3章 4話 花咲里香子2
(ちょっと声かけてみるか)
【大幻想陣】での戦いが終わり、景一郎は椅子の上で目覚めた。
同時に彼は立ち上がり、訓練室を出る。
目当てはさっき戦ったばかりの花咲里香子。
彼女は有望な冒険者だ。
あの実力なら、おそらく魔都での探索経験者。
つながりを持って損はない。
もしソロで活動しているのなら――
「「あ」」
景一郎が訓練室の扉を開けたタイミング。
それは奇しくも、隣の部屋の扉が開いた瞬間だった。
(泣い……てる?)
扉から顔を出していたのは香子。
しかしその目は半泣きだった。
時が止まる。
次の瞬間には、髪色に負けないほど香子の顔は赤くなり――
「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!」
「危なッ……!」
――殴りかかられた。
景一郎はギリギリで顔面とパンチの間へと右手を滑り込ませたが、あと数瞬遅れていれば顔面を殴り抜かれていたことだろう。
「ッ~~~! もう帰る……!」
香子は口元を震わせながらそう絞り出す。
彼女の拳から力が抜けた。
そのまま彼女は景一郎に背を向ける。
「なあ。ちょっと話――」
「うっさいうっさいうっさい!」
景一郎が離れる背中へと手を伸ばすも、香子の背中は離れていった。
まるで駄々っ子のような怒鳴り声を残して。
「…………まあ、聞くだけ無駄か」
メンタルの脆さは感じていたが、負けず嫌いな性格も兼ね備えていたらしい。
今、景一郎がどのように声をかけたとしても無意味だろう。
むしろ今後のために放置しておいたほうが得策といえる。
若干残念な気持ちを抱え、景一郎は香子を見送った。
「ん……景一郎さん」
景一郎が立ち尽くしていると、背後から声をかけられた。
そこには変わらぬ無表情の透流が立っていた。
「透流か。どうだった?」
景一郎が問うと、透流は腕を突き出した。
――Vサインだ。
「全勝。ただ害悪戦法って言われた」
透流の眉が下がる。
少なからず傷ついたらしい。
「あぁ……。魔導スナイパーは対人戦で嫌われるからなぁ……」
忠告を忘れていた。
景一郎は目を逸らす。
魔導スナイパー。
それは【隠密】持ちの【ウィザード】が、姿を隠したまま100メートル――あるいは数百メートル離れた場所から魔法を撃ち込む戦術だ。
【隠密】に対して対抗手段を持たない冒険者にとっては殺人的な効力を有し、訳も分からないまま撃ち殺されるのだ。
確か、雪子は『クソ・オブ・クソの初見殺し』『許してはいけない悪』などと言っていた。
――もっとも、存在そのものを隠せる【隠密・無縫】を習得している彼女のほうがよほど一方的な虐殺を行っていた気がするのだが。
「今日は3人目の相手は見つからなかったし……メシ食って帰るか」
「ん」
訓練室を出る直前に、景一郎の視界には一瞬だけ対戦相手の候補が表示されていた。
そしてそこには1人も名前がなかった。
つまり3人目の対戦相手はこの場にいない。
言い換えれば、Aランクまでの条件を満たすことはできないというわけだ。
いないものは仕方がない。
そう思いなおし、景一郎は透流とともに食事へと向かうのであった。
☆
「席……埋まってるな」
景一郎はカレーとコーヒーが乗ったトレイを手にしたまま動けずにいた。
彼らが向かったのは協会の食堂だ。
広いスペースが並んだテーブル。
しかし、そこに空きはない。
どのテーブルを見ても食事をしている冒険者の姿がある。
「ん……休日だから人が多い」
「対戦相手も増えるかと思って休日を狙ったのが裏目に出たか」
景一郎は嘆息する。
今日は土曜日。
平日に比べれば、当然ながら訪れている人数は増えている。
対戦相手を確保するために狙った休日が仇となったらしい。
「どっかで相席を頼むしかないか」
景一郎は視線を巡らせる。
テーブル1つに対し、最低でも4人が座れるようになっている。
そして景一郎たちは2人。
場所によっては相席を頼めるかもしれない。
(テーブル席に1人。あそこにするか――)
景一郎はあるテーブルで視線を止める。
そこには少女が1人いるだけのテーブルがあった。
「すいません。相席いいですか?」
景一郎は少女に近づくと、そう声をかけた。
今ここにいないだけで、もしかすると友人や仲間がいるかもしれない。
そういった意味も含めての確認だ。
「……勝手にすれば?」
少女はスマホから目を離すことなくそう答えた。
わりと適当な返答だった気もするが、一応の許諾を得ることはできた。
「それじゃあ、ここにしようか」
「ん」
透流が頷く。
2人は少女と向かい合うようにして席に座った。
それでも変わらず眼前の少女はスマホを見ている。
少女の前にはドーナツとミルク。
食事というよりも、おやつに近いメニューだった。
「あ…………」
特に意味もないちょっとした観察。
そのはずだったのだが、ある事実に気付いたとき景一郎の口から声が漏れてしまった。
「?」
少女の指の動きが止まる。
どうやら彼の声は彼女の耳にも届いていたらしい。
景一郎の声に反応し、向かい側に座っていた少女がスマホから顔を上げる。
そして――
「は、はぁ!? なんでアンタがここにいるわけ!?」
少女――花咲里香子は勢いよく立ち上がった。
ガタンという音が食堂に響く。
「いや……同じ建物にいたんだから、偶然また会うことくらいあるんじゃないか?」
景一郎はあえて冷静にそう返す。
ここで落ち着いた態度を崩さないことで、彼女が冷静さを取り戻すよう促したのだが――
「うっさいわね……! カレーに牛乳ぶちまけられたいわけ!?」
「やめろ。まろやかになるだろうが」
――あまり効果がなかったらしい。
「ん……席、変えたほうが良いですか?」
そんな2人のやり取りに不穏さを感じたのか、透流が居心地悪そうにそう言った。
「はぁ? それじゃアタシが変えさせたみたいじゃない。別にいいわよ」
そう言うと、香子は座って頬杖をつく。
彼女はそのままスマホへと視線を落とし――景一郎へと戻された。
「てか、女連れで来てたわけ?」
香子の問いかけ。
女連れ。
日本語としては間違ってはいないが、ニュアンス的には否定したい内容だ。
「女連れっていうか……パーティメンバーだ」
景一郎はそう言いうと、コーヒーを飲んだ。
「……気持ち悪。ロリコンじゃん」
ぼそりと香子が口にした言葉。
おそらく聞かせるつもりもなかったであろう声量で吐き出された発言は、間違いなく景一郎の心に刺さった。
「……やめてくれ。地味に傷つく」
(客観的に見て、結構年の離れた子ばっかりでパーティ組んでるしな……)
なにせ4人中2人が中学生である。
片方は男子だが。
それでも、20歳を過ぎた男が(見た目は)女子中学生を率いているというのは、実際のところ外聞が悪そうだ。
ちょっと自覚があるだけにクリティカルヒットだった。
「じゃあ、アタシもう行くから」
香子は残っていたドーナツは手早く食べると、そのままミルクで流し込む。
すると彼女はトレイをもって席を立った。
「ああ。悪いな。急かすみたいになって」
景一郎は立ち去ろうとする香子にそう言った。
そのような意図は断じてなかったのだが、彼女にとってはゆっくりとすごす憩いの時間を妨げられたともいえる。
そのことに謝罪の言葉を口にしたのだが――
「は、はぁ!? アンタが来たからアタシが急いで食べ終わったみたいな言い方されたくないんだけど……!? そろそろ帰らないと、うちのババアがうっさいから帰るだけだし……!」
「ぉ……おう」
――なぜか、かなりムキになって言い返された。
とりあえずAランクへの挑戦は中断となります。
3章の前半は花咲里香子とのイベント。
3章の後半で、Aランクへと向けた最後の戦いとなる予定です。
ちなみに3章のラスボスは既出で、これまで実力を隠してきたあの人物です。