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紅章 12話 運命~糸はつながり~

 紅章前篇最終話。

 ボスが消えたダンジョン。

 出口までの道を、鹿目は紅音を背負いながら歩いてゆく。


 非力な【罠士】だが、小柄な紅音を担ぐくらいなら難しいことはない。

 治療で止血したとはいえ紅音が負った傷は浅くない。

 少しでも痛まないよう丁重に運んでゆく。


「えへへ……」


 耳元をくすぐる声。

 それは紅音の妙に嬉しそうな笑い声だった。


「格好良いところ見せて口説くつもりだったのに、格好悪いところを見せちゃったね」

 

 そう言って彼女は苦笑する。

 彼女の指先が、鹿目の前髪に触れる。

 

「眼……また潰しちゃったんだね」


 だが、彼女の指先が瞼に触れることはない。

 ただ愛でるように前髪を撫でただけだ。


「……はい」


 戦いが終わり、紅音の応急処置を済ませてから。

 次に鹿目が行ったのは右目――天眼を潰すことだった。

 

 だからもう、鹿目には未来が視えていない。

 現在だけを見ていた。


「本来、天眼家の当主ではない人間が天眼を使うことは禁じられていますから」


 天眼家の人間は必ず【鑑定】スキルに目覚め、さらに一部の人間が上位互換のスキル【天眼】に目覚める。

 

 しかし同時に存在する【天眼】の持ち主は1人だけ。

 そう一族は定め、当主以外の【天眼】使いは目を潰すことが義務付けられていた。


 それは鹿目が『生天目』を名乗り始めてからも変わらない。


「そうなの?」

「はい。未来を把握し、干渉する人間が入り乱れては運命の操作が難しくなりますので」


 運命は不安定だ。


 船頭多くして船山に上る、とでもいえばいいのか。

 運命の導き手が多ければ多いほどイレギュラーが生じやすくなる。

 だから【天眼】の持ち主は1人でなければならないのだ。


「なるほどねぇ」


 そんな気の抜けた返事が聞こえてきた。


 このあたりの観念は天眼家にいなければいまいち分からないのだろう。

 天眼家にいたはずの鹿目でさえ、本当の意味では理解できなかったのだから。


「ごめんね、鹿目ちゃん。本当は、その力……あんまり使いたくなかったんだよね?」


 そう紅音が語りかけてくる。


「……怖い力だとは、思っています」


 だから鹿目は、ぽつりとそう返した。


 嫌、というのは少し違う。

 忌避しているわけでも嫌悪しているわけでもない。

 

 これは恐怖だ。

 自分の手に拳銃があるような。

 そんな、手に余る力への畏怖だ。


「右足から歩き出すか、左足から歩き出すか。それで誰かの生き死にが変わることがある。運命は本来、それほど不安定なものなんです」


 それは極論かもしれない。

 だが空論ではない。

 実際に起こりえる可能性だ。


 ほんの気まぐれが運命を変えることなんて珍しくもない。

 未来を視ることのできない人間は、それを認識できないだけ。

 それだけなのだ。


「それを思い知らされるから、この眼が怖いんです」


 ――足が小石に触れ、転がった。

 今の鹿目にとってはそれだけの事。


 だが天眼を持っている状態だったら?


 この小石に意味を見出してしまうかもしれない。

 それが誰かの人生を大きく狂わせてしまうかもしれない。

 それを知らぬままではいせてくれない。

 天眼は見て見ぬふりを許さない。


「生きることに。呼吸のタイミングにさえ責任が伴ってしまうこの眼が――私は怖い」


 天眼来見――天眼を有する天眼家の現当主――彼女が以前、庭に石を投げ込んでいるのを見たことがある。


 意味もない行動。

 当然、鹿目もその場では気にしてもいなかった。


 後日、使用人が庭で石につまずいて怪我をするまでは。

 その日、使用人が乗って帰る予定だったバスが事故を起こすまでは。

 死ぬはずの運命が、足首の捻挫で済んだことを知るまでは。


 声さえかけることなく、人の生死を変えてしまったことを知るまでは。

 

 運命を操る。

 その恐ろしさを知ったのは、あの日だった。

 

 あれは来見が意図的に起こしたこと。

 だが、無意識に逆のことをしてしまう可能性だってある。


 あの日、来見が投げていた石を――()()()鹿目が拾ってしまっていたら。

 あの人は死んでいたかもしれない。

 世界はそんな偶然が重なってできている。

 ただ、気付いていないだけで。

 責任を負わずに生きていけているだけで。


「天眼の持ち主は私情をすべて捨て、世界の安定のために身を捧げることを強いられます」


 世界にいる数えきれない人々。

 その全員に目を向け、幸せの総量が最大になる運命を見つける。


 80億を超える人間が好き勝手に乗ったアンバランスな天秤。

 その重心を見極めてゆく人生。

 いつ狂うかも分からないバランスを、自分の体重だけでなんとか釣り合わせてゆく生き方。

 正気の沙汰じゃない。


「愛しい人を感情のままに救うことも許されず、見ず知らずの数人を助けるために1人を意図的に見捨てることもあります」


 いくら愛していても、見えている地獄に導かなければならないかもしれない。

 

 それが世界のためならば。

 不平等に助けることは許されない。

 感情で命の価値に優劣をつけることは許されない。


「目の前にいる大切な人を守った時、自分のやりたい生き方を選んだ時――犠牲になる人が視えてしまう。だからこの眼が怖いんです」


 大切な人に駆け寄った時、踏み潰してしまった未来が視えてしまう。

 大切な人に手を伸ばした時、手からこぼれていった未来が視えてしまう。


 知らないことが。

 眼を閉じていられることが。

 どれほど幸せなのかを思い知ってしまった。


「未来が視えるからこそ多くの人のために役立てなければならないという理念は分かります。ですが、それに耐えられる心が私にはなかった」


 理念に共感しつつも、殉じる覚悟はない。

 だから鹿目は次期当主にはなれなかったのだろう。


 そのことに、少しだけ安心した。

 重荷を背負わずに済んだことに安堵した。


 醜い。

 鹿目は目を閉じただけ。

 見て見ぬふりをすることが許されただけなのに。


 認識できなくなっても、彼女の歩みは誰かの人生を狂わせてしまっているかもしれない。

 今、口にしてしまった言葉が、巡り巡って人を殺すかもしれない。

 

 そのことを知らずに生きていけることに安堵してしまう自分は――醜い。

 そう思ってしまう。

 だからこの眼のことが苦手で。

 自分のことは――嫌いだった。

 

「ありがとね」


 そんな彼女に、紅音はそう告げる。

 ありがとう、と。

 感謝の言葉を投げかけた。

 

「あの日、鹿目ちゃんは眼を使わなかったよね」

「……?」


 思い出すような紅音の語り。

 その意図が分からず、鹿目は首を傾けた。


 そんな彼女の顔を見て、紅音は微笑む。


「たくさんのモンスターに襲われて、死んじゃうかもしれない場面でも眼に頼らなかった」


 彼女が語っているのは出会いの記憶。


 聞き間違いで窮地に陥って。

 モンスターに食われるのを待つだけだった自分。

 そこに彼女が現れた。

 そんな鮮烈な記憶。


 確かにあのとき、天眼を使うことは頭になかった。



「そんな鹿目ちゃんが、私を助けるために眼を使ってくれた」



 でも、今回は違った。

 

 それは本能か。

 天眼家の人間の脳髄へと刻まれた『人類のために力を使う』という生き方を果たすためだったのか?


 違う。

 そう思う。


 あれはただのエゴ。

 紅音だから助けたかった。

 同じ力を持っただけの別人だったら、あの決意はなかった。


 そんな不平等で、天眼家の理念からは外れた行いだった。


「もしそれが良くないことだったとしても、感謝だよ」


 紅音は腕に力を込め、強く抱きしめてくる。

 

「ありがと。鹿目ちゃん。私を助けてくれて」

「どう……いたしまして」


 そう返す。


 守れた。

 友達を守れた。


 それがどんな犠牲を生んだのかは知らないけれど。

 守りたい人を、守りたいままに守ることができた。


 そんな想いが胸に染みてゆく。


「あーあー。それにしてもマズったなぁ」


 紅音が声を上げた。


「まさか冒険者になって一発目で死にかけちゃうなんてねー」


 彼女は息を吐く。

 しかしそれは恐怖や安堵という深刻な感情を感じさせない。


 残念、その程度の感覚だろうか。

 さっきまで死にかけていたとは思えない振る舞いだった。

 普通ならトラウマになってもおかしくない出来事だったはずなのに。


「これはちょっと、お父さんのところに帰って鍛え直してもらおうかなー」


 そんな風に彼女は思いをはせる。


 ――鹿()()()()()()()()()()()()()


「…………そのことなんですけど」


 だからだろう。

 気が付けば、鹿目は口を開いていた。


「紅音ちゃん」


 だってこの言葉だけは、



「実は私――今日の冒険、楽しかったですよ……?」



 ちゃんと伝えておかなければならないから。


 危険はあっただろう。

 そして、これからも。


 きっと影浦紅音の未来は困難に満ちている。

 英雄譚のように。

 英雄に平坦な未来は似合わないから。


 でも彼女なら踏破するだろう。

 英雄が完走しなければ、英雄譚は終われないから。


 でも鹿目は分からない。

 どこかで躓くかもしれない、エンドロールには立ち会えないかもしれない。


 まるで踏み台のように。

 ちょっとしたイベントのように。

 自分の存在は消化されてしまうのかもしれない。


「もし紅音ちゃんの気持ちに変わりがなかったら……なんですけど」


 だけど、



「私も、一緒に冒険して……いいですか?」



 それでもいいと思えた。

 彼女と歩みたいと思った。


 踏み台でいいとは言わない。


 なりたいのだ。

 登場人物に。

 

 ――影浦紅音が紡ぎ出す英雄譚のメインキャラクターになりたい。


 そう思ってしまった。


「~~~~~~~~!」


 聞こえてくるのは声にならない声。


 驚き。

 そして弾けるような喜び。


 紅音は鹿目の背中に顔をうずめ、悲鳴のような叫びを上げていた。

 

「もっちろんだよぉっ!」


 顔を上げる紅音。

 その顔に浮かぶのは満面の笑顔。

 太陽のようで。

 どんな絶望も影を落とすことのできない、屈託ない笑みだった。


「よろしくね鹿目ちゃんっ」

「……はい」


 2人は言葉を交わす。


 未来が視えないままに英雄譚を紡ぐと決めた。

 その結末なんて知らない。


 英雄譚なんて、往々にしてバッドエンドだ。

 それでもいい。


 彼女と一緒なら、地獄だって笑顔で歩いて行ける。

 そうやっていつか、地獄だって踏破してみせる。


 そう信じられるのだ。

 未来なんて視えなくても。



「改めて……よろしくお願いします。紅音ちゃん」


 紅章前篇はここで終了となります。


 紅音と鹿目が本当の意味で仲間となってからの戦い『紅章後編 双星の英雄譚』はもう少し時間を開けてから投稿する予定です。

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