3章 10話 嗜虐人形
「やっぱりこいつだったか」
景一郎は嘆息する。
彼の前にいるのはマリオネットアリス。
もっとも警戒していた相手だった。
想定してはいたが、他のモンスターであったらという期待はあったのだが。
「アンタ…………どうしてここに来たのよ」
茫然とした様子で香子が問いかけてくる。
――彼女はすでに【人形劇】スキルに体の自由を奪われていた。
もし景一郎の到着が遅れていたら、今頃命はなかっただろう。
多少強引にでも急いだのは正しかったらしい。
「そりゃ、ダンジョンをクリアするためだろ」
景一郎はマリオネットアリスから目を離さずに答えた。
マリオネットアリスの【人形劇】が発動する条件は、彼女の指から伸びた糸に触れること。
しかし対象に触れるまで、糸は半透明で不可視に近い。
そのため見ていたなら回避できるというわけでもないのだが、視界から外すよりは安全だ。
「あいつらが何年も前に通った道にビビるわけにはいかないよな」
景一郎はそう漏らした。
スタンピードダンジョンを単身でクリアしたのは過去の【聖剣】だ。
そして彼が追っているのは、今の【聖剣】なのだ。
彼女たちがずっと前に踏破したような偉業を越えられないようでは、あと2カ月と少しで彼女たちに並び立つことはできないだろう。
「立てるか花咲里」
「――当たり前」
景一郎が声をかけると、背後で香子が立ち上がるのが分かった。
先程までは恐怖を感じていたようだが、今は精神も落ち着いているように思える。
「あいつのスキル【人形劇】は指先の糸に触れることで発動する。けど……正直、回避は不可能に近い」
景一郎は必要な情報を共有してゆく。
マリオネットアリスは不可視の攻撃で敵を操る。
そうなればもう自分自身で支配から逃れることは不可能。
それこそSランクであろうとも弄ばれ、殺される。
「だから、2人で連携するぞ。相方がスキルに嵌まったら、残ったほうが解除する。それだけで格段に倒しやすくなるはずだ」
だが――それは一騎打ちでの話。
もしも自分が支配された時、助けてくれる仲間がいたのなら。
【人形劇】への対抗策を持ち、勝負という土台に乗れたのなら。
――マリオネットアリスは、ただのAランクモンスターでしかない。
「そんなの、言われなくても分かるっての」
香子は太腿のホルスターから剣を引き抜いた。
「それじゃ、素人が作ったプラモデルみたいにしてやろうぜ」
「目のビー玉、思いっきり抉り出してやるわよ」
「なかなかエグイな……」
どうやら彼女はマリオネットアリスにかなりの恨みを抱いたようだ。
あと少しで殺されそうだったのだから、当然なのだろうけれど。
「きひあひゃひゃひゃひゃひゃひゃぁぁぁあああああああああああああ!」
そんな中、マリオネットアリスは嗤い声を轟かせる。
醜悪な哄笑は、オペラ歌手の歌声のようにホール全体へと響き渡った。
「どうやらあいつはドMみたいだな。よろこんでやがる」
景一郎がそんな冗談を口にした時――
「「ッ!」」
――マリオネットアリスが腕を振るった。
正直、糸は見えない。
だが【人形劇】の予備動作であることは容易に想像がつく。
「【矢印】」
景一郎は【矢印】で壁を作った。
彼の前方をふさぐように下方向の矢印が多数展開される。
そして直後――床に何かが突き刺さった。
それは糸だった。
矢印によって軌道を歪められた糸がステージに刺さったのだ。
「逃げるなよ」
腕を引いて糸を回収しようとするマリオネットアリス。
だがそんなことを許すはずもない。
景一郎は糸を掴む。
「射出しろ」
そしてもう一方の手で、大量の武器を投げ上げた。
それらはすでに空中へと設置していた矢印に乗って――射出された。
このままでは命がないと判断したのだろう。
マリオネットアリスは糸を切ると、その場を離れて攻撃を躱す。
「何よあれ!」
「俺のスキルだ。矢印に触れると、その方向に移動が強制される」
「聞いたこともないスキルなんだけど……!?」
香子が疑問の声を上げる。
前回の戦いでも、矢印そのものは見られていなかった。
だから、彼女が【矢印】を目にするのは初めてなのだ。
「……それより、不用意に近づきすぎるなよ。いくらパートナーがいても【人形劇】を食らった直後は隙ができる。あいつらに近づきすぎているとカバーが間に合わない」
操られていないほうが糸を斬れば支配から逃れられる。
だが、それが間に合わないほど離れていては意味がない。
「分かってるっての」
そんな忠告を受け、香子は笑う。
そして――剣をホルスターに戻した。
「じゃあ、こいつを使えばいいんでしょ」
新たに香子が引き抜いた武器。
それを見て、景一郎はわずかに目を見開く。
「……左手に拳銃で、右手に鎖鎌かよ」
どちらも中遠距離で使用できる武器。
だが拳銃はともかく、鎖鎌はかなり特殊な技術を必要とする。
しかもそれを片手で操ろうというのだ。
(どんだけ変則的な戦闘スタイルなんだよ)
見たこともない変則スタイル。
さすがに考えなしということはないと思うが――
「はぁッ!」
香子は腕を振るう。
同時に投擲される鎌。
その刃は正確にマリオネットアリスを狙っている。
「しかもちゃんと操れているな……」
当たりこそしなかったが、狙いそのものは外れていない。
連携に組み込めば、充分に運用できるレベルの技術だ。
「なんでそんなスタイルで戦おうと思ったんだ?」
――本来、冒険者は一度使うと決めた武器の種類を変えることはない。
武器が変われば、その立ち回りも大きく変化するからだ。
だから実力のある冒険者ほど、一度確立させた戦闘スタイルを変更することは躊躇う。
初めて香子と会ったとき、彼女は剣と銃を使っていた。
だというのになぜ、わざわざ鎖鎌を使う練習までしたのか。
そう思っての問いだったのだが――
「はぁ? 性能が高そうな武器がドロップしたんだし、使わないともったいないでしょ」
「…………こいつマジか」
返ってきたのは、あまりにも常識外れの答えだった。
(あんな使いづらい武器を即興で使ってるのかよ)
――あまりにもセンスが並外れている。
ろくに練習していない武器を実戦で使う。
しかもそれで成果を出している。
底なしのバトルセンスだった。
「花咲里」
「は?」
「……俺はサポートに回る。思いっきり戦え」
ゆえに景一郎は計画の変更を提案する。
これまでは相互に連携し、隙を突けたものが攻撃をするという作戦だった。
だが、今度は完全に役割を分担する。
攻撃は香子。景一郎はそのアシストに回る。
そのほうが効率よくダメージを与えられると判断した。
「分かってんじゃん」
香子は笑う。
「…………ありがと」
そして、小声の感謝とともに彼女はマリオネットアリスへと攻撃を放つ。
とはいえ敵はマリオネットアリスだけではない。
周囲から迫るモンスターは景一郎が弾き飛ばす。
【人形劇】の解除、そして雑兵の露払い。
それが彼の仕事だ。
「【矢印】」
ついでに、矢印で吹っ飛ばしたモンスターをマリオネットアリスに衝突させる。
重量級のモンスターが直撃し、マリオネットアリスの姿勢が崩れた。
「はぁぁッ!」
そのタイミングで香子が動く。
彼女が投げたのは、鎖鎌の鎖部分だ。
鎖がマリオネットアリスの足首に絡みつく。
「終わりよッ!」
香子は鎖を踏みつける。
それにより、マリオネットアリスが動ける範囲が大きく制限された。
その状態で、香子は鎌を投げ放つ。
鋭い刃がマリオネットの頭を狙うが――
「――あれを躱すのか……!」
マリオネットアリスは、鎖に捕らわれた足を残して跳び上がる。
膝にあった関節を外したのだ。
人形という性質。
それを利用した着脱自在の肉体。
自身の能力を最大限に活かし、マリオネットアリスは絶命の攻撃を回避する。
「そんなの――躱したうちに入らないわよッ!」
だが、香子のセンスはその程度の小細工など叩き潰す。
彼女が鎌の投擲と同時に行っていたのは、左手の拳銃による射撃。
高速で撃ち出された魔弾。
それが――鎌に当たった。
魔弾が当たったことで、鎌がビリヤードのように弾かれる。
跳ね上がる鎌。
その先にいるのは――マリオネットアリス。
「ぎひはッ……!?」
鎌がマリオネットアリスの首に刺さる。
そして鎌から伸びた鎖は――香子の手中だ。
「燃えるゴミにしてやるわ」
香子は鎖を――引いた。
鎌が引き戻され、マリオネットアリスの首を裂く。
動きを止める人形。
その首は半分ほど斬られている。
やがて自重に耐えかね――首がステージに転がり落ちた。
スポットライトに照らされながら、頭部が消滅してゆく。
「――終わったな」
マリオネットアリスの体も消えつつあることを確認し、景一郎はそうつぶやいた。
彼の周囲にいた雑兵もすでに活動していない。
それはこのダンジョンのボスが完全に討伐されたことを示していた。
「これでダンジョンからモンスターは出てこないわけ?」
「ああ。2時間以内にクリアしてしまえば、あとは他のダンジョンと一緒だ」
「そ」
そう言うと、香子は景一郎に背を向ける。
「そういえばアンタの矢印」
「?」
背中越しに聞こえる彼女の声。
景一郎が首を傾けると――
「な、なんか……欲しいとこにドンピシャで来て……キモかった」
か細く、そんな言葉が聞こえてきた。
どうやら、景一郎のアシストはお気に召したらしい。
「……そりゃどうも」
言葉選びはともかく、彼女なりの誉め言葉だと思っておこう。
「クリアしたなら帰ろうぜ。もう避難も始まってるだろうし」
「分かってるっての」
すでに明乃と透流が避難を始めているはずだ。
ダンジョンクリアの報告は早いほうが良い。
「それじゃ……戻るか」
すでにステージには、ボスを倒したことで脱出用のゲートが出現していた。
景一郎がそこに向かうと――
「…………助けてくれてありがと」
香子が何かを言ったのが聞こえた。
しかしその声は小さく、きちんと聞き取ることができなかった。
「どうした?」
景一郎は振り返って聞き返す。
すると香子の顔はみるみる赤くなり――
「は、はぁ!? なんでアンタに言うことがあるとでも思ったわけ!?」
肩を怒らせて香子は景一郎の隣を通りすぎる。
そのまま彼へと向き直ることもなく脱出ゲートへと入って行ってしまった。
1人ステージに残された景一郎。
彼は誰の目に触れることもなく息を吐き出す。
「へいへい」
そして彼は、香子の後を追うのであった。
もうすぐ3章前半も終わりが近いです。