3章 5話 商機を探して
「おーい」
景一郎たちが冒険者協会から出たとき、声が聞こえた。
声が聞こえた方向では、黒い人影が手を振っている。
その人物は飛び跳ねるたび、夜色の髪とゴスロリ服のスカートが跳ねていた。
そんな『彼』の隣では、金髪の女性が静かに佇んでいる。
女性は赤いドレスを纏い、日傘を手に立っている。
その姿は驚くほど絵になっていた。
「ん……? なんで詞がいるんだ? 明乃も」
景一郎は思わぬ出迎えに疑問の声を漏らす。
月ヶ瀬詞。
冷泉明乃。
2人は、景一郎がリーダーをしている【面影】のメンバーだ。
「どうしたんだ?」
「つい来てしまいましたわ」
当然だが、景一郎たちは今日の予定を【面影】のメンバーに伝えている。
わざわざ迎えに来るような予定でないことは承知のはずなのだが――
「実はこれから、下見したい場所がありますの。よろしければ、景一郎様と透流ちゃんもご一緒にどうかと思いまして」
――どうやら別件で用事があったらしい。
ここに明乃がいるのは冒険者としてではなく、商人としてのようだ。
「温泉街なんだってー」
満面の笑みで詞が跳ねる。
どこからどう見ても浮かれていた。
「温泉街か……。でも、すでに温泉街として成り立ってるんなら、商売をする場所としてどうなんだ? いまさら参入する気なのか?」
景一郎は少し思案し、明乃に問う。
すでに関係が固まった市場に参入するのは難しい。
いわば完全な後手。
新参となれば多くの利益は望めないだろう。
景一郎でさえ予想がつくのだ。
明乃がそんなことを理解していないとは思えないのだが。
「まさか。わたくしが興味を持っているのは別件ですわ」
そう言って明乃は微笑む。
「その温泉街は山を少し登ったところにあるのですけれど。その山をさらに登ったところにモンスターが生息している気配がありましたの」
明乃は順を追って説明してゆく。
「独自調査で、しかも最近見つけたばかり。温泉街となれば、モンスターが下りてくるのは絶対に避けなければならないはずですわ」
「まあ……客が襲われたりしたら致命的だからな」
もちろん、どこであろうとモンスターは脅威だ。
しかし観光業で栄えている場所はそれが特に顕著となる。
モンスターが現れる。現れるかもしれない。
その事実は、間違いなく評判に傷をつける。
そうなればその温泉街の価値は失墜するだろう。
「だからこそ、あそこを取り仕切っている組合の方と話をつけ、わたくしの会社を通して警備のための冒険者を派遣いたしますわ」
明乃が提案するのは、遅かれ早かれ必要となるもの。
モンスターが山を下り、誰かを襲う前に。
1度目の『事故』が起こってしまう前に、手を打つよう提案するのだ。
「それにあそこは火山。モンスターが住み着けば、その影響で素材として有用な鉱石が採れるようになりますわ」
そして明乃は、さらにもう1つ商機を見出していた。
「モンスターから町を守ることで組合と関係を深めておけば、将来可能になるであろう採掘においても優位を取れますわ。旅館も多いので、採掘する際の中継地点としても有用ですし」
「色々考えてるんだな」
「ええ。商売を行うにあたって、地元の方とのトラブルは絶対に避けなければならない――さらにいえば、立ち回り次第で避けられる問題ですので」
彼女の提案は、彼女だけの利益で終わらない。
提案された側にとっても、将来的に固定客が保証されるという利益が生じる。
相手に損をさせない商売。
きっとその交渉は成功するのだろう。
「で、今日はお泊りできるんでしょ?」
一方で詞は目を輝かせていた。
彼にとっては、商談などより宿泊のほうが重要なのだろう。
「ええ。実際に宿泊して、温泉街としての将来性も見ておきたいですわね。それによって…………こちらの出方も変わりますわ」
そう言って、明乃はくすくすと笑う。
先程までとは少しベクトルの違う笑顔。
どうやら彼女は、温泉街の行く末によってはそちらにも干渉してゆく算段らしい。
――抜け目がなかった。
「ん……温泉」
透流は何度も頷いていた。
若干分かりづらい反応だが、彼女も楽しみになってきたようだ。
「そういうことなら、俺も同行させてもらうか。透流はちゃんと家に許可を取るんだぞ?」
とはいえ、今回の宿泊は突発的なイベントだ。
本来なら、透流は家に帰る予定だったはず。
――家には、母親が待っている。
先日、ついに全快して退院したそうなのだ。
きっと彼女の母は透流の帰りを待っていることだろう。
であれば娘を預かる身として、そのあたりの連絡を怠らせるわけにはいかなかった。
「ん。ちょっと電話してくる」
そう言うと、透流はケータイを手にこの場を離れた。
☆
「てっきり自家用車で向かうのかと思ってた」
「いえいえ。旅というものの価値は、目的地だけで決まるものではありませんので。一般客が使うであろう交通手段で向かわせていただきますわ」
景一郎の声に、明乃はそう答えた。
現在――彼らはバスに乗っていた。
どうやらこのバスに乗って温泉街に向かうようだ。
てっきりナツメあたりが車を用意していると思っていただけに意外だった。
――理由を聞けば納得したけれど。
(って……現実逃避をしても無駄か)
景一郎は天井を仰ぐ。
旅館へと向かう道程。
なぜ彼がそんな憂いを帯びた反応を見せたのか。
その理由は――隣の座席に座っている少女だった。
「なんでアンタがいるのよ……!」
「いや……成り行きというか、な?」
「同意求めないでよ……!」
隣に座る少女――花咲里香子を景一郎はなだめる。
奇妙な縁というべきか。
2人は偶然にも、同じバスに乗っていた。
――しかも、気付かずに隣同士の座席に座っていた。
「ちょっと肩当たってんのよ……! ロリコンが感染するでしょ……!?」
「マジで傷つくからやめてくれ」
女子高生くらいの少女に本気で拒絶されるのは心が痛かった。
「ってか……あれアンタのパーティ?」
香子はわずかに身を乗り出し、景一郎の向こう側にいる面々を見た。
そこに座っているのは明乃、詞、透流。
3人のガールズトーク(1人ガールではないけれど)から離れるようにして1人で座ったのが裏目に出るとは思わなかった。
――隣に座っている人物をよく確認しなかった景一郎が悪いのだろうけれど。
「……ああ」
間違いなく彼女は景一郎のパーティメンバーだ。
隠す必要もないので、彼は首を縦に振る。
すると――香子が少し窓際に寄った。
というより、窓際に体を押し付けるようにして景一郎から離れた。
「…………気持ち悪。肩当たっただけで妊娠したりしないでしょうね……?」
――わりと本気で嫌がられていた。
彼女の表情も怒りというより、少し怯えが混じっている気がした。
正直、かなり傷つく。
「そういうスキルは持ってないから安心してくれ」
そう言って、景一郎はうなだれた。
続く沈黙。
バスは山を登り始め、路面が荒れているのか少し揺れている。
「…………ねぇ」
「なんだ?」
そんなとき、声をかけてきたのは香子だった。
「アンタ……そろそろ降りないわけ?」
香子の表情は、何かを察しつつあるかのようだった。
(そういえば、あと2駅しか残ってないな)
景一郎はふと気付く。
すでにバスに乗って30分。
降りるべきバス停の名前を聞いていなかった。
「……明乃。俺たちが降りるところはどこなんだ?」
景一郎は通路を挟んで向こう側の座席にいる明乃に尋ねた。
彼女のことだから、降りるバス停を間違えたということはないだろう。
しかし実をいうと――景一郎もある予感を察知しつつあった。
「終点でしてよ」
「ぎぎッ…………!」
景一郎の隣からギリギリと歯ぎしりの音が聞こえた。
いうまでもなく、香子のものだ。
――どうやら、同じ場所で降りる予定だったらしい。
「……そういえば、旅館に泊まるんだよな?」
「ええ」
「……なんて名前の旅館なんだ?」
「確か……花咲里苑という名前でしたわね」
「ぎぎぎッ…………!」
――ついで、彼女の親戚が経営している旅館だったらしい。
ついに香子が剣呑なオーラを漏らし始める。
「…………なあ。キャンセルって出来るのか……?」
小声で景一郎は尋ねた。
無茶を承知での質問。
だが現実とは順当なもので――
「どうしてもとなれば考えますが……。取引先からの紹介ですので、あまり先方の顔に泥を塗るようなことはしたくはないというのが本音ですわね。それに夏休みのシーズンとなれば、今から他の旅館を探すのは難しいと思いますわ」
少し悩んだようにそう語る明乃。
当然の反応だった。
「どうかなさったのですか?」
何か問題があったのか。
そう明乃は視線で問うてくる。
「いや……いい。いいんだ……」
「ぎぎぎぎッ…………!」
歯ぎしりの音を背中に感じながら、景一郎は会話を打ち切るのであった。
「その……あれだ」
「……………………」
「なんか…………すまん」
2人の間では気まずさが募ってゆく。
――終点はもうすぐだった。
☆
「もう、こんな時間に帰ってきて! 夕食の準備が始まる前に帰って来てって言ったでしょ? 特に夏休みの時期はお客様が多いんだから――」
景一郎が目的地――花咲里苑に着いたとき、そこには女将に説教を受けている香子の姿があった。
女将の髪は赤みがかった茶髪。
それになんとなく容姿も香子と似ている。
――おそらく、彼女の母親なのだろう。
「う、うっさいわね……! アタシがわざと遅れてきたみたいに言わないでくれる!? アタシだって忙しいんだからッ!」
香子は苛立たし気にそう嚙みついていた。
やはりあの年頃というのは、親に反抗心を抱くものなのだろう。
(……思いっきり寄り道してたような気もするけどな)
冒険者協会での一連の行動。
あれがなければ、少なくとも数時間は早くここに到着していたことだろう。
だが香子は、寄り道がなかったという主張で通すつもりのようだ。
――景一郎もさすがにここで指摘はしないでおく。
「あの――本日、予約させていただいていた冷泉なのですけれど」
このまま見ているのもどうなのだろうか。
そう景一郎が思いかけていると、明乃が一歩前に出た。
彼女が名乗ったことで、女性の言葉が止まる。
「あ、あら……貴女が……! お見苦しいところを――」
どうやら娘を叱っていて明乃の存在に気が付いていなかったらしい。
女性は慌てたように明乃に向き直ると、深く頭を下げた。
「私は当苑の女将をさせていただいております花咲里馨と申します。こちらが――」
「――――香子です」
さすがに客の前ということもあってか、香子は馨の視線に促されるようにして頭を下げた。
――意外にも綺麗な所作だった。
これまでのやり取りのせいであまり礼儀正しそうな印象はなかったが、女将の娘として一通りのマナーは学んでいるというわけか。
「ちょうど良いからお客様を部屋にご案内しなさい。大切なお客様なんだから、いつもみたいな――」
「うっさいうっさい! 分かった、分かったって言ってんでしょ!」
――すぐに母親へ噛みついていたけれど。
しかし馨はどこ吹く風で、香子の頭にエプロンをかぶせた。
渋々といった様子でエプロンを着けてゆく香子。
「ぎぎぎぎぎッ…………!」
そして振り返った香子は――景一郎だけにしか見えない角度で睨みつけてきた。
殺気じみた圧力も届くが、彼以外がそれを感じている様子はない。
上手く殺気を送る方向を調整しているのだろう。
――妙に器用な技術だった。
「あー……なんていうか」
「ぁぁ?」
「いや――」
景一郎は頬を掻く。
剣呑な雰囲気を纏う香子。
彼女は――
「シュゴ――――…………」
――ロボットの排気音みたいな声ならざる声を吐き出していた。
「お、おきゃ……お客様」
ぎこちない動作で明乃たちへと向かい合う香子。
ロボット少女が、油の差されていないブリキ少女に変わった瞬間だった。
「お部屋に……ご案内……いたします」
――地獄に案内されそうな形相だった。
3章前半は温泉街で進行してゆく予定です。




