1章 2話 影の開花
――力が欲しいか。
1世紀前には使い古されていそうな定型句を少女は紡ぎだす。
影のように暗い黒髪。
触手を編み上げたかのような、生々しくも禍々しいドレス。
どう見てもマトモではない。
最前線のダンジョンボスでさえここまで不穏な圧力を有していない。
強いて同格のものを挙げるのなら、数分前に出現した巨人か。
「正直、選ばれた者とは思えない体たらくだケド。現時点であの巨人が見えたっていうことは――運命ってわけだヨネ」
彼女はそう言った。
だが景一郎に同意を求めているようには見えない。
「それじゃあ、始めようカナ?」
ほんの一瞬の出来事だった。
彼女は床を蹴り、景一郎に肉薄していた。
「ッ」
景一郎の肩が跳ねる。
だが致命傷を負った体はそれ以上の反応を示さない。
そして少女は、ほとんど頭突きするような勢いで――
――景一郎にキスをした。
「!?」
少女から流れ込んでくる。
黒い、汚泥のような粘度のある物体が。
舌に絡みつき、喉をこじ開けて来る。
景一郎の喉が強制的に上下し、不気味な液体を嚥下してゆく。
「く……そ……」
景一郎は少女の肩を掴むが、少女はより体を寄せて来る。
「っぷは……」
目的を終えたのか、少女は景一郎から離れた。
2人の間で黒い糸が伸びる。
呪いのような黒糸が垂れ、千切れた。
「きひっ……」
少女は嗤う。
彼女は唇に残った黒い液体を舐め取る。
「力ならあげたカラ。期待してないし、好き勝手に生きてヨネ」
☆
「……なんだったんだ」
景一郎は目を開けた。
自分でも気が付かないうちに意識を失っていたようだ。
依然として彼がいるのはスクラップになった車両の座席。
救助が来ていないあたり、気絶していたのは数分だろうか。
「傷が……治ってるな」
景一郎はすんなりと立ち上がる。
事故の衝撃で潰れたはずの内臓が治っている。
不本意ながら飲み干すこととなった汚泥のせいだろうか。
「――っと」
景一郎は自力で車両から脱出する。
これでも冒険者の端くれだ。
これくらい自力でどうにでもなる。
「そういえば……力がどうのとか言ってたよな」
さっきの少女が話していたことを思い出す。
力。
それは景一郎がもっとも望むものだ。
気絶していた間に見た夢かもしれない。
しかし、もしもあれが現実であったのなら――
「ま、望みは薄いけどな」
景一郎は懐からカードを取り出した。
全体が黒塗りになったカードを、彼は指先で2度タップする。
すると黒い面がディスプレイとなり、情報を映し出す。
これは冒険者カードと呼ばれているものだ。
登録した特定の人物にのみスキル【鑑定】を発動させ続ける道具である。
そうすることで、持ち主のデータを表示することができるのだ。
「……レベルは上がってないな」
少なくとも、カードに表示されたレベルに変動はない。
どうやら彼女が言っていたのはレベルアップを意味するわけではないらしい。
「だとしたら――」
景一郎は画面を指でスライドさせた。
次に表示されたのはスキル構成。
「いつ見ても貧弱なスキルだな」
トラップ【斬】、【炎】、【縛】
――それだけだ。
スキルは平等ではない。
同じ職業、同じレベルでも手に入れるスキルには差異がある。
景一郎は【罠士】の中でもスキルに恵まれていない側の存在だった。
「ん?」
そこで景一郎は見慣れない一行を見つけた。
「――トラップ【矢印】?」
初めて見るスキル。
何より、他のトラップスキルと統合されていない。
同系統のスキルはまとめて表示されるはず。
そうならないということは――本質的に他のスキルとは違うということ。
「ユニークスキルか?」
ユニークスキル。
職業に依存しない、その者だけに許されたスキル。
個人の才能によるが故に、職業と相性が良いとも限らない。
言えることはただ1つ。
通常のスキルより強力であるということ。
「こいつが力ってやつか……?」
名前だけではその本質は掴めない。
景一郎は手を伸ばした。
彼は地面に手をかざす。
「トラップ・セット」
彼はそう唱えた。
すると彼の掌から矢印が射出され、地面に貼り付いた。
「もし俺の予想が正しければ――」
景一郎は崩落した高架の破片を持ち上げる。
そして――矢印の上に投げ捨てた。
「っ」
ガレキが矢印に触れた直後――ガレキは矢印の方向に吹っ飛んだ。
「やっぱり。このトラップは――」
「――――移動を強制するトラップ」
(もしかすると……)
景一郎は思う。
【罠士】の最大の弱点。
【罠士】が最弱の職業と呼ばれるようになった理由。
それは――自発的に攻撃ができないということ。
トラップを設置して、発動を待つことしかできない。
能動的な攻撃手段に乏しい。
(もしもこのスキルがあれば――)
景一郎の中には1つの希望が見え始めていた。
☆
――景一郎は事故の救助を手伝った後、森を歩いていた。
かつての東京であり、魔都と呼ばれるダンジョン密集地帯。
森は魔都を囲むように広がっている。
ダンジョンが現れて半世紀。
ダンジョン内に存在していたモンスターは、徐々にこちらの世界にも出現するようになっていた。
この森もそんなエリアの1つだ。
「場所さえ間違えなければ、俺の能力でも問題ないはずだ」
危機管理のため、冒険者とモンスターには等級が割り振られている。
その段階はE~S。
森に生息するモンスターはE~Cランクとなる。
とはいえモンスターの住処はある程度決まっており、ルートをきちんと選べば強力なモンスターに出くわすことはない。
影浦景一郎のランクはC。
職業【罠士】という事実を加味して、実質的な戦闘力はDランク相当とされている。
これまでの景一郎でも、無事に通過するだけなら問題ないはずだ。
それに――試したいことがあった。
景一郎は交通路の復旧を待たずに魔都を出た。
もしも仲間と再会してしまったらという不安。
それと同時に、どうしても確認しておきたいことがあったのだ。
「――見つけた」
景一郎は足を止める。
彼は樹木の陰に身を隠した。
そして彼が覗き込んだ先には――イノシシがいた。
サイズとしては景一郎の腰あたり。
一見すると普通のイノシシにも見えるが、あれもモンスターなのだ。
ウリボア。
等級はD。
一般的にCランクの冒険者なら問題なく倒せる程度のモンスターだ。
とはいえ、実質的な戦力がDランクとされている景一郎なら苦戦もありうるモンスター。
だからこそちょうど良かった。
「――行くか」
景一郎は小石を拾い、ウリボアに向かって投擲した。
小石は正確にウリボアの頭頂部を叩いた。
ウリボアは周囲を見回す。
対して景一郎は――堂々と姿を見せた。
【罠士】であれば絶対にありえない戦法。
それを躊躇いなく実行した。
1対1でモンスターと対峙する。
それは初めての経験だった。
興奮のせいか、自然と笑みが浮かんでくる。
「少し……試させてくれ」
「俺に――あいつらの背中を追う権利があるのかを」