末章 最終話 永遠の貴方へ
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静かな部屋で、ただ音が鳴る。
一定の周期で聞こえてくる電子音と、画面に表示される波形が彼女の生存を示していた。
彼女は目を開けない。
ただ浅い呼吸を繰り返し、椅子に座り続けている。
幾本もの管につながれた肢体は枯れ木のように細っており、重ねた年月を思わせた。
「起きてるか?」
そんな彼女に、彼――影浦景一郎は声をかけた。
すると女性――冷泉明乃は笑みを浮かべる。
昔から変わらない、品のある笑みを。
「生きているか、ではなくて?」
「笑えないジョークだぞ、それ」
カツカツという音を立て、景一郎は彼女に並び立つ。
「今日……ですのね」
緩慢な動作で明乃は目を開く。
その瞳は白く濁り、こちらの姿をきちんと識別できているのかは定かではない。
だが、そんなことは些事だ。
2人はガラス張りにされた壁から、夜景を一望していた。
何の言葉も交わさず。
それでいて、多くの意味を持つ沈黙を重ねた。
「あれから100年経ったからな」
景一郎はふっと笑う。
100年。
それは、景一郎がこの世界に滞在できるタイムリミットだ。
100年前に勃発した異世界人との戦争。
景一郎は神としての力を振るうことでその闘争を終息へと導いた。
救済の神として、永遠に世界を守り続ける使命と引き換えに。
現在過去未来。そしてあらゆる並行世界。
そのすべてを救い続けるシステムとして生き続けることになったのだ。
100年というタイムリミットは、そんな彼に与えられたせめてもの温情というわけだ。
「別れの挨拶を言える相手は、明乃だけになってたよ」
景一郎は少し寂しげにそう言った。
100年という時間は長い。
特に人間にとっては。
数えきれないほどの別れを経験するには充分すぎる期間だった。
「貴方はこれからも戦い続ける」
並び、夜景を眺めるだけの沈黙。
それを先に終わらせたのは明乃だった。
「せめて……わたくしだけでも、貴方をお見送りしたいと思っていましたの」
「……そうか」
「意地でも生き延びた……甲斐がありましたわね」
そう明乃は微笑む。
生きているだけで痛むような状態だろうに、穏やかに微笑む。
「そろそろか」
景一郎はそう漏らす。
指先が、少しずつ薄れている。
世界に溶けるように消えてゆく。
「明乃」
彼は明乃へと向き直った。
最後に見る景色が、彼女であるようにと。
「行ってくるよ」
そして告げる。
「これでさよならだ」
別れの言葉を。
「――もう、永遠に会える日は来ない」
幾星霜の年月を経たとして。
数多の世界を渡ったとして。
影浦景一郎に死という終わりは存在しない。
死別した家族とは、仲間とは、もう会えないのだ。
分かっていたはずなのに、その事実が重い。
「そうでしょうか」
そんな思考を遮ったのは明乃の言葉だった。
彼女は眼を閉じたまま、穏やかに微笑む。
「またいつか、わたくしがどこかの誰かとして生まれ変わったなら」
「会えるかもしれませんわ」
そう彼女は微笑んだ。
「……そうだな」
気が付けば、景一郎も笑みを浮かべていた。
そんなものはきっと、ただの気休めだ。
いつかどこかで会えたとして、きっとお互いその事実に気付きはしないだろう。
他人として出会い、すれ違うだけだ。
でも、いいのだ。
それでもいいのだ。
「そうだといいな」
自分のことをそれほどまでに想ってくれる人が確かにいた。
それだけで充分だった。
☆
彼の気配が消えてゆく。
音もなく、初めからいなかったかのように。
彼は永遠の戦地へと旅立ってしまったのだ。
「……行ってしまわれたのですね」
息を漏らす。
もう痛みはない。
それを感じるだけの命を、この体はもう持ち合わせていないから。
「良かった」
もういい。
ここまで彼女をつなぎとめていた糸は切れた。
もう、優しいあの人を置いて逝ってしまう心配はなくなったから。
「景一郎様に、看取らせるわけにはいきませんから」
ゆっくりと目を閉じる。
心電図が鳴らすアラートが遠ざかるのを感じながら。




