2章 9話 トラップ【ダンジョン】
あれから30分後。
訓練場には【面影】のメンバーが集合していた。
「ダンジョン……かぁ」
詞は首をかしげている。
全員が集まるまで、景一郎たちはスキルの詳細について考えていたのだが結局分からないままだった。
「そもそもそのダンジョンが……私たちの思うダンジョンとは限らない」
そう言ったのは透流だった。
――確かに、あくまでスキル名にダンジョンと入っているだけだ。
それが、冒険者が潜るあのダンジョンそのものを指しているとは限らない。
「まずは見てみないことには始まりませんわね」
そう語るのは明乃。
結局、彼女の言う通り実演してみなければすべては空論でしかないのだった。
「そうだな――」
景一郎は訓練場の中央に立つ。
【面影】は全員そろっている。
これなら、不測の事故が起こる可能性はかなり抑えられるはずだ。
「どういう感じになるか分からないから、少し離れておいてもらっても良いか?」
とはいえ、勝手の分からないスキルは暴発の危険もある。
とりあえず景一郎は他のメンバーと距離を確保することにした。
「はーい」
「ええ。何かが起こったら、わたくしたちも力をお貸しいたしますわ」
「ん」
景一郎は全員が距離を取ったことを確認した。
そして、正面を見据える。
(トラップってことは……使い方は普段通りでいいんだよな?)
いつものように、景一郎は地面に手をかざす。
そして――唱えた。
「トラップ――セット――――【ダンジョン】」
「これは……」
景一郎の口から声が漏れた。
トラップを発動した直後、彼の眼前には変化が起こっていた。
空間が揺らぐ。
青い波紋のようなそれは、円形に空間をゆがめていた。
「ん……見た感じは普通のダンジョン」
透流の言う通り、景一郎の前に出現したのはダンジョンゲートだった。
彼が見慣れてきたものと違いはない。
「普通のダンジョンが現れたことそのものが不可思議ではあるのですけれど」
スキルによってダンジョンが生成される。
聞いたこともない。
ダンジョンとは自然発生するものだ。
その性質から、社会では災害に準ずるものとして扱われている。
それを自力で生み出せるスキルなど異常でしかない。
「――入れそうだな」
景一郎が手を伸ばせば、ゲートは拒むことなく彼を受け入れる。
やはり、普通のダンジョンにしか見えなかった。
「へぇ。そこは普通のダンジョンなんだ――ねぇ……」
危険はないと判断したのか駆け寄ってきた詞。
彼はゲートに手を伸ばし――止まった。
「お兄ちゃんお兄ちゃん。ボクは入れないんだけど?」
彼の指先はゲートに触れている。
だが、中には入らない。
そこに壁があるかのように、詞の指先は弾かれていた。
「――私も」
「わたくしもですわ」
それは詞だけに起こった現象ではない。
続いて手を伸ばした透流と明乃も同じように拒まれている。
単純な多数決で考えれば、このダンジョンに入ることのできる景一郎のほうが特別ということになる。
そもそも、術者が彼自身であることを加味すれば――
「俺しか入れないのか……?」
このダンジョンは、術者しか入れない。
そういうことになる。
「いや、もしかすると――」
そんな中、景一郎の脳裏にある可能性が浮かんだ。
「明乃。ちょっと手を借りるぞ」
「ぇ……!?」
景一郎は明乃の手を握った。
そして彼女の手をゲートへと導く。
すると――
「やっぱりか……」
「……影浦さんと手をつなげば……入れる?」
明乃の手は――ゲートをくぐっていた。
さっきまで弾かれていたのが嘘のように、何の抵抗もない。
「お兄ちゃんだけじゃなくて、お兄ちゃんとその仲間だけ――ってことだね」
おそらく詞の言う通りだろう。
本来、ダンジョンは一人で攻略するような代物ではない。
自分しか入れないのなら、自力でクリアできない難度のダンジョンを量産するだけのスキルでしかない。
そんな欠陥スキルがありえるのか。
もしかすると仲間と共に入る手段があるのではないか――そう思ったが、正しかったらしい。
「せっかくだし、少し探索してみるか?」
「それなら少々お持ちになってくださいませ」
景一郎の提案に待ったをかけたのは明乃だった。
彼女はパンと手を叩くと――
「――ナツメ」
「はい」
明乃が名前を呼んだ直後、彼女の背後に女性が現れた。
黒髪を切りそろえたメイド服の女性。
そこにいたのは棘ナツメだった。
「あ、メイドさん」
「……初めて、見た」
面識のある詞、初めてナツメと会う透流。
2人はそれぞれの反応でナツメの登場を見つめていた。
「ダンジョンランクの計測を頼めるかしら」
明乃がそう言うと、ナツメは静かにダンジョンへと歩み寄った。
「主の命令でございましたら」
「……そんな従順な子だった印象がないのだけれど」
「気のせいです」
眉一つ動かさずに明乃の言葉を受け流すと、ナツメは懐から小さな機械を取り出した。
――以前に何度か見たことがある。
あれはダンジョンが発生した直後に、監督官がダンジョンランクを測定するために使う機械だ。
「なるほど……監督官であれば計測機器も持っているってわけか」
ナツメは冷泉家に雇われた監督官だ。
ゆえに、ダンジョンランクを計測する術も持っているのだろう。
「これはおそらくBランク相当のダンジョンとなります」
「Bって……この前のあれと一緒かぁ」
詞が天を仰ぐ。
Bランクと聞いて最初に思い出すのは先日の攻略――デスマンティスとの戦いだろう。
あの戦いでの感覚は、まだ記憶に新しい。
「いえ。先日のボスはAランクの中では異常な部類ですので」
ナツメは静かにそう言った。
「先日って、ナツメさんどうやって見て……。それにAランクの中で『は』だなんてまるで――」
何かを言いかけた詞。
しかしなぜか、ナツメは素早い動きで詞の口をふさいでいた。
それもアイアンクローのような乱暴さで。
「そういえば、私の以前の職業が【アサシン】であったことを思い出しました」
ナツメの左手の関節がパキパキと音を鳴らす。
――彼女の五指が、一瞬だけ刃物に見えたような気がする。
とはいえ何かが起こるはずもなく、ナツメはすぐに詞の口から手を離した。
「――へ、へぇ……。す、すごいなー。いつその実力は発揮されちゃうのかなー……? できれば僕が見ていないところでが良いんだけどぉ」
しどろもどろに詞は言葉を紡ぐ。
その目がナツメと合うことはなかった。
「んー……以前の職業が【アサシン】ってことは――」
詞が小声で何かを言っていたが、それが景一郎に届くことはなかった。
「――確かに、あのレベルの強さはBランクダンジョンの域を越えた難易度だったからな。さすがに、あれを基準にはしなくていいと思う」
ともかく、景一郎もナツメと同意見だった。
彼も【聖剣】のメンバーとして何度もダンジョンに潜ってきた。
今でこそSランクダンジョンに潜ることの多い【聖剣】だが、かつてはBランクダンジョンが主戦場だった時期もある。
だからこそ、先日のダンジョンがAランクに匹敵する難易度であったと分かる。
目の前のダンジョンが、あそこまでの高難度ダンジョンである可能性は低いだろう。
「もちろん、少しでも嫌な予感がしたら中断するけど――俺としては試してみたいという気持ちはある」
せっかく手に入れたスキルだ。
その詳細を把握し、活かしたい。
そう思うのは必然のことだろう。
「まあ……こんなの訓練場のど真ん中に放置できないしねぇ」
「検証というからには、ダンジョンの中も把握しておきたいところですわね」
「私も……構わない」
詞、明乃、透流も景一郎に同意を示した。
「ありがとう」
さすがに彼女たちの助力が得られなければ、ダンジョン探索は断念せざるを得なかったかもしれない。
だからこそ景一郎は仲間たちに感謝を述べる。
「影浦様」
そしてメンバーだけではない。
景一郎に歩み寄ったのはナツメだった。
「今回は、念のために私も同行してよろしいですか」
そうナツメは口にした。
実際のところ、景一郎は彼女の正確な実力を知らない。
監督官をしていた以上、弱いということはないはずだが――
「足手まといにはならないと思いますわ。ナツメはレベル80の【アサシン】ですから」
そう補足したのは明乃だった。
彼女はナツメの雇用主だ。
当然、彼女の実力は把握しているだろう。
「はい。80レベルの【アサシン】です」
「えぇ…………多分それ、嘘だと思うよぉ?」
詞が何かを言っていたが、その声は小さかったため聞こえなかった。
彼が遠い目をしているのは気にかかるが、とりあえず今は置いておく。
「そういうことなら一緒に来てもらえますか」
「はい。こちらこそよろしくお願いいたします」
こうして棘ナツメの同行が決まった。
☆
「ぁぁ……もう帰りたくなってきたよぉ」
ダンジョンの中。
詞がそんなことを言い出したのは、探索から5分も経たない頃だった。
「覚悟はしていましたが……こうも早く出くわすとは思いませんでしたわ」
明乃も彼と同じ意見のようだ。
彼女にはつらつとした様子はなく、すでに疲弊しているように見えた。
「……死にそう」
透流は静かに呟く。
彼女の目はすでに死にかけていた。
探索開始直後だというのに【面影】の士気は落ちつつあった。
「ダンジョン内の環境は千差万別だからな――」
そう言って、景一郎は汗を拭う。
今回のダンジョンは、想定通りの難易度だった。
特別に強いモンスターが出るわけでもない。
だが、消耗の度合いは前回より大きかった。
理由は――環境。
「ぅぅ……」
詞はゴスロリ服のスカートを持ち上げ、自身の足元へと風を送り込んだ。
そのたびに彼の白い太腿が覗いている。
彼が男だと知らない者なら、目に毒な光景に動揺していたことだろう。
(確かに今回は、面倒な環境だな)
景一郎は周囲を見回した。
――そこは樹海であった。
どこまで歩いても景色が変わらないほどに大量の樹木が生い茂っている。
少しでも油断してしまえば迷ってしまうであろうダンジョン。
それによる精神的な負荷は無視できない。
だが最大の問題はそこではない。
「お兄ちゃ~ん、蒸し暑いよぉ」
最大の問題は――湿度だった。
景一郎たちを包むのは濃霧。
このダンジョンはまるで熱帯雨林のようだった。
雨が降り、背の高い樹木。
高い気温と、まとわりつくような湿度。
慣れない環境は、容赦なく【面影】の体力と集中力を削っていった。
「快適な環境じゃないのは認めるけど、もう少しガマ――」
我慢してくれ。
そう言いかけて、景一郎は止まった。
ほんの少しだが、音が聞こえたのだ。
「詞、構えろ」
「あぁ――来ちゃった?」
詞は額に張り付いた黒髪をかき上げる。
そしてナイフを構えた。
彼だけではない。
この場にいる全員が戦闘態勢に入った。
ダンジョンの悪環境に参っていた姿は――もうない。
「どうやら今回のダンジョンは――植物系のモンスターが住んでいるらしい」
景一郎は現れたモンスターを見て呟いた。
周囲を囲む大量の樹木。
その内の数本が動き出したのだ。
植物型のモンスターであるトレント。
等級はB。
しかしスキル【擬態】を有しており、森の中で紛れられると厄介な敵だ。
「それじゃあ――行くぞッ!」
景一郎の一声で、彼らは駆けだした。
上級職になるには最低でも100レベルが必要なわけで――