3章 15話 【メイドマスター】
今話は前日分のため、本日はあと1話投稿いたします。
(どうする――)
景一郎は考える。
目の前にいるのは棘ナツメ。
ブラフでないのなら、彼女はレベル180の強者。
(相手は俺より高レベル)
そしてナツメの職業は【アサシン】あるいは同系列の職業。
同じレベルであったとしても、【罠士】である彼よりも高い身体能力を持っている。
(初撃はくれてやるってか)
それでもナツメは動かない。
待っているのだ。
景一郎の初手を。
(遅ければ攻撃を当てる前に潰される。制御できないスピードを出してしまえば、カウンターを合わせられる)
生半可な攻撃は通じない。
だからといって、自分で操り切れないほどの速力を発揮したとしても意味はない。
単調になった攻撃のタイミングを読まれ――手痛い反撃を食らうだけ。
「トラップ・セット」
油断はない。
ゆえに様子見もない。
己に制御できる最速で。
「カルテット」
景一郎は矢印を踏みつけた。
吹き飛ぶように変化する景色。
「はぁぁッ!」
彼は加速しながら短剣を振るう。
想定外の反撃にも対応できる余裕を残しての一撃。
それは――
「がッ……!?」
――あっさり叩き落とされた。
「遅いですよ」
ナツメがしたことは単純明快。
景一郎が彼女を間合いに捉える直前に、彼女は素早く一歩間合いを詰めたのだ。
そのスピードは――矢印で加速していたはずの景一郎よりも速かった。
景一郎の攻撃よりも早く、ナツメは彼を間合いに捉えた。
そのままナイフの柄を振り下ろし、彼の背中を叩き据えたのだ。
「制御できないスピードを出してしまうことを恐れたのでしょうけれど……無駄です」
ナツメは看破していた。
景一郎が様子見などと悠長なことはしないことを。
だからといって、自爆になりかねない無茶なスピードを出しはしないと。
それらを読み切ったからこそ、完璧なタイミングにカウンターを合わせられたのだ。
「この程度のスピードなら――先手を取るのは容易いことですので」
そして何より、景一郎のスピードでは彼女を出し抜けなかったということだ。
☆
「逃げてばかりですか?」
続く戦い。
しかしそれは防戦一方だった。
距離を詰めるナツメ。
振るわれるナイフ。
景一郎はそれをギリギリで躱してゆく。
ナツメは景一郎よりも速い。
自分よりも速い相手を倒すには、先読みが必須だ。
相手の間合い。速力。攻撃のリズム。
それらを把握する必要がある。
その時間を稼ぐための逃亡なのだが――
「っく……!」
ナツメの刃が景一郎の腕を掠めた。
動きのリズムを見ているのは向こうも同じ。
彼女が動きに調整を加えるたび、彼女の刃は景一郎の命に近づいてゆく。
その前に突破口を見つけなければ――
「【屠殺】」
ナツメが何かのスキルを使用した。
その直後――景一郎の左腕が血を噴く。
「がッ……!?」
景一郎は驚愕に目を見開いた。
「傷が――」
血が出た場所。
それはさっき、ナイフで切られた場所。
だが奇妙だ。
先程の攻撃は掠めただけ。
血が少し垂れるくらいでしかなかったはず。
「私の職業は上級職【メイドマスター】です」
【メイドマスター】――聞いたこともない職業だ。
しかし上級職には特殊な条件を満たす必要があるものも多いらしく、そのほとんどが解明されていない。
よほど有名な上級職が相手でない限り、ほとんど初見のスキルと対峙させられることとなるのだ。
「そして【メイドマスター】のスキルは――生物特効」
「小さな切り傷でも、スキル効果で傷口をこじ開けることができます」
ナツメの職業は――生物を殺すことに特化したもの。
掠めただけで、その傷は深く刻まれる。
「そして流れた血液は、止まるまで倍以上の時間を要する」
傷口から流れ出す命が、すぐに止まることはない。
血液の循環する生き物を殺すことに特化したスキル――職業。
それが棘ナツメの職業【メイドマスター】なのだろう。
「浅手だと悠長に構えていたら、遠くないうちに【大幻想陣】の維持限界を超えてしまいますよ」
「く……そッ……!」
【大幻想陣】は、本来なら死んでいるであろうダメージに達した時点で解除される。
このまま血を流し続けて、失血量が致死の域に踏み込んだのなら。
その時点で【大幻想陣】の戦場から弾き出され、景一郎の敗北が確定する。
「【操影・異形】ッッ!」
これ以上、攻撃を受けられない。
その一心で、景一郎は影を呼ぶ。
景一郎の足元に広がる影。
それは姿を変え――化物となる。
怪獣じみた黒い異形。
化物は咆哮とともに、ナツメへと突進した。
対するナツメが漏らすのは――ため息。
「はぁ――――忘れられたのですか?」
「私のスキルは――生物特効だと」
ナツメは軽く構える。
逃げる気配はない。
ただ――ナイフを振るった。
「【屠殺・逸品】」
十字に振るわれる斬撃。
それは――影の異形を切断した。
ナイフによる攻撃では物理的にありえないダメージ。
しかし現実として、たった一度の攻撃で影の異形は消滅した。
「うそ……だろ」
これだけで勝てると思っていたわけではない。
だが、こんなあっけなく負けるとは思っていなかった。
反撃の糸口を見つけるための一手が――ほんの一瞬で潰された。
「これで――満足いただけましたか?」
それでも、ナツメは微笑むだけだ。
だからこそ――恐ろしい。
☆
「逃げても構いませんよ?」
戦いが始まって約15分経ったときだった。
ナツメがそんなことを言い出したのは。
「ですが、私は立ちはだかり続ける」
彼女のナイフからは血が垂れている。
防戦一方でも、完全には防ぎきれない。
それが戦力差だった。
「Aランクへの昇格には3連勝が必須。今回逃げたとしても、次の3戦目で私は貴方を阻みます」
ここで負けても、運が悪かったと諦めればいい。
そんな甘えは許さない。
ナツメを越えずしてAランクはあり得ない。
許さないと言っているのだ。
「他のメンバーを昇格させることでパーティランクを上げようというのなら、私は貴方の仲間も斬り殺します」
もちろん、景一郎がAランクになれなければいいという問題ではない。
他のメンバーがAランクになれば、第1次オリジンゲート攻略戦への参加権を手にすることとなる。
それでは意味がない。
ナツメが問題視しているのは、景一郎の実力不足なのだから。
もし景一郎が逃げたのなら、この試練は他の仲間に降りかかる。
景一郎がナツメを打倒するまで、ずっと。
「――それが明乃でもか?」
景一郎が苦し紛れにそう笑うと、ナツメの雰囲気が一変した。
心臓を貫くような冷気。
この寒気の正体は――殺気だ。
彼女が放つ殺気が、彼の感覚を狂わせているのだ。
「そんなことをするような男なら――【大幻想陣】の外で殺す」
ナツメは虚ろな目で景一郎を見つめる。
瞳から覗く深淵。
そこにあるのは限りのない殺意。
(この殺気……)
景一郎は息を吐く。
彼女の殺気によって乱された精神を無理にでも落ち着かせる。
(間違いない。彼女は、俺より数段上の実力者だ)
彼女の殺意を肌で感じ、その差を明確に理解した。
――これまでの推測さえまだ生温かったと理解した。
これは……策略で覆る戦力差ではない。
「――今、感じましたね? 実力差」
ナツメは微笑んだ。
だが、その笑みは驚くほど冷たい。
「――――」
「隠さなくてもいいんですよ? 貴方の心が一歩引いたのが分かりましたから」
冷たい笑み。
裏腹に、その言葉は毒のように温かい。
「それを踏まえて、言わせていただきます」
ナツメは息を吸い込む。
そして――
「――――調子こいてんじゃねぇぞテメェ」
そう言い放った。
「ユニークスキルに目覚めた。支えてくれる仲間に恵まれた。目指すべき目標が見えた。不完全ながらも、かつての仲間と同じ偉業を成し遂げた」
ナツメは並べてゆく。
景一郎が歩いてきた道筋を。
そして――
「――順調すぎて、忘れてるんじゃねぇだろうな?」
一笑した。
これまで見せたことのない表情。
掴みどころのない雰囲気は消え、彼女は激情をあらわにした。
「お前は! 最弱の【罠士】! 走る速度は遅い! スタートラインだってはるか後方!」
世界は平等ではない。
能力にもスキルにも恵まれない【罠士】という職業。
同じようにレベルを上げても、同じように強くはなれない。
なのに、生まれたときからすでに力の差がある。
「そんな奴がトップに追いすがろうって掲げてるなら――もっと、なりふり構わないところ見せてみろよッ!」
自分よりも早く成長する相手を、後方から追いかける。
それなら、何倍も早く階段を上るしかない。
目指すのは最強の頂。
他の冒険者より少し速いだけのスピードでは足りないのだ。
「勝ち方にスマートさを求めるなッ! そんな身分じゃねぇだろぉがッ!」
大きすぎるハンデを背負っているのだ。
格好の良い走り方なんて考えている余裕はない。
ただ速く。もっと遠くに。
それだけを考えろと叫ぶ。
「獣になれよ影浦景一郎」
「2本足じゃ、お前の目指すゴールは遠すぎる」
☆
(――これが、現実か)
血を少し流しすぎたのか。
意識がぼんやりとしている。
(スキルが覚醒して、あいつらに追いつけるかもしれないと思った)
だからだろうか。
戦闘中だというのに、そんなことを考えてしまう。
トラップ【矢印】に目覚めたとき、希望を感じた。
これなら【聖剣】の皆に追いつけるかもしれない、と。
「……俺は、間違ってたのか」
――そんな思い込みは今、叩き折られた。
「ユニークスキルを手に入れて……【聖剣】と肩を並べられるかもしれないと思ったんだ」
自分の考えが間違っていたと思い知らされた。
「でも、違った」
それを教えてくれたのは目の前の女性。
本来なら彼を阻むだけの存在であるはずの彼女が、景一郎の道を正してくれた。
「力が手に入ったから、肩を並べられるように頑張るだなんて甘えだよな」
景一郎の口元が歪む。
――浮かべるのは、笑みだ。
「肩を並べたいから――力が足りなくても手繰り寄せるんだッ!」
追いかけられるだけの能力があるからじゃない。
追いかけずにはいられない衝動があるから。
だから景一郎は走り出すのだ。
「ナツメさん。俺は、あなたより弱い」
――それは事実として認める。
「――――でも、勝つよ」
だが、諦める動機としては弱すぎる。
「俺には、殉じたい夢があるから」
次回で決着の予定です。




