3章 6話 花咲里苑
あれから景一郎たちは香子に部屋を案内されていた。
部屋は景一郎と詞、明乃と透流での2部屋となっている。
ちなみに本来なら2人で泊まるとは思えないくらいに広い部屋だった。
おそらく家族連れが宿泊することを想定された部屋だ。
取引先の紹介と言っていたことを考えると、ここでも特に値段の高い部屋を空けてもらっていたのかもしれない。
「おー。いい部屋だねぇ」
詞は玄関の扉の先にあった廊下を走り、部屋へと入る。
彼は部屋の中心で両手を広げて笑っていた。
どうやら心から旅行を楽しめているらしい。
「男と2人部屋でいいわけ? ……ですか」
そんな彼に、香子は問いかける。
腰まで伸びた夜色の髪。
少女的な童顔。
人形のようなゴスロリ服。
そんな詞を男性だと思うわけもなく、彼女の目には男女で同じ部屋に宿泊しようとしているように見えているのだろう。
「あはは、大丈夫大丈夫。だってボクも男だし」
そう言って詞はその場で一回転した。
ふわりと黒いスカートが広がる。
すると黒いタイツに包まれた脚線美があらわになる。
それでも下着は見せないあたり、計算された回転スピードだったのだろう。
「は? え? じゃあなんでその服――」
「可愛いでしょ?」
「え、キ……ぇ、ぅ……へ、へぇ……?」
――さすがに香子としても、面と向かって気持ち悪いというのは躊躇われたらしい。
なぜか景一郎とは扱いが違った。
「ねー、冷蔵庫の飲み物とかお金かかるのぉ?」
詞はさっそく冷蔵庫の扉を開いていた。
そこにはいくつかのジュースとビールが並んでいる。
「いえ。そちらに入っている分は料金に含まれているので大丈夫……です。ただ、ルームサービスを注文なさった場合は追加料金となります」
「はぁい」
詞はそう返事すると、冷蔵庫からジュースの瓶を取り出した。
……それにしても、やはり接客態度が明らかに違った。
香子の態度が悪いのは、あくまで景一郎に対してだけらしい。
「――あそこがトイレ。あそこが床下収納。あそこのベランダからは下水道の蓋が見えるから」
「ことごとく楽しくなさそうなところを紹介されてるんだけど」
「ふん…………!」
景一郎が呆れたように言うと、香子は鼻を鳴らす。
どうやらかなり根に持たれているようだ。
「お兄ちゃん嫌われてるねぇ」
そんなやり取りに気付いたのか、詞はニヤニヤと笑いながら景一郎の横っ腹を小突く。
「まあちょっと色々とな――」
「ふぅん……?」
そう言いつつも、詞は特に踏み込まなかった。
香子は明らかに景一郎にだけ対応が違う。
そこから、すでに2人の間には面識があったということを察したのだろう。
そして景一郎の反応から、それほど重大なものでないことも。
「じゃあお兄ちゃん♪ 今日は2人きりだねっ」
詞は甘ったるい声でそう言うと、景一郎の左腕にしがみつく。
よほど気分が高揚しているのか、腕に頬ずりまでしてきた。
「ぇ……ホモ……? しかも『お兄ちゃん』って呼ばせてんの……? ぇ、でもじゃあロリコンは……? 男相手に兄妹プレイやってて、しかもロリコン……? ま、マジで気持ち悪……」
一方で、香子は心の底から引いているようだった。
誤解である。
☆
「ねぇねぇ。今日は個室のお風呂にすりゅ~? 2人で向かい合って湯船に浸かっちゃおうよぉ~」
詞に背後から抱き着かれた。
ちなみに彼は髪を頭頂部で束ねており、いつでも入浴できる状態だ。
「却下だ」
もっとも、景一郎からの返答は決まっているのだが。
「お兄ちゃんの対応が雑だよぉ……」
その場で崩れ落ちる詞。
しかし答えが変わることはない。
残念ながら、たとえ見た目が美少女であろうとも、男同士で湯船に同居する趣味はなかった。
「もうお兄ちゃんっ。明乃ちゃんと透流ちゃんが同じこと言っても、同じ風に返すのぉ?」
「いや……返さないな」
唇を尖らせて尋ねてくる詞。
だが景一郎の返答を聞いたことで、彼の目が輝く。
「もう、お兄ちゃったら正直なんだからぁ……やっぱり男の子なんだねぇ。本当にえっちなんだからぁ」
詞がぽんぽんと景一郎の肩を叩く。
その表情は微笑ましいものを見るときのものだった。
「『自分の身体は大事にしないと駄目だ。悩みがあるなら相談に乗る。俺たち……仲間だろ?』って言う」
――もっとも、すぐに床へ這いつくばることになるのだけど。
「断り方が超丁寧! ボクは!?」
「『ふざけんな』って言うな」
「なんで『仲間だろ』まで省略されちゃうのぉぉぉ……!」
「『仲間だと。ふざけんな』って言えばいいのか」
「微妙に変わってない!? そしてひどいっ!」
詞は頭を抱えて畳の上を転がった。
パーティ内での格差に打ちひしがれているらしい。
「お兄ぢゃんがいじめるよぉぉぉぉぉぉ!」
「慟哭するな」
「ボクが男の子だから駄目なのぉ!? 男の子は本当の仲間じゃないのぉぉ!?」
「少なくとも、密着して風呂に入りたくない理由はそれだな」
ちなみにこの部屋には個室の風呂以外に、小規模ながらも露天風呂がある。
体を密着させたいという思惑がないのなら、見慣れたような個室の風呂を利用する必然性はないのであった。
というわけで――結局、2人は露天風呂を楽しむこととなった。
☆
「お兄ちゃん……ボクの中……温かいよ……?」
すでに明かりが消えた部屋。
暗く、目の前にいる人の顔さえよく見えない世界。
そこで詞の声だけが聞こえてくる。
その声は甘く、艶を感じさせる。
まるでそれは恋人を寝屋に誘うかのようで――
「いや……他人の体温で温まった布団はちょっとな……」
「普通に拒否られた!」
詞が声を上げる。
正直なところ、他人の体温でぬるくなった布団は普通に嫌だった。
千歩譲って冬ならばともかく、しかも今は夏だ。
誘いに乗る理由が皆無である。
「明乃ちゃんと透流ちゃんでもぉ?」
「ああ」
「…………えへへ」
「なんで嬉しそうなんだよ」
なぜか嬉しそうな声を漏らす詞。
その理由を、彼の口から聞き出すことはできなかった。
「ボク、お兄ちゃんの仲間だよねぇ」
「? そりゃ、当たり前だろ」
質問の意味が分からず、首をかしげる景一郎であった。
月ヶ瀬詞が仲間であるか。
そんなこと、確かめるまでもないことのはずなのだが。
そもそも【面影】の結成を言い出したのは彼だ。
そして【面影】を抜けようとした景一郎を真っ先に止めたのも彼だ。
むしろ疑わしさなど欠片もないはずだけれど。
「ならいいやぁ。お兄ちゃん大しゅき~」
「………………そうか」
景一郎が返事をすると、もう詞が口を開くことはなかった。
再び戻ってくる沈黙。
景一郎も微睡に身を委ねようとするが――
「…………?」
何かが景一郎の脳を刺激する。
明確な感覚ではない。
直感が何かを捉えたのだ。
(魔力……か?)
景一郎は半身を起こす。
彼には敵の存在を探知するようなスキルはない。
ゆえにこれは経験則からくる直感でしかない。
だからこれは、勘違いである可能性のほうが高いのだろう。
だが、放っておくのは不安だった。
「なあ……詞」
まだ隣にいる詞が眠り切っていないことは呼吸のリズムで分かっている。
実際に、景一郎が声をかければ、彼は身じろぎをした。
「んぅ………………もう、お兄ちゃん……我慢できなかったのぉ?」
「うるさい」
「……雑だよぉ」
暗闇からそんな声が聞こえてくる。
「…………魔力を感じないか?」
景一郎は詞に問いかけた。
彼の職業は【アサシン】だ。
索敵スキルを持っていなかったとしても、気配に敏感なことの多い職業だ。
景一郎では全容がつかめなくとも、彼なら分かるかもしれない。
そんな期待をしていたのだが――
「んんぅ……? ボクが感じてるのは悲しさだけだけど」
「そうか――」
どうやら詞にも分からなかったらしい。
回答こそふざけていたものの、逆に言えば真面目に答えなければならないような気配はなかったのだろう。
(山の上のほうにモンスターが住んでるんだったよな……?)
とはいえ、不安は残る。
嫌な予感がするのだ。
モンスターの存在そのものは明乃から聞いている。
彼女の様子からして、事態はまだ緊迫していないようだった。
おそらくまだ、このあたりに出没したことはないのだろう。
だが、その偶然が起こってしまうのが今日という可能性もある。
「……ちょっと見て来る」
探知スキルがないのなら足で探すしかない。
そう思い、景一郎は立ち上がる。
「ふにゃ……そういうことならボクも行くよぉ?」
背後で、詞が布団から出てくる気配がした。
「いや。別にいい。思い違いの可能性のほうが高いからな。何かあったら声をかける」
「だぁめ。ボクも一緒に行く」
詞はそう言うと、部屋の電気をつけた。
服装こそ浴衣だが、その手にはナイフが握られている。
「その場で対処しないといけないことがあったときに、1人だと他の人も呼びに行けないでしょ? それにボク、1回目が覚めてもすぐ寝つけるタイプだから大丈夫だって」
「……そういうことなら、ちょっと付き合ってくれ」
「おっけぇ」
不確かな気配を探すため、景一郎は部屋の扉に手をかけた。
すでに時間は午前1時。
部屋から出れば、暗い廊下が待っている。
出歩いている人間の気配は――ない。
きっとこの探索は徒労に終わるのだろう。
だが、それでも――
(もしもあれがモンスターの気配だったなら……放っておけないからな)
景一郎たちは廊下を歩き始めた。
温泉街に現れた不穏な気配の正体は――