1章 3話 面影を追って
ウリボアが地面を蹴った。
愚直な猛進。
それはまさに猪突猛進であった。
(――見える)
景一郎に焦りはない。
確かに、彼は最弱の職業を持つ無才の身だ。
それでも最前線のダンジョンに潜った経験がある。
頂点に立つ冒険者を一番近くで見てきた。
ゆえに彼の動体視力はCランクという肩書きとは裏腹に、トップクラスの冒険者にも引けを取らないものとなっている。
あんな突進を見切るなど容易いことだ。
「トラップ・セット」
「【斬】」
景一郎の声に呼応し、地面に【斬】の刻印が出現した。
直径1メートルほどの円形の紋様。
これこそが【罠士】の基本的なスキルであるトラップだ。
「っ」
すぐさま景一郎は横に跳び、樹木を蹴りつける。
三角跳びの要領で景一郎はウリボアの頭上を越えた。
「ッッッ!?」
景一郎にタックルしようとしていたウリボアは標的を見失ったことに気付く。
ウリボアは4本足でブレーキをかけて止まる。
止まった位置はトラップの数歩手前。
トラップは刺激を与えなければ起動しない。
こうして敵の移動経路に仕込んだトラップは不発に終わる。
――本来なら。
「トラップ・セット――【矢印】」
今度は、景一郎の掌に矢印が出現する。
そしてそのまま――ウリボアの脇腹に触れた。
触れた衝撃でトラップが発動する。
「ぎぎぃッ!?」
矢印による強制移動。
それはウリボアを前方のトラップまで走らせた。
血飛沫が舞う。
地面から噴き上がった三日月型の斬撃がウリボアを刻んだのだ。
ウリボアの体が崩れ落ちる。
確かめるまでもなく絶命していた。
(この【矢印】は【罠士】の弱点を克服する要素になる)
トラップというのは基本的に待ちの戦術だ。
相手が現れるであろう位置に仕掛け、敵が罠に嵌るのを待つ。
だが敵の移動を強制できるのなら、積極的にトラップを当てることができる。
【罠士】に欠けていた能動的な攻撃手段。
景一郎はそれを手にしたのだ。
(まだ、俺は弱い)
事実としてそれは受け止める。
(だけど、あいつらを追いかけるための手段は手に入れた)
なら、それで充分だ。
彼我の実力差。
それがどうした。
そんなもの、追いかけない理由にはならない。
「もっと……強くなりたい」
「強くなって――」
「また――いや、今度こそあいつらと一緒に戦いたい」
☆
「……レベルが上がったのか?」
景一郎は首を鳴らす。
腹の奥から熱を感じる。
これはレベルが上昇したときに見られる現象だった。
確認してはいないが、おそらく彼のレベルは76へと上がっていることだろう。
「自力でレベリングなんていつ以来だろうな」
【罠士】は身体能力が低く、トラップを仕掛けるしか攻撃手段がない。
そのためレベリングの際には、パーティメンバーに手伝ってもらいトラップへとモンスターを誘導してもらわねばならなかったのだ。
しかし今の景一郎は、それらの工程を独力で可能とする。
自分一人で戦い、自分一人でレベルアップする。
それは新鮮な感覚であった。
「っと……つい興奮してたけど、あんまり道を外れるのはマズいな……」
景一郎は立ち止まる。
このあたりはDランクのモンスターしか生息していない。
だがあまり移動してしまうと、より高ランクのモンスターと出くわす可能性は高い。
――ついに見えた光明。
知らず知らずのうちに気分が高揚していたのだろう。
このまま調子に乗ってしまえば、無謀なレベリングに踏み出してしまうかもしれない。
景一郎は深呼吸で気持ちを落ち着かせる。
だが自然と口元は緩んでいた。
「久しぶりだな。こんなに楽しいのは」
冒険者として活動し始めたころを思い出す。
見るものすべてが刺激的で、何かを目指して駆け抜けた日々。
それがいつしか、不安やプレッシャーに追われるだけの日々になっていた。
しかし今の景一郎は、昔のような純粋な気持ちで冒険を楽しめていた。
「……ん?」
景一郎は振り返る。
音が聞こえたような気がしたのだ。
彼は草木をかき分け、音がした方向へ向かう。
「これは……」
開ける視界。
目に映るのは岩肌。
彼の足元には谷が広がっていた。
明らかに先程までとは違うエリアだった。
「戦って……いるのか?」
かすかに聞こえてくるのは金属音だ。
武器――おそらく鈍器のようなものを盾に叩きつける音。
武器を使うモンスターは多い。
しかし盾を器用に使えるモンスターとなると数が限られる。
ならば少なくとも、片方の音の主は人間であると考えるのが自然。
「あの洞窟か」
視線を巡らせると、谷に裂け目のような洞窟があるのが見えた。
自然に作り出されたせいか歪な形をした入り口。
しかし人が通り抜けるには充分な大きさだ。
あそこから反響した戦闘音が景一郎に届いていたのだろう。
(状況は……良くなさそうだ)
何度も響くのは盾で攻撃を防ぐ音。
聞く限り、防戦一方のようだ。
理由は分からない。
だがあそこにいる人物が追い込まれつつあることは想像がついた。
景一郎は一歩踏み出し――止まった。
(どうする……?)
迷いが景一郎の足を縫い留める。
(このエリアはあまり調査が進んでいない。最悪、さっきまでとは比べ物にならないモンスターが住み着いているかもしれない)
何が起こるか分からない。
常に危険と隣り合わせ。
それが冒険者の世界だから。
危険を前にして足を止めるのも、立派な才能。
だが――
(いや……迷うほどのことじゃなかったか)
(ここで逃げたとして。そんな道の先にあいつらがいるわけがない)
決めただろう。
最強の友達と肩を並べたいと。
なら、こんなところで躓けない。
道に石が転がっていたのなら、蹴散らして進むまで。
単純な話だった。
「トラップ・セット」
足元に矢印が刻まれる。
景一郎はそれを踏みつけた。
すると彼の体は矢印の方向へと射出される。
「元から、無茶せずに届くような目標じゃないんだ。存分に無茶させてもらうさ」
景一郎は勢いよく谷へと跳びこんだ。
☆
「さすがにこれは――厳しいですわね」
暗い洞窟の中。
金髪の女性はそう口にしながらも盾を構えなおした。
――眼前に広がる大量のモンスターを見据えて。
次回、1人目のヒロインが登場します。