2章 6話 魔導スナイパー
「ん…………いける」
碓氷透流はうなずいた。
よく見ると、手が少し震えている。
「私は……忍足さんみたいな冒険者になる」
だが、透流は立ち上がる。
ここには、自分が果たすべき役割があるから。
「だから……逃げられない。負けられない」
確信なんてない。
正直、ここで自分は死ぬのではないかという思考が拭えない。
「…………勝てる」
だからこそ、そう己を鼓舞するのだ。
そして――碓氷透流の姿が景色に溶け込んだ。
☆
「よし……これで火力は確保できた……!」
嬉しい誤算に景一郎は小さく笑う。
桐生院ジェシカの戦線復帰。
それも、想像以上の戦闘力を携えて。
――希望が見えてきた。
「あとは耐え続ければ――」
「ボサっとしてないでッ! あと3発しか撃てないわよッ!」
「――マジか」
……正直、少し希望が薄らいだ。
とはいえあの高威力だ。
連発できないのは覚悟していた。
あと3発も残っているだけありがたい。
あれほどの威力があれば、強制的にデスマンティスの動きを止めることだってできる。
立ち回り次第で充分に勝機はあるはずだ。
「とはいえまだ逆転には足りない……どうにか流れを変える必要があるな」
まだか細い光明にすぎない。
押し切られそうなところを、ギリギリの拮抗に持ち込んだだけ。
それもジェシカの残弾が尽きるまでの短い時間だ。
依然として不利な現状を覆すには至らない。
「あと一手。流れを変える一手が欲しい――」
あと少しなのだ。
もう少しで、形勢が逆転する。
「……………ファイア」
それは静かな声だった。
凪いだ、感情の乗っていない声だった。
同時に、氷の弾丸がデスマンティスを襲う。
たった一発。
それも拳サイズの魔弾だ。
しかしそれはデスマンティスの左手――その一番細い部位へとヒットする。
一発の氷弾がデスマンティスの左手を吹っ飛ばした。
大鎌が地面に落ちてゆく。
「デスマンティスの鎌が――」
突然の攻撃に明乃もあっけにとられた様子だった。
一方で景一郎は魔弾の出処に目を向けた。
彼らの援護をしたのは――
「あいつは――」
何もない空間から人が現れる。
膝を立ててしゃがみ、指先で銃の形を作りながら。
少女――碓氷透流は真剣な表情でデスマンティスに指先を向けている。
「……【隠密】に加え、超長距離の魔法。……魔導スナイパーか」
それはかなり特殊な戦術だ。
なにせ適正者がかなり少ない。
【隠密】スキルを持っている【ウィザード】という時点でかなり希少なのだ。
そこから数百メートル先にいる標的を撃ち抜けるような射程と精密性を有していなければならない。
さらに、離れているせいで威力が減殺した魔法でもダメージを与えられる貫通力まで要求される。
それらすべてを満たすのは一部の天才だけだ。
そんな人物が、ここにいた。
「……私が鎌を撃ち落とす。両手がなければ無力」
無感情な声で透流は言う。
忍足雪子をトレースするように感情を押し殺す。
その試みは案外、透流のスナイパー適正につながっていたのかもしれない。
冷静さこそが、スナイパーにもっとも必要な才能なのだから。
「分かった! 任せるぞッ!」
景一郎が叫ぶと、透流の姿が消えた。
【隠密】で隠れ、新たな狙撃ポイントに移動するのだろう。
彼女は役割を果たす。
なら、景一郎はお膳立てをすればいい。
景一郎はデスマンティスに駆けだした。
すでに左手は機能していない。
デスマンティスにできるのは、残る右手を振るうことだけ。
「ッ――!」
轟音。
それは、矢印に軌道を曲げられた大鎌が地面に突き立てられる音。
渾身の一撃だったのだろう。
鎌は地面に深々と刺さり込む。
――地面に、固定された。
「碓氷ッ!」
止められるのはほんの1~2秒。
だが標的が停止した。
狙撃するのなら今だ。
「了解」
声が聞こえたのは、さっきとは逆サイド。
あの短時間で、透流は姿を隠したまま狙いやすい位置へと動いていたのだ。
虚空から出現した魔弾がデスマンティスに迫る。
氷の魔弾は精密にデスマンティスの大鎌を撃ち落とした。
耳を刺すような悲鳴。
それは両腕を失ったデスマンティスの声。
そしてこの音は、反撃の狼煙となる。
「よしッ! これで攻撃手段は潰したッ! 全員でかかれッ!」
景一郎は声を上げた。
すでにデスマンティスの攻撃力はかなり落ちている。
一撃で絶命するような攻撃はもう来ない。
今なら集中攻撃で押し潰せる。
「っと……」
景一郎は攻撃に移ろうとして――よろめく。
(思っていたより消耗してるな)
景一郎は眉を顰める。
極限状態での攻防。
度重なるスキルの使用。
無自覚だっただけで、体にはかなりの負担がかかっていたらしい。
「あんたらは大した奴らだよ」
その時、誰かの手が景一郎の肩へと乗せられた。
気が付くと、そこには兵藤がいた。
彼だけではない。
そこにはBランク冒険者を中心として、レイドメンバーが勢ぞろいしていた。
彼らの目に恐怖はない――なんてことはない。
だが、それを塗り潰すだけの何かが宿っていた。
「悪いな。情けない姿を見せた」
「最後くらいは――俺たちにも手伝わせてくれ」
1人。2人。
冒険者たちは景一郎の肩を叩き、彼の前に立つ。
彼らはデスマンティスに対峙していた。
「行くぞッ!」
兵藤の号令で冒険者は雄叫びを上げる。
「タンクは正面から注意を引け!」
「パワーアタッカーは両側面から叩け!」
「スピードアタッカーは背面に飛び乗れ!」
兵藤の指示が飛ぶ。
その命令は的確で、チームを一つの生き物のように動かしてゆく。
すでに火力の大部分を失ったデスマンティス。
しかし、彼がAランクモンスターであるという事実は揺らがない。
「「「うわぁぁぁぁッ!?」」」
デスマンティスが体をよじり、尻尾で冒険者たちを薙ぎ払った。
10人近い冒険者が紙屑のように吹っ飛ぶ。
それはレイド開幕直後を思い起こすような光景だったが――
「見ろッ! こんな攻撃なんざ……1発や2発食らったくらいじゃ死なねぇぞッ!」
「ビビってる暇があったら、少しでもダメージ入れろッ!」
「あいつらが立ち向かった攻撃は、こんな可愛いもんじゃないんだ! 気合い入れろッ!」
冒険者たちはすぐに立ち上がり、前線へと戻ってゆく。
もう足を止める者はいなかった。
薙ぎ払われても、すぐに攻撃に転じてゆく。
「…………すごいですわね」
その光景を前に、明乃はそう漏らした。
「ああ……すごいな」
景一郎たちだけだったときより、はるかに速くダメージが蓄積している。
チームが再び機能し始めた。
それだけで戦局はここまで動くのだ。
「なんで他人事ですの? この光景を作り出したのは、影浦様ではありませんか」
明乃はそう微笑むのであった。
途切れかけた光明。
それをつなぎとめたのは景一郎なのだと。
そう彼女は語った。
「冷泉」
景一郎はデスマンティスを見据えた。
いつまでもここで休んでいるわけにはいかない。
「――ここからはアタッカーとして動いてくれ」
景一郎はそう告げた。
――冷泉明乃のポジションはタンク。
パーティの盾として、仲間を守る役割だ。
そしてタンクとアタッカーでは必要となる能力が異なる。
簡単に兼任できるものではない。
だからポジションというものが存在するのだ。
しかし、彼には確信があった。
「気付いていらっしゃいましたの?」
――冷泉明乃は本来、アタッカー適性を持つ冒険者なのだと。
「冷泉はほとんどの攻撃を左に受け流していた。あれは、左手の盾でしのぎ、右手で攻撃するスタイルの名残だ」
デスマンティスの攻撃を流していたときもそうだ。
彼女は攻撃の大部分を左に流していた。
明乃は左手に盾を持つ。
だが、彼女は右利き。
ならなぜ、明乃は右手に何も持たないのか。
大盾を両手で持つことがあるとしても、わざわざ左手に盾を持つ合理的な理由がない。
「あるんだろ――右手に持つ武器が」
「ええ」
答えは簡単。
本来のスタイルは、左手に盾、右手に武器を持つものであるということ。
「――そういえば影浦様」
前へと歩み出た明乃が振り返る。
彼女が浮かべているのは、戦場には不釣り合いな微笑み。
「最近、名字で呼び合うのが――少し寂しく思えてきましたわ。詞ちゃんも、わたくしを『明乃ちゃん』と呼んでいましたし」
明乃は返事を待つことなく正面を向いた。
「――行ってきますわ。景一郎様」
そう言って、明乃は駆けだした。
彼女は一直線にデスマンティスを目指してゆく。
「ああ。――――明乃」
景一郎は、そんな彼女の背中を見送った。
デスマンティスの視線が明乃を捉える。
敵は正面。
ゆえにデスマンティスは――突進を選んだ。
Aランクのパワーは、正面をふさいでいた冒険者を轢き飛ばし、明乃を目指す。
「魅せてさしあげますわッ!」
重量任せの突進。
それを明乃は――受けた。
タックルの勢いを乗せて明乃は盾ごとぶつかる。
ほんの一瞬の拮抗。
そして、押し返されるよりも先に彼女は盾を傾けた。
受け流されたことでデスマンティスはバランスを崩す。
「――【レーヴァテイン】」
明乃が掲げた右手。
そこから紅蓮の炎が湧き上がる。
それは徐々に形を成し――剣となる。
「はぁぁぁッ!」
左手の盾で敵の体勢を崩し、無防備な敵に一撃を加える。
それこそが、アタッカーとしての明乃のスタイル。
炎剣がデスマンティスに振り下ろされた。
斬撃に連動するように爆炎が叩き込まれる。
彼女の一振りの後には、すさまじい火柱がそびえていた。
「こちらは冷泉家の人間にしか使えない血統装備ですのよ。ありがたく思ってくださいませ」
血統装備。
その名の通り、特定の血統の人間にしか扱えない装備のことだ。
最初に手にした人間の血族にしか扱えないという条件と引き換えに、他の装備よりも優れた性能を秘めた逸品。
その多くはSランク冒険者が愛用する品にも劣らない能力を有している。
彼女の【レーヴァテイン】も冷泉家の誰かから引き継がれたものなのだろう。
「とぉぉぉぉりゃぁぁぁぁぁぁっ!」
詞は嵐のような斬撃で、焼けたデスマンティスの体を刻んでゆく。
一撃一撃はそれほど重くない。
しかし、それを補って余りある手数。
彼の攻撃は、確実にデスマンティスの体を壊していた。
(紅。ゆっこ。菊理)
そんな2人の勇姿を見て、景一郎は誇らしく思う。
あれが、自分の仲間なのだと。
(まだ俺は、皆みたいに強くない)
景一郎は誇らしい。
自慢の仲間が、自分を信じると言ってくれることが。
(でもこのパーティで、俺は強くなる)
あの2人が、景一郎をリーダーと認めてくれているのだ。
そんな期待を裏切りたくない。
失望されてしまう恐怖に追いかけられているのではない。
景一郎は今、己の意思で理想の自分を追いかけているのだ。
だから強くなりたい。
だから強くなれる。
「「ラストッ――!」」
明乃と詞の声が聞こえた。
景一郎の正面にはデスマンティス。
初めて見たときからは想像もつかないほどに満身創痍。
それでもデスマンティスは生きていた。
生きて、景一郎を殺そうと睨んでいる。
「お兄ちゃんッ!」「景一郎様ッ!」
「――――トラップ・セット」
景一郎は腰を落とす。
デスマンティスは最後に力を込め、彼へと進撃する。
余力すべてを注ぎ込んだ特攻。
それを景一郎は――避けない。
「【セプテット】」
7つの矢印が重なった。
景一郎は足を踏み出し、矢印を踏む。
景色がゆがんだ。
急激に彼の体が加速する。
その姿はまるで黒い閃光だ。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!」
小細工はいらない。
短剣を突き出し、突っ込むだけ。
ただそれだけ。
「終わりだッ!」
景一郎は――デスマンティスの体を正面から貫いた。
レイド――決着。