紅章 1話 運命~Start~
「本当に……ありがとうございました」
鹿目は頭を下げる。
ダンジョンからの帰り道。
もはや吸うことはできないとばかり思っていた澄んだ空気を彼女は味わっていた。
あの鬱屈とした遺跡が死に場所にならなくて本当に良かったと思う。
そして、そうならずに済んだのは隣にいる少女のおかげなのだ。
「そんなに何回も言わなくて良いってば」
少女――影浦紅音はそう笑う。
彼女にとっては本当にたいしたことではないのだろう。
恩着せがましさなど微塵もなく、それこそ落ちた小銭を拾ってあげたくらいの感覚のように見えた。
とはいえ命を救われた身としてはこの上なく大きな出来事だったわけで。
何度でも頭が下がろうというものだ。
「でも――」
「分かった、分かりました。そのお礼、ありがたく受け取りましょうとも。だからハイお終い。あなたはお礼を言って、私はそれを受け取った。これでこのやり取りは終了だよね?」
紅音は肩をすくめて嘆息していた。
――気遣わせてしまった。
救われたあげく、気を回させてしまうとは。
自己嫌悪である。
「は、はい……分かりました」
さすがにこれ以上繰り返しても迷惑なことくらい分かる。
まだ感謝し足りないという気持ちを抑え、鹿目は引き下がった。
「そういえば……」
助けられた者と助けた者。
その関係がフラットに戻れば、どうにも気になってくることがある。
――影浦紅音の実力だ。
「?」
首をかしげている紅音。
彼女は鹿目の疑問を察していないらしい。
一方的にBランクモンスターを蹂躙する冒険者。
あれは明らかにAランクに匹敵している。
さらにいえばその上澄み――功績次第ではSランクさえ視野に入る実力だ。
「影浦さんのランクって――」
もしかすると自分はすごい人物と知り合ってしまったのではないか。
そんな好奇心。
ゆえに問いは思わず口からこぼれていた。
「あ――」
こぼれて――失態だったと悟る。
(つい気になって聞いちゃったけど、初対面で聞くなんて失礼ですよね……)
好奇心はある。
あるが、感情に任せて踏み込むのは少しばかり品に欠けるだろう。
気になる。
気になるが、本人が語ろうとしていないのに聞くべきではないことだった。
「えっと、今のは忘れていただけると――」
鹿目はしりすぼみにそう言った。
特に上手く誤魔化せる弁舌があるわけでもなく。
こんな微妙な方向転換しかできなかったのだ。
「『さん』なんて付けなくていいよぉ。それに『影浦』って呼ばれるの慣れてないんだよねぇ。紅音って呼んでよ」
紅音はへらりと笑う。
気を悪くしてもおかしくないと思っていた質問。
それを気にするどころか、むしろ彼女は距離を詰めてきたのだ。
「へ?」
「だってさ、だってさ? 鹿目さんって年上でしょ? なのに私ばっかりフランクに話しちゃうのは申し訳ないからねぇ」
上目遣いに紅音が見つめてくる。
――彼女は鹿目と比べて頭1つ……いや、1つと半分ほど身長が低い。
顔も幼さが残る。
確かに年下で間違いないのだろう。
「えっと……紅音さ……ちゃんは何歳なんですか?」
とはいえ、10年以上前には成人していながら中学生のような容姿をしていた冒険者もいたという。
念のために鹿目は尋ねた。
まかり間違って紅音が年上だった場合、さすがに『ちゃん』と呼ぶのは申し訳ないと思ったのだ。
しかし、結論から言えばこの問いは失敗だった。
なぜなら――
「ん。15」
15。
10と5。
現代日本の教育課程においては中学3年生から高校1年生にあたるであろう年齢。
それは――
「同い年だった……!」
――鹿目と同じ年齢だった。
明らかに年下だと思っていた。
正直、ほとんどありえない形式上の確認のつもりだった。
社長の印鑑並みに軽くスルーする予定だった確認は、思わぬ地雷をはらんでいたのだ。
鹿目はその場に崩れ落ちる。
「うっそぉぉぉぉ!?」
「しかもすごく驚かれた……!」
きっと紅音も似たような認識だったのだろう。
むしろ驚き具合は彼女のほうが上だった。
それもそうだろう。
――177。
それは鹿目の身長だ。
ちなみに今も伸びている。
明らかに平均身長を逸脱している。
あまり触れたくない部分なのだが、身長や胸など全身のサイズ感が周囲よりも大きいのだ。
そのせいで中学生になったばかりの頃から大人と間違われることが多かったのは、彼女にとって数多いコンプレックスの内の1つだった。
年齢に比べて小柄な紅音と、大柄な鹿目。
同い年だと思う道理がない。
「いやいやいやいやゴメンってばぁ。鹿目ちゃんって大人っぽかったから予想外だっただけだってぇ」
鹿目が本気でショックを受けていることを理解したのだろう。
紅音が腰を落として慰めてくれる。
「う、ぅぅ。フォローしてくださらなくても大丈夫ですよ……。私なんて……」
別に老けて見られてもいいではないか。
たとえ運命のいたずらで若く見られたとして、どうせ自分は自分だ。
誰が興味を持とうというのか。
そんな後ろ向きな言葉で自分を説得してゆく。
「ちょちょちょちょちょい待ってってば。ほら。ゆっこ姉も言ってたよ?」
止まることなく沈んでゆく鹿目。
慌てたように紅音が声を上げる。
そして――
「巨乳は敵だって」
「フォローどころか敵視されてる!?」
そして――無駄に終わった。
むしろトドメを刺された気がしなくもない。
とはいえ、だ。
一度トドメを刺されたのが効いたのか。
さすがにこの流れを引きずるべきでないという判断くらいはできるようになった。
「でさ、話戻していい?」
「え、ええぇ……?」
ちなみに紅音の中ではわりと早い段階で決着がついていたらしく、唐突に話題を切り替えてきた。
会話が成り立っているようで、どことなく会話のドッジボール臭がする。
端的に言えば、会話のテンポが噛み合っていないような気がしていた。
――別に、居心地が悪いわけではないのだけれど。
「でさ、ランクって……なに?」
――――。
――。
そんな気持ちは、紅音の口から紡がれた爆弾で四散した。
ランクという概念を理解していない。
それは本来なら一般人でも知っている知識だ。
まして、冒険者として活動している人間が知らないはずもない前提条件。
――余談だが、ダンジョンに潜るには冒険者としてのライセンスが必須となる。
当然、ライセンスを取得している以上、その道について最低限の知識は備えていることが義務付けられているのだ。
「な――――」
ならば、そんな当然の知識を知らない人間はどんな人間だろうか。
(む、無資格でしたぁぁぁぁぁ!)
答えは――ライセンスを持っていない人間だ。
紅――剣術。
雪子――言語センス、思考。
菊理――バトルマニア要素。
が主に紅音を構成している要素となります。
あとは景一郎とグリゼルダが余剰スペースになんとか常識を詰め込んだ感じで。




