寄せる力に相殺させて思うように動けない。
それでもナツメは重量弾を回避して見せた。
――はずだった。
ブチブチブチブチブチッ……!
「ぎぃぃッ…………!?」
肉の千切れる音。
ナツメの口から苦悶の悲鳴が上がる。
「掠っただけで……左腕を引き千切りますか……」
彼女の左腕が――根元から消失していた。
ほんの掠めただけ。
それでも重力弾は、彼女の左腕を千切り取ったのだ。
矢印によって圧縮された重力トラップは、すさまじい殺傷力を内包していた。
「いわば【超重力砲】といったところでしょうか」
1つの矢印で重力を押し固め、もう1つの矢印で撃ち出す。
最低でも3重融合を必要とされるトラップ。
だがその攻撃力は絶大だ。
「くっ……頭痛いな……!」
わずかに景一郎の体が揺れる。
鼻にどろりとした感覚。
おそらく鼻血が出たのだろう。
やはり3重以上のトラップ融合は体への負担が大きい。
使いどころは考えなければならない。
「それでも――!」
そして使いどころは――今をおいてほかにない!
「【矢印】×3+【重力】」
景一郎の手から重力砲が撃ち出される。
サイズはバスケットボールくらい。
それでも、触れた箇所が抉り取られるような凶弾だ。
「その弾速が相手では、いずれ捕まるでしょう」
ナツメは身をかがめる。
彼女の目から見ても、重力砲の威力は評価に値したらしい。
だが、彼女は退かない。
「なら――いっぱい持って行ってください。私の臓物」
むしろ――突っ込んだ。
ナツメの脇腹を撃ち抜く重力砲。
ほとばしる鮮血。
彼女の胴体が半球型に消滅した。
それでも彼女は止まらない。
「知ってますか――相打ちでも、Aランクへの昇格条件はリセットになると」
景一郎の目的のために必要なのは勝利。
ナツメの役割はそれを潰すこと。
ゆえに、彼女は勝利を諦めた。
――目的の達成のために。
不確実な勝利より、確実な相打ちで。
彼女はあくまでも、目的に固執した。
――その姿はきっと、景一郎が学ぶべきものだ。
感情やプライドで目的を見失わない。
勝利条件を見誤らない。
その冷静さは、間違いなく見習うべきもの。
「知らなかった」
――見習って、魔都で活かしていく経験だ。
「でも、最初から相打つつもりなんてない」
景一郎は腕を振り上げる。
その手には、逆手に握った短剣がある。
「勝って、俺は魔都へ行く」
だから、勝利しか見ていない。
次があるだとか。
今度勝てばいいだなんて聞き分けのいいことは言わない。
子供のようなワガママで、目の前の勝ちにこだわり続ける。
【聖剣】に追いつくには、勝ち続けるしかないから。
「――――お見事」
矢印がナツメの刺突の軌道を変えた。
急所を大きく外すナイフ。
追撃は――ない。
ナツメはほとんど倒れ込むようにしてナイフを突き出していた。
死力を尽くした最後の一撃だったのだろう。
追撃はなく、ナツメは無防備な姿をさらしている。
――勝負は決まりだった。
「ッ――!」
景一郎が振り下ろした短剣。
それは勢いよくナツメの背中を貫く。
その下にある、心臓を貫いた。
「そういえば――1つ聞いていいですか?」
勝負が決した世界。
そこで景一郎は問いかける。
【大幻想陣】の戦場。
ここで、聞きたかったから。
「なんであんなキツイ言葉を使ってまで、俺を焚きつけたんですか?」
それだけが気にかかった。
彼女はあくまでも、景一郎の昇格を阻むために戦った。
だが、1つだけ不合理な点がある。
ナツメは、景一郎を強い言葉で叱咤した。
それがなければ彼女が順当に勝っていたはずだというのに、だ。
「――どうでしょうか」
顔を伏せたままナツメはそう漏らす。
その表情は見えない。
だけど、なんとなく――
「案外……私も、夢を追う貴方の姿に期待をしてしまったのかもしれませんね」
――微笑んでいたように思えた。
次回からエピローグと、アナザーエピローグを経て、物語は4章へと向かいます。
4章からは第2部の開幕。
物語の舞台が魔都へと移ります。




