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3章  7話 死のゲート

「ここか――」


 景一郎は扉をスライドさせた。


 ただの直感。

 しかしここには、何かがある。

 そんな気がしていた。


「気配は……どこだ」


 温泉からあがる湯気を蹴り払うようにして彼は歩む。


 元々、確信の持てないあやふやな気配が相手なのだ。

 明確な場所など分からない。

 

「どうだったのお兄ちゃん?」


 うしろから詞が尋ねてくる。


 魔力のような気配を感じたのは景一郎だけ。

 だから詞としては手の出しようがないのだろう。


「いや……分からない。気配はある気がするんだけど――」

「気配ってぇ……あれじゃなくて……?」


 詞が指先で景一郎の脇腹を突いた。

 彼が振り返ると、詞はある方向を指で示している。

 景一郎がそれを目で追うと――


「? ………………あ」


 温泉に――少女がいた。

 赤髪の少女――花咲里香子だった。


「な、あ、アンタふざけてんの……!? 入浴時間なんてもうすぎてるし――そもそもここ女湯なんだけど……!?」


 香子が勢いよく立ち上がる。

 温泉の白く濁ったお湯が波打った。


 時間はすでに午前2時に近い。

 もう一般客は入浴できない時間帯だ。

 この時間になってやっと、従業員として働いた彼女が最後に温泉へと入り、掃除を済ませる。

 そんなところだろう。

 実際、温泉の端にはデッキブラシが置かれている。

 ――などと意味のないことを考えてしまう。


「いや……悪い。妙な魔力を感じて……」

「は、はぁ!? なにその怪しい霊媒師みたいな言い訳!」


 怒りで顔を赤くする香子。

 経緯はどうあれ、今の景一郎は覗き魔だった。


「モンスターを探していたら、モンスターは自分の心にいたってオチだねっ」

「寓話かよ」


 詞の言葉に、景一郎は嘆息する。


(さて、どうしたものか)


 出会った時点で好感度はマイナス。

 依然としてそれは変わらない。

 そして、ここにきて裸を見てしまった。

 ――取り返しがつかない気がした。


 ここから上手く茶を濁せるような言い訳は存在するのか。



「「「ッ――!」」」



 そのときだった。


 この場に、おぞましい気配が現れたのは。


「うっそ……。ゲート……? こんなところに……?」


 詞は茫然とつぶやいた。


 露天風呂の中央。

 虚空に――ゲートが開いた。


 ぱっくりと大口を開けたゲート。

 その色は――赤。


「しかも……よりにもよって赤色かよ」


 乾いた血液のような色。

 触れてさえいないのに、禍々しい空気が漂ってくる。


 このゲートの名を、景一郎は知っていた。



「スタンピードダンジョン」



 通称レッドゲート。

 そして、その別名は――



「――――『一般人を殺すダンジョン』」



「えーっと、ごめんお兄ちゃん。スタンピードダンジョンって……なんだっけ?」


 赤いゲートを見上げ、詞はそう言った。

 だがそれも仕方のないことだ。

 ダンジョンの95%以上が青――ノーマルダンジョンだ。

 特殊な性質を持つダンジョンなど、そうそう見ることはない。


「スタンピードダンジョンっていうのはダンジョンの種類の1つだ」


 景一郎は詞へと順を追って説明する。


「ノーマルダンジョンの他に、ダンジョンには特殊な種類のものが2つある」


 今回のダンジョンは特に正しい対処が求められるものだ。

 だからこそ、性質をきちんと理解しておく必要がある。


「誰かが入ってくるまでワンランク下であるかのように偽装するミミックダンジョン。そしてもう1つがスタンピードダンジョン」



「そして――スタンピードダンジョンは発生から2時間で暴走する」



 本来、ダンジョンはクリアされるまで消えない。

 だが赤いダンジョンだけは、2時間という短時間で消滅するのだ。


 自然消滅するダンジョン

 そういえば、脅威度は低いように聞こえる。

 しかし実際は、むしろ逆だ。


「暴走?」

「ああ。そうなると――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()



 消えるのは――ダンジョンだけなのだから。



 スタンピードダンジョンは2時間で消滅する。

 ダンジョンという檻が消え、中にいたモンスターが一気に解放される。

 それがスタンピードダンジョンなのだ。


「え? ダンジョンからモンスターが出て来ることってあるの?」

「あれは例外だけどな。だからこそスタンピードダンジョンは最悪のダンジョン――死のゲートって呼ばれるんだ」


 本来、ダンジョンからモンスターは出てこない。

 だから死者といえば、探索に入った冒険者。

 一般人にとって脅威となるモンスターは、こちらの世界で自然発生したモンスターだけなのだ。

 

 その原則を変えてしまうのがスタンピードダンジョン。

 2時間以内にダンジョンをクリアできなければ、残るモンスターが周囲に放たれる。

 そうしてモンスターは散らばり、一般人を殺すのだ。


 黄色ゲートであるミミックダンジョンは、もっとも冒険者の死亡率が高いダンジョンであると言われている。

 一方でスタンピードダンジョンは、一般人を含め――場合によっては数百人以上の人間が死亡するのだ。


「ねえ、お兄ちゃん」


 詞の声には、隠しきれない不安が宿っていた。



「監督官の人……間に合うと思う?」



「……ここは山だからな。厳しいはずだ」


 景一郎は首を横に振る。


 今すぐ冒険者協会に連絡をしたとして、ここに監督官が現れるまで1時間はかかる。

 確かに、2時間後に起こるダンジョンの暴走に比べれば早い。

 だがそれを『間に合う』と評することはできない。


「つまり難易度が分からないわけかぁ」


 詞が微妙な笑みを浮かべて空を仰ぐ。


 ダンジョンランクを計測できる機械は監督官しかもっていない。

 だから目の前のダンジョンの難易度も分からない。

 しかし――


「いや……大体は分かる」


 今回だけは例外。

 統計上、今回のランクは予想がつく。



「スタンピードダンジョンにAランク未満なんて存在しない」



 この半世紀。

 世界中でスタンピードダンジョンは確認されてきた。

 その中でBランク以下の難易度だったことは一度もない。

 レッドゲートの下限はAランクなのだ。


「それって……運が良くてAランクってこと?」


 詞の言葉に景一郎は頷く。


「ああ。厳密に言えば、魔都でしかSランクダンジョンは出てこない。だからAランクだと考えるのが妥当だろうな」


 ダンジョン攻略の最前線である魔都。

 ブラックゲート――オリジンゲートを中心として高難易度のダンジョンが乱立する都市。

 Sランクダンジョンはあそこでしか発生しない。


 消去法で考えれば、眼前のゲートはAランクと考えるべきだ。


「詞。明乃と透流を起こしてくれ」


 景一郎はそう言った。

 すでに2人で対処できる事態を飛び越えていた。


「スタンピードダンジョンは、暴走の前でも少しずつモンスターを吐き出す。駆除役と、避難誘導役が必要になる」


 暴走後とは比べ物にはならない少数。

 だがAランク相当のモンスターだ。

 放置してしまえばあっというまに死人が積みあがる。


 漏れだしたモンスターを討伐する役。

 一般人が巻き込まれないように避難をうながしつつ――討ち漏らしたモンスターへの最終防衛ラインとなる役目。

 最低でもこの2つは必須だ。


「ちょ、ちょっと――攻略はしないわけ!?」


 それに食ってかかったのは香子だった。

 更衣室に戻っていたのか、すでに彼女は服を着ていた。

 ――纏っているのは冒険者としての装備だ。


 景一郎へと詰め寄る香子。

 さっきまで彼が話していたのは――ダンジョンをクリアしないことを前提とした話。

 ここに住んでいる彼女が異を唱えるのはある意味で必然だった。


「……しないほうが得策だろうな」

「ッ!」


 それでも景一郎は香子へとそう答えた。

 彼女は怒りに口元をゆがめ、拳を強く握っていた。


「Aランクの中でも、スタンピードダンジョンは比較的難度が高いものが多い。ここにいるメンバーだけで攻略できない可能性もある」


 香子を加えたとしても、この場にいる冒険者は5人。

 探せば宿泊客にも冒険者がいるかもしれないが、Aランクダンジョンに入れるだけの実力者とは限らない。


「それより、猶予時間を使って町の人間を避難させ、冒険者を呼ぶ」


 ――ダンジョンが発生したという連絡があると、すぐに監督官が向かう手はずとなっている。

 そして監督官がランクを計測してから、冒険者協会のサイトにダンジョンの情報が掲載される。

 そこから冒険者がこちらに向かうことになる。

 それが本来の流れ。


 深夜。山。

 それらの条件を考えると、2時間では十分な冒険者は集まらない。

 攻略は難しいだろう。


「多分、冒険者が来るよりも早く暴走が始まるはずだ……。だから、冒険者が到着するまでは俺たちで抑えられるだけ抑える。それが一番、確実に被害を抑える方法だ」


 確かに、ダンジョンクリアが可能ならば被害はゼロだ。

 しかし攻略はハイリスク・ハイリターン。

 もしも攻略に失敗してしまえば、まともに避難もできないまま一般市民が殺されてゆく。


「………………ここは、どうなんのよ」

「言い訳も言い逃れもしない。…………多分、まともな形では残らない」


 攻略を放棄し、一般人を守ることだけに注力したのなら――

 建物などの物的被害は許容しなければならない。

 そうすれば、人的被害はゼロで済ませることもできるはずだ。


 現在動かせる人員で選べる現実的な選択肢。

 景一郎はこれしかないと考えていた。


「そ」


 そういうと、香子は歩き出した。

 ――ダンジョンのほうへと。


「なら――やるしかないじゃないの」


 香子は赤いゲートを睨みつける。

 

「やめろ。AランクダンジョンはAランク冒険者が1人で攻略できるような難易度じゃない」


 雑兵でさえAランクモンスター。

 最悪の場合、ボスとしてSランクモンスターと戦う可能性もある。


 Aランクの冒険者が1人で挑んだとしても、ボス部屋までたどり着けるかさえ怪しい。

 

 2時間後に起こるであろうダンジョンの消滅と、モンスターの大氾濫。

 それを封じるためには香子の力も必要となる。

 ここで犬死にさせるわけにはいかないのだ。



「今、お前が挑もうとしているのはSランクの偉業なんだぞ」




 ――2年前。【聖剣】の名が知れ渡る原因となった大災害が起こった。




 関東地方でのレッドゲート同時発生。

 4つものレッドゲートが関東地方で連続発生したのだ。


 冒険者協会から緊急招集されたレイドチームが1つのゲートをクリアした。

 残るは3つのゲート。暴走まで最長で30分。

 すでに暴走を始めたゲートもあった。

 このままでは関東地方が壊滅的な被害を受ける。

 場合によっては、大量発生したモンスターにより人間の生活圏が一気に2割削られるといわれた。



 そんな中、3つのレッドゲートをすべてクリアしたのが【聖剣】だったのだ。



 糸見菊理は、すでに暴走していたダンジョンから飛び出すモンスターの軍勢を1人で鎮圧した。

 忍足雪子は、何百ものモンスターの目を欺きボスを暗殺することでクリアした。

 鋼紅は、5分でボスを含めた全モンスターを正面から斬り捨てた。


 それらの偉業が認められ、彼女たちは国からSランク冒険者と認定されたのだ。


 香子がやろうとしているのは、それに並ぶほどの偉業なのだ。


「…………知らないわよ」


 それでも香子は退かない。

 彼女はAランク冒険者。

 それにあの練度から察するに――魔都での攻略経験がある。

 そんな彼女が、自分の行いの無謀さを理解できないはずがない。

 なのに――退かないのだ。


「ここ、ババアが大事にしてる場所なんだから……やるしかないでしょ」


 きっとそれは、意地だ。

 やれるか、やれないかではない。

 彼女にとってそれは、やらねばならないことなのだ。


「休日のたび手伝え手伝えって言うけど、正直アタシのほうが年収稼げてるし。これくらいの旅館、アタシが夏休みと冬休みで稼げば余裕で建て直せるし。実際のとこ、割に合わないのは分かってんだけど――」


 ――彼女の手元が目に入った。

 その指先は少し――震えていた。



「そういう問題じゃ……ないじゃん」



 彼女は唇を噛む。


 無謀も蛮勇も分かっている。

 それでも彼女は、挑まないわけにはいかないのだ。


 人的被害を避けるため、物的被害は許容する。

 それはきっと正しい。

 でも彼女は、その正しさからこぼれ落ちてしまう物こそ守りたかったのだろう。



「別に、アンタらは来なくていいから」



 香子はそう言うと、景一郎へと振り返った。


「ていうか――もしもの準備……しといてよ」


 もしも。

 それが何を指すのかは、いうまでもないだろう。


 そしてその『もしも』が、ほぼ確実に訪れるであろう未来であることも。


「それじゃあアタシ、行くから」


 それらすべてを理解したうえで、香子は赤いゲートに飛び込んだ。


 モンスターの氾濫は避けられないのか――




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