3章 8話 地獄の淵
ゲートの向こうへと消えた香子。
当然、彼女の身を案じる気持ちはある。
しかし、やらなければならないことが山積みなのも事実。
景一郎たちは【面影】のメンバーをゲートのある場所へと招集していた。
「なるほど……」
明乃はレッドゲートを横目に頷く。
「わたくしは景一郎様の判断を支持いたしますわ」
彼女の意見は賛成だった。
「状況が悪すぎますわ。やれることを、できるだけするしかありませんわ」
基本的に明乃は合理主義者だ。
感情を尊重するのも、理屈の押し付けだけでは人の心を動かせないと理解しているから。
ゆえに、自分自身の感情に突き動かされて視野を狭めることはない。
「…………ああ」
景一郎はそう答える。
分かっている。
人命よりも大切なものはない。
生きていれば、やり直せる。
だから、彼の判断に誤りはない。
――ただ少し、割り切るのに時間を必要としているだけだ。
「景一郎様?」
そんな彼の表情に気が付いたのだろう。
明乃は彼の顔を覗き込み、両手で彼の頬に触れた。
「……やるべきことと、やりたいことに乖離がある。そういったご様子ですわね」
「まあ……な」
言わずとも見抜かれるのだろう。
だからこそ、景一郎は心を偽らない。
「でも生きていれば、そういうのはよくあることだろう?」
理想と現実。
そのギャップは誰にでもあるものだ。
だからこそ、できることをやっていくしかない。
「ですわね」
明乃もそれを否定はしない。
事実を事実として受け入れたうえで、彼女は微笑む。
「でも組織においては、リーダーは理想を語るくらいがちょうどいいのかもしれませんわね。現実を語って嫌われるのは、副官の仕事ですわ」
リーダーは理想を語る。
副官は、理想と現実を擦り合わせ、より良い結果を引き寄せる。
リーダーという神輿が、少しでも望む未来を歩めるように。
明乃は言っているのだ。
景一郎は――理想を語っていいと。
そのための障害を排除する役目を負うと。
「……実はな」
景一郎は頭を掻く。
どうやら自分は、仲間に恵まれたらしい。
分かっていたことだが、その思いはより一層強い確信となる。
「…………ちょっと、伝説に挑みたい気分なんだ」
「こっちは任せてもいいか?」
「もちろんですわ」「おっけぇ」「ん、大丈夫」
景一郎は問いかける。
すると【面影】の皆が頷いた。
彼の心を尊重してくれた。
「詞」
「はぁい」
景一郎はリーダーだ。
ゆえに、この場を離れるのなら、最後の役目は果たさねばならない。
「詞は、ここでダンジョンから出てきたモンスターを駆除してくれ。【隠密】からの不意打ちで大体は大丈夫だと思うけど、【隠密】が効きにくい相手もいるかもしれないから気を付けるように」
「おっけぇ」
景一郎はメンバーへと指示を出す。
「確か明乃は、ここの組合と面識があるんだよな?」
「ええ。すでに顔合わせは終わっていますわ」
「なら避難誘導は明乃に一任する。組合と連携して、その場で最適だと思う方法で一般人を守ってくれ」
「了解ですわ」
明乃はそう答えた。
地元と連携が取れるか否かは明暗を分けかねない。
このあたりを取り仕切っている人物とつながりがあったのは幸運だった。
おかげで、避難はスムーズに進むことだろう。
「透流は明乃の補助だ。モンスターが一般人に近づいてきたときの迎撃を頼む。射程を考えると、かなり広範囲をカバーするよう求められると思うけど――任せられるか?」
「ん。やる」
透流は首肯した。
――もしモンスターが一般人の目に触れてしまったら。
それだけでパニックが起こり、二次災害の引き金となる。
一般人が気付けないほどのロングレンジからモンスターを討伐できる魔導スナイパーは、この場において最適といえる人材だった。
「そして俺は――このダンジョンを攻略する」
そして景一郎は赤いゲートと対峙した。
Aランクダンジョンの少数踏破。
場合によっては、単身クリアをしなければならないかもしれない。
それは偉業と呼ぶには充分すぎる試練だ。
「クリアできれば最高なんだが、最悪でもダンジョン内のモンスターを削れるだけ削ってから戻ってくる。そうすれば、ダンジョンからあふれ出すモンスターの数も抑えられるからな」
ダンジョンが暴走して現れるモンスターの数は、そのとき内部にいたモンスターと同じ。
内部で景一郎がモンスターを討てば、モンスターが大氾濫した際の規模が変わってくる。
とはいえモンスターの数を減らすのは次善策。
あくまで最善はボスの討伐だ。
「とりあえず、俺から出せる指示はここまでだ。あとは現場の判断にゆだねる」
「了解ですわ」「りょーかい」「ん……了解」
実際の戦いになれば、景一郎が想定していない流れも存在するだろう。
そうなったときは、各々の判断に任せるしかない。
しかしきっと皆なら、上手くやってくれるだろう。
疑いも不安もなかった。
「それじゃあ……俺も行くか」
「お兄ちゃん」
景一郎がゲートに向かおうとしたとき、詞が彼を呼び止める。
「ボクは討ち漏らしたりしないから、無理に雑魚モンスターにまで手を伸ばさなくていいからね」
詞は町を守るための最前線だ。
彼女が討ち漏らせば、続く明乃や透流への負担となる。
だが、そんなことは気にしなくていいと語る。
変な気を回さなくていい。
彼の表情は、そう言っていた。
「だから――『2人』で戻ってくること優先ってことで」
あくまでボスを倒せ。
そして香子を、無事に連れ帰ってくれ。
そのために、ここの防衛ラインは崩させない。
それは詞の激励だった。
「ああ」
景一郎は口元に笑みを浮かべた。
もう言葉は必要ないだろう。
景一郎は【面影】に背を向け、ゲートに飛び込んだ。
☆
「モンスターが多いな」
景一郎は短剣を振るう。
斬撃はヌイグルミの形をしたモンスターであるマッドドールの首を断つ。
「あいつも、あくまでボス狙いで進んだんだろうな」
ダンジョン内には多くのモンスターがいる。
消耗を避けるため、香子は上手く隠れながら進んだのだろう。
ボス狙いであるのなら、そうするのが正しい。
景一郎もできるだけモンスターとの接触を避けて進んでゆく。
「それにしても……ドール系のモンスターか」
景一郎はダンジョンの内装へと目を向ける。
まるでそこはおもちゃの家だ。
ポップな色をしたブロックが積み上げられて作られた壁と床。
現れるモンスターはすべて人形やヌイグルミ。
――嫌な予感がした。
おもちゃの家。
おもちゃの姿をしたモンスター。
そして、Aランク。
「ボスがアイツじゃないといいんだけど」
海外で数年前に起きた事件が思い出される。
状況において、脅威度が飛躍的に増すモンスターもいるという教訓を冒険者たちに刻み込んだボスモンスター。
このダンジョンは――
――かつてSランク冒険者を殺したAランクボスモンスターが住むというダンジョンに酷似していた。
3章前半のボスは、一定条件下で凶悪な性能を誇るモンスターです。