2章 アナザー 最強の一角・糸見菊理
「くそ……どうしてこんなことに……」
男は茫然とそう漏らした。
彼がいるのはSランクダンジョン。
そして――地獄だ。
「終わりだ……」「もうどうにもならねぇよ……」
冒険者たちの声が聞こえてくる。
そのすべてに共通しているのは――絶望。
墓場のようなダンジョン。
そこでは大量のアンデッドが進軍していた。
陰鬱な世界の奥で、ボロ布を纏う骸骨が浮遊している。
このダンジョンのボスはSランクモンスターであるノーライフキング。
その特徴は高威力の魔法と――召喚術。
ボス部屋を訪れた直後、ノーライフキングはAランクモンスターであるリッチを5体召喚した。
この時点でSランク1体にAランク5体。
こちらの戦力は、AランクとBランクの冒険者30人による混成部隊。
今回はレイド攻略。
相手が複数であろうと、連携で乗り越えられた。
まだ対応できていた。
そう。ここまでなら――
「死にたくないなら、死ぬまであがけッ!」
男は叫ぶ。
戦場すべてに届くように。
「救援は呼んであるッ! きっとすぐに――」
「無理だよ……」
男の声を遮ったのは、そんな無気力な言葉だった。
そう言った冒険者は静かに空を仰いでいる。
暗鬱とした曇天を見上げ、冒険者は諦めた様子で座り込んでいた。
「救援要請を出してから10分。まだ倍は時間がかかる。なのに――」
泣いているような、笑っているような。
複雑な感情が渦巻いた表情の冒険者。
だが、それも仕方がないことなのかもしれない。
「なのにもう――ほぼ全滅しちまってるじゃないかっ……!」
あまりにも――死が迫りすぎていた。
この状況で、生きる希望を見つけることは至難だった。
なぜなら――
「Sランクのボスモンスターだけならともかく、Aランク5体に――Bランクモンスターが50体だぞ」
5体のリッチがそれぞれ10体のアンデッドウォーリアを召喚していたから。
Sランクのノーライフキングが1体。
Aランクのリッチが5体。
Bランクのアンデッドウォーリアが50体。
総勢56体の軍勢。
しかも、倒して数を減らしても召喚によって補填されてゆくのだ。
本質的にレイドバトルとは、冒険者が数の力で高位のモンスターを狩るというものだ。
力を合わせることで、普段では敵わないモンスターを倒すのだ。
なら――どうしたらいいのだろうか。
頼みの綱である物量で負けてしまったのならどうすればいいというのだろうか。
「30人いたはずのレイドメンバーもすでに10人残ってるかさえ怪しい。このまま物量で押し切られて終わりだ」
すでに墓場には冒険者の死体が転がっている。
レイドチームは半壊――もはや全滅も近い。
「それでもまだ――」
「知ってるだろ?」
男の言葉に、冒険者は首を振る。
「ダンジョンじゃ奇跡は起こらない」
その言葉は――じわりと男の胸に染みた。
毒のように、蝕んだ。
「理不尽はあっても、奇跡はないんだ。ダンジョンには」
男だって、これまで何度もダンジョンに潜って来た。
そうやって魔都に挑めるだけの冒険者となったのだ。
だから、ダンジョンがどういうものかは理解している。
分かる。
分かっているからこそ、心が――折れそうだ。
自分だけ抗って意味があるのか。
いっそ自害したほうが、楽なのかもしれない。
「だからもう――」
そう思ってしまったとき――
「――――お待たせいたしました」
声が聞こえた。
それは女性の声だった。
「救援に参りました」
そこにいたのは紅白の巫女服を纏う女性。
艶やかな黒髪をなびかせ、彼女は戦場に立っていた。
女性は淑やかな微笑みを浮かべ戦場を歩む。
和服越しでも分かるほど肉感的な肢体は母性を感じさせた。
「あれは……」
「濡羽色の髪……。巫女服の冒険者……」
男たちは知っている。
これらの特徴を兼ね備えた冒険者の名を。
「――【聖剣】の糸見菊理」
国内最強のパーティ。
それは誰に聞いても1つの名前しか挙がらない。
誰もが、最強と聞いて同じパーティを思い浮かべる。
それほど圧倒的なトップ――【聖剣】――その一角だ。
「おい! 救援が来たぞ! 【聖剣】なら希望が――」
男は叫ぶ。
「無理だ」
「は?」
だがその声も遮られた。
【聖剣】の参戦でさえも、戦場に希望を灯すには足りない。
そう言わんばかりに。
「確か【聖剣】の糸見菊理っていえば――後衛職だ」
冒険者はそう口にした。
本来、冒険者は自分のスキルなどの情報を明かさない。
しかし【聖剣】くらい有名になれば、多少はその戦闘スタイルについても聞く機会があった。
「普段なら確かにこの状況を打開できるかもしれない。でも――前衛が総崩れになった状況じゃその力も発揮できない。形成は覆らない」
「そんな……」
【ウィザード】などの後衛職は確かに強力だ。
しかしそれは、敵を食い止める盾役がいてこそ。
身体能力が低い傾向にある後衛職は、敵の攻撃にさらされてしまえば無力。
攻撃に専念できる土台があってこそ真価を発揮するのだ。
(そんな……希望は、ないのか……?)
男が膝をついてしまいそうになった時――
「ご心配なさらないでください」
菊理は微笑んだ。
モンスターの軍勢を前にして、一切の気負いなく。
慈母のように微笑んだ。
「ほんの少し、待っていてくださいね?」
そう言って菊理はアンデッドの軍勢と対峙する。
「――――【式神召喚】」
菊理がそう唱えた。
【式神召喚】――それは【陰陽師】のみが使用できる召喚スキルだ。
「召喚術か……!」
「でも召喚術は、Aランクの冒険者でも……AからBランク相当の使い魔が5体くらいだ……。この物量が相手じゃ一気に潰されて終わりだ」
冒険者の1人がそう言った。
彼の言うことに誤りはない。
菊理がSランクであることを加味しても、Aランクの召喚士の倍くらいが妥当なところだろう。
それなら――
「あら。大丈夫ですよ」
それでも菊理の笑みは消えない。
むしろ深まって――
「私の召喚限界は――――100体ですので」
――彼女の周囲に大量の式神が現れた。
人間。動物。
その姿は様々だった。
共通項は、白い布で顔が隠されている点くらいだろう。
「なッ……!」
「嘘だろ……! あの物量を――物量で上回ったのか……!?」
突然現れた100体の式神。
その圧倒的な数に男は身を反らす。
「――行ってください」
菊理の号令で式神たちが動き出す。
式神とアンデッド。
二つの軍勢が衝突した。
白い式神。
黒いアンデッド。
形勢は――式神たちが押している。
「数で勝ってるだけじゃない、質でも上回ってる……!」
あの式神は有象無象などではない。
動物型の式神はBランクのアンデッドウォーリアとぶつかって拮抗している。
人間型に至ってはアンデッドウォーリアを軽く蹴散らしていた。
「あの式神の半分近くがAランク相当……! つまり――」
男の頬を汗が流れる。
「最低でも――糸見菊理はAランク50人分の戦力ってことだ」
「これが――【百鬼夜行】の糸見菊理……!」
男が驚愕しているのも束の間。
奥に控えていたノーライフキングが動く。
ノーライフキングが杖を掲げた。
収束してゆく闇の光。
それが――撃ち放たれる。
レーザーのような黒い閃光。
その標的は――菊理だった。
「! しまった! 本体狙いだッ!」
男は血の気が引いた。
ノーライフキングの攻撃が、自分たちの命運を絶つものであると悟ったから。
「あの野郎! 知ってるんだ! 召喚術士の弱点が、本体の脆弱さだってことを!」
召喚術士。
そこには明確な共通項がある。
――本体が弱い。
使い魔によって戦闘を優位に進める代わりに、本体の戦闘力が乏しい。
だから本来、召喚術士は誰かが守らねばならないのだ。
しかし男を含め、誰も菊理を守っていない。
突然の出来事により、対応が遅れていたのだ。
それはあまりに致命的だった――
「【符術・守護陣】」
――ここにいるのが、菊理でなければ。
菊理が口を開くと、彼女の周囲に札が現れる。
浮遊する札は彼女を囲み、周回する。
すると青白い光が菊理を中心として展開された。
あれは――結界だ。
薄い膜のような結界。
しかしそれは――黒い閃光を容易く防いだ。
ヒビどころか、揺らぎさえしない。
「【符術・禊】」
当然といった様子で菊理は次の行動に移る。
札を2本指で挟み――ノーライフキングへと向けた。
それはまるで意趣返しだった。
菊理の手から放たれたのは白い光線。
レーザーのように細い光はすさまじい熱量を内包し――ノーライフキングを貫く。
「あらあら。まだ大丈夫ですよね?」
響く苦悶の声。
ノーライフキング。
不死王が喘いでいる。
死の苦痛に。
「生きて……いらっしゃいますよね?」
一方で菊理は――笑っていた。
さっきまでの慈悲深い微笑みではない。
平伏してしまいそうなほどに冷たい笑みだ。
「もっと頑張ってください。ね?」
菊理は嗜虐的に笑う。
彼女の周囲で複数の光球が浮かび上がる。
先程の攻撃。
それが発射準備を終えて待機していた。
「じゃないと――死んじゃいますよ?」
浄化の光が――射出された。
「うふふ……痛いんですか?」「せっかく急所を外してあげているのに、なんで反撃なさらないんですか?」「鳴くだけじゃ何も変わりませんよ?」「ほら……結界も解除しているんですから……反撃してもいいんですよ?」
返事を待つことなく菊理はささやきかける。
その間にもアンデッドの軍は蹂躙され、その王も凌辱されている。
端から少しずつ、壊されている。
「あんなに一方的に……Sランクモンスターをなぶるのかよ……」
誰かがそう呟いた。
死という概念を持たないはずのアンデッドが絶叫している。
死を知らないアンデッドが、死を思い知らされていた。
だが、そんなことに意味はないのだろう。
ノーライフキングが死を理解する頃には、その命は消し飛ぶのだから。
「あらあら。本当に終わってしまったんですね」
消えてゆくノーライフキング。
その姿を見て、菊理は残念そうに微笑んだ。
底冷えするような笑顔は、もうなかった。
「一方的すぎる……」
男は茫然としていた。
命が助かった。
そのはずなのに、そんなことさえ気にならない。
「Sランクモンスターの魔法を防ぎ……Sランクのモンスターを倒した」
彼が見ているのは菊理だけ。
命が助かったことよりも、彼女の存在があまりにも印象的だったから。
「数。防御。攻撃。すべての能力がSランク」
召喚術士の長所を持ち、短所はない。
「タンクもアタッカーも。あらゆるポジションを1人でこなしちまう」
冒険者には長所があり、短所がある。
だから適性に応じてポジションを分けるのだ。
そうやって協力して、ダンジョンを攻略するのだ。
だが――彼女は違った。
どのポジションでも、専門家を超える実力を発揮する。
「あんな化物に――パーティなんて必要なのか……?」
☆
「ふぅ……終わりましたね」
女性――糸見菊理は息を吐いた。
救援要請があったのが半刻ほど前のこと。
偶然近くにいた彼女がダンジョンに潜ることとなったのだ。
「あんなに一杯いるので……期待していたのですけど」
話によれば、30人の冒険者でさえもどうにもならない敵だったという。
だから少し期待していたのだが――期待外れだった。
「圧倒的物量で、為す術なく押さえつけて……弄んでくださるかと」
Sランクとして頂点に近い位置にいる自分。
その傲慢を、尊厳を壊してくれると期待していたのだけれど。
泣いても叫んでも容赦なく壊してくれると思っていたのに。
「景一郎さんがいないと……体が寂しくてたまりませんね」
菊理は頬を撫でる。
顔は――火照っていた。
幼馴染のことを思うといつもこうなのだ。
影浦景一郎。
彼女の最愛の男性。
彼のために、菊理は強くなった。
強くなればなるほど、服従するときの快感は大きくなるから。
「…………うふふ」
菊理は魔都の街並みに消えていった。
巫女服を纏う肉感的な美女――糸美菊理。
清楚そうに見えてドS――とみせかけたドM。
雪子いわく『【聖剣】最淫乱』とのこと。
ちなみに【聖剣】内での戦闘力は
紅>菊理≧雪子
ただ菊理VS雪子だと、雪子の【殺害予告】で一気に式神が全滅するなど、相性の問題があって若干ながら雪子の勝率が良いといった感じです。
面白かった! 続きが気になる!
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