2章 12話 呼び出し
「よく来ましたわねっ」
景一郎たち【面影】を出迎えたのはそんな声だった。
声の主はまだ幼さの目立つ金髪の少女。
桐生院ジェシカ。
明乃の友人にして、前回のレイドの主催者だ。
「そりゃ、呼ばれたからな」
景一郎は頭を掻く。
ジェシカから招待状が届いたのが昨日のことだ。
レイド戦からすでに数日が経過している。
景一郎としては、いまいち彼女の意図を読み切れなかった。
「とりあえず席にお着きなさい。話はそれからですわっ」
ジェシカが目で示した先には広間があった。
大きく、長いテーブル。
そこには所狭しと食事が並んでいた。
「……そうか」
どうやら景一郎たちは晩餐に誘われたらしい。
「なんだか最近、美味しいものばっかり食べちゃってる気がするよぉ」
「ん……いつか普通の料理に満足できなくなりそうで怖い」
詞と透流はそう言いつつも席へと歩み寄る。
とはいえ、席に座らなければ話が始まらないのも事実。
景一郎も席に腰かけた。
「いくつか話したいことや、話すべきことがあるわけですけれど。とりあえずはこの言葉から始めるべきですわね」
【面影】の全員が座ったことを確認すると、ジェシカは口を開いた。
そして彼女は目を閉じると――頭を下げた。
「先日のレイドバトル。本当に助かりましたわ」
彼女の口から紡がれたのは感謝の言葉。
普段の高飛車な振る舞いとは裏腹に、彼女の態度は真摯なものだった。
「そりゃ……どうも。でも、わざわざそんな話をするために呼んだのか?」
確かに、礼を言えるのは美徳だろう。
とはいえ、景一郎たちはわざわざ彼女に招待されているのだ。
一言の礼と、食事。
それだけで終わるとは考えにくい。
なんらかの要件があるものと考えていたのだが――
「そんなわけありませんわ。考えればすぐに分かるでしょう?」
そう言ってジェシカは金髪を払う。
そして一瞬の間。
「ご愛読ありがとうございましたー」
「席をお立ちにならないでぇっ!」
離席した景一郎の袖をジェシカが掴む。
半泣きだった。
さっきの言葉に悪意はなかったらしい。
――正直、分かっていたのだが。
「景一郎様。あまり、からかわないであげて下さいませ」
「……分かってる」
明乃に声をかけられ、景一郎は席に戻る。
ほんの冗談だったのだ。
あまり長引かせるものではないだろう。
「そ、そうですわっ。今回の晩餐には、貴方が馬鹿みたいに食べていたアワビもふんだんに使用していますわっ」
「――仮に好物だったとして、馬鹿みたいに食べていたと評される覚えはないんだけどな……」
どうやらジェシカは言葉のチョイスに難があるらしい。
そんなことを思っていると、隣にいた詞が肘で小突いてくる。
彼はニヤリと笑って――
「お兄ちゃん。女の子のアワビにむしゃぶりついてたもんねぇ」
「人聞きが悪いだろ。あと、俺は別にそんなに好きじゃないぞ」
「女の子が?」
「悪いが性癖はノーマルだ」
景一郎の性的嗜好の対象は女性である。
そして貝類は好きでも嫌いでもなかった。
「とりあえず、話を戻しますわよ?」
ジェシカは髪を払ってそう言った。
「そっちの過失もボチボチあった気がするけどな」
最初のきっかけになったのはジェシカの言葉だった気がするのだけれど。
とはいえ、それも指摘するだけ無駄なことなのだろう。
「もちろん、わたくしも礼だけで終わらせるつもりはありませんわ」
ついにジェシカの話は本題へと軌道修正された。
「今回のドロップ品は、貴方たち【面影】に所有権を譲ることとなりましたの。もちろん、他のパーティにも説明済みですわ。……もっとも、説明するまでもなかったようですけれど」
――向こうのほうから申し出たくらいですわ。
普通なら、ボスのドロップ品はモンスターを倒したパーティのものとなる。
しかし複数のパーティが参加するレイドバトルではどうなるのか。
法律上、ドロップ品の所有権はレイドの主催者にある。
だが今回のように主催者の目的がダンジョンクリアという事実そのものであった場合、参加した冒険者への報酬としてドロップ品が渡されることも多い。
ドロップ品が手に入るというのは、間違いなくモチベーションの向上につながるからだ。
そうなったとき、パーティ間で協議を行い、ドロップ品を受け取るパーティを決める。
あるいはドロップ品を売却し、それによって手に入れた金銭をパーティごとに分配することとなる。
どうやら今回は前者となったようだ。
「そういうわけで、今回のドロップ品【デスマンティスの鎌】は貴方たちの物よ」
ジェシカはそう言った。
「デスマンティスは強力な武器の素材にもなりますし、無駄になることはありませんわね」
明乃は満足げな笑みを浮かべる。
【デスマンティスの鎌】を材料にした武器はAランクの冒険者も愛用するほどの業物となる。
今のところ使う予定はないが、有益な品であるのは確かだった。
もらっておいて損はないだろう。
「冷泉家なら素材の保存場所には困らないわよね。近いうちに届けさせるわ」
ジェシカは腕を組み、そう言った。
明乃ならば素材の品質を下げることなく保存する手段は用意できるだろう。
「で、これが1つ目の話でしたわね」
ジェシカは目を閉じる。
そして次に目を開くと、彼女は指を1本立てた。
「次はわたくしからの提案ですわ」
彼女の口角がわずかに上がる。
「実は先日、宿題が出ましたの」
「漢字の書き取りか?」
「小学生ッ……! 違いますわ! 桐生院家を背負うものとしての資質を試すための試練ですわっ!」
「…………漢字の書き取りか」
「それくらいで背負えたら苦労しませんわッ!」
ジェシカは顔を真っ赤にして机を叩く。
この反応の良さは素直に可愛らしい。
きっとこの純粋さが、明乃が友人関係を続けている理由なのだろう。
「要は、投資ですわ。世界の流れを読み、与えられた資金をどれくらい拡大させることができるのか。将来、桐生院家の職務を任されるようになったとして。わたくしに正しい道を見通す力があるのか。それを試されていますの」
「……それが俺たちとどう関係してくるんだ?」
景一郎は疑問の声を漏らす。
ジェシカのいう宿題とやらは分かった。
だがそれはあくまで彼女自身の事情。
景一郎たちが介入する問題には思えないのだが。
「愚鈍ですわね!」
「唐突に罵倒してきたな」
――多分、彼女が言いたかったのは『愚問』だ。
「わたくし桐生院ジェシカは、貴方にお小遣いすべてをベットすることにいたしましたわ!」
そう言って、ジェシカは景一郎に指を突きつけた。
ジェシカの宿題とやらの明暗は景一郎に託された。
確かに、この話題は景一郎に深く関わるものなのだろう。
少なくともジェシカにとっては。
「つまりこれからは、わたくしも貴方のスポンサーというわけですわねっ」
「そんな勝手に言われてもな――」
景一郎は横へと視線を巡らせる。
彼の視線の先にいるのは明乃だ。
――影浦景一郎は冷泉明乃とスポンサー契約を結んでいる。
交わした書面に『専属』の文字はない。
だが景一郎の認識の中では、明乃との関係は専属契約に近いものだった。
まだ大成してもいない冒険者に投資するような物好きはいないだろうという考え。
同時に、専属契約でもなければ割に合わないほど莫大な支援を受けているという自覚。
それらが、安易にジェシカの言葉へ反応できない理由となっていた。
「わたくしは構いませんわよ?」
一方で、景一郎の視線に気付いた明乃は微笑んだ。
優雅に、余裕さえ感じさせる所作で。
「冷泉家と桐生院家は同じく冒険者ビジネスを営んでいますわ。ですが、客層が重なっているわけではありませんし、利益を食い合うリスクは比較的少なくて済みますので」
明乃はそう答えた。
友人でいるジェシカに遠慮している様子もない。
本当に彼女は、今回の件が問題にはならないと考えているのだ。
「そうなのか?」
「ええ。わたくしたち冷泉家は冒険者の大部分を占める初心者から中堅をターゲットにしていますの。対して、桐生院家は限られた上級者をメインにしていますわ」
明乃は順を追って説明する。
彼女もジェシカも同じ冒険者業界を市場としている。
しかし、市場を細分化したとき、本質的には2人の商売相手は違うという。
それこそが2人の利益を損なわれない理由らしい。
さらにいうのなら――
「つまり――景一郎様が目指すのが魔都であるのなら、桐生院家とのつながりは持っておいて損するものではありませんわ」
――ジェシカとの契約が、景一郎の利益になると分かっているから。
だから明乃は己の権利を主張しない。
あくまで景一郎の利益を優先したのだ。
きっと明乃が専属契約を主張したのなら――
景一郎は彼女との義理を優先するだろう。
だが、それでは景一郎が最大の利益を手にできない。
ゆえに明乃はジェシカとの契約を止めないのだ。
「そういうことなら、ありがたく出資してもらおうかな」
だとしたら、景一郎にできることはジェシカとの契約を受け入れること。
明乃の気遣いを受け入れることだ。
「言われなくともですわっ」
ジェシカは嬉しそうに笑う。
その笑顔は信頼と期待。
彼女が、景一郎という冒険者をそれだけ評価しているということだ。
(まさか、こんな風に期待をしてもらえる日が来るなんてな)
思わず頬が緩む。
【面影】のメンバーだけではない。
一緒にレイドを戦った冒険者たちが景一郎を評価してくれた。
まだ志半ばだと分かっていても、歓喜を抑えきれない。
「これでわたくしからの話はおしまいですわ」
ジェシカが手を叩く。
乾いた音が部屋に響いた。
「そういうことなら――」
「でも、今回はもう1人来客がありますの」
景一郎が食事に戻ろうとしたとき、ジェシカはそう口にした。
遮るようにして告げられた言葉。
それは、景一郎たち以外の人間の来訪。
「影浦景一郎。貴方に会うためだそうですわ」
「?」
ジェシカの言葉に、景一郎は首をかしげる。
てっきり彼女絡みの客だとばかり思っていた。
だが話の流れから察するに、来客者は景一郎の知人らしい。
とはいえ、心当たりは――ない。
「もう、姿を見せても良いのではなくて?」
誰もいない空間へと向けてジェシカがそう言った。
彼女の視線の先には誰もいない。
だが――
(席が……引かれてる?)
不自然に椅子が引かれていた。
誰も座っていない。
だが、誰かが座っているかのように。
「ん……。景一郎君が女の子のアワビを貪っていたという話題のせいで放心してた」
――声が聞こえた。
抑揚のない、少女の声だ。
同時に、椅子の上に小柄な少女の姿が浮かび上がる。
「……!」
「いつの間に……!」
「…………あれは」
唐突に出現した少女。
明乃、詞、透流が驚きの表情を見せた。
――もっとも、透流だけは少し驚き方のベクトルが違うようだったけれど。
小学生のように小柄な体。
バレッタで束ねられた銀髪。
そして、微動だにしない無表情。
「久しぶり。景一郎君」
「…………………………ゆっこ」
そこにいたのはかつてのパーティメンバーである――忍足雪子だった。
【聖剣】との再会。
その思惑は――




