雪章 12話 The lunaria2
「ごめん」
景一郎からの申し出。
それを詞は――断った。
「ここから先は、ボク一人で行く」
景一郎へと向き合い、まっすぐにそう告げた。
彼を見据えた視線は逸らさない。
「乗り掛かった舟だ。俺も行く」
ただし景一郎は受け入れない。
「確かに、俺の力を借りずに解決すべきっていうスタンスは分かるけど――」
そう続ける景一郎。
――影浦景一郎は人間ではない。
この世界を守ることを義務付けられた神だ。
確かに、詞たちは彼に約束した。
この世界を、彼の助けが必要となるような危機になどさらさないと。
だから景一郎は思っているのだろう。
詞の言葉が、その約束の延長線上に存在するものなのだと。
「ごめん。そうじゃないんだよね」
だが、違う。
詞が優先したのは景一郎と交わした約束ではない。
「ボクさ、結構本気で怒ってるんだよ」
1人の男としての、プライドなのだ。
「ボクの手で終わらせなきゃ気が済まないんだ」
大切な人を目の前で傷つけられ、奪われた。
その怒りは、報復は自分の手で。
神にも、仲間にも譲れない。
そんな気持ちが彼を動かしているのだ。
「絶対に勝つ。だから、任せてよ」
詞は一歩も引かない姿勢で景一郎にそう言った。
生まれる沈黙。
景一郎は何も言わない。
しかし、それが辛い。
自身の未熟さを晒していることを嫌でも自覚してしまうから。
「分かってるよ。本当は、お兄ちゃんと一緒に戦って……1秒でも早く終わらせるべきなんだって」
思わず詞は顔を伏せてしまう。
口から本音がこぼれてゆく。
「分かってる……分かってるんだよ……?」
冷静な自分。
感情に突き動かされる自分。
その間で折り合いがつかない。
景一郎の助けを借りるべきだ。
一般人を。
そして――透流を。
確実に助けたいのなら、彼の助けを借りるべきなのだ。
分かっている。分かっているのだ。
「お兄ちゃんがボクの立場だったら多分、そうするんだと思う。冷静に、皆を守れるんだと思う」
そうやって、彼は守った。
仲間だけではない。
世界を守った。
そんな彼が目の前にいるからこそ、自分の中にある間違いが浮き彫りになる。
この衝動が誤りなのだと突きつけられる。
「でもこれは、譲れないことなんだ」
間違えていると分かっている。
それでも、譲れないのだ。
☆
「――――」
悲痛な詞の声。
景一郎はそれを静かに聞いていた。
そのやり取りの中で景一郎は、昔のことを思い出していた。
「それは違うな」
「っ」
詞の肩が揺れる。
今、彼は迷っている。
衝動と現実の前で。
きっと彼がもっとワガママであればこんな迷いはなかったのだろう。
優しいからこそ、迷っているのだ。
なら否定できるわけがない。
他ならぬ彼自身がその気持ちを否定していたとしても。
「俺は、自分のやりたいことを諦めてまで誰かを守った記憶はない」
「え……?」
顔を上げる詞。
きっと叱責されると、自分の誤りを正されるとでも思っていたのだろう。
だが、そんなことができるわけもない。
思い出す。
10年前を。
花咲里庵にスタンピードダンジョンが発生したときのことを。
単独で乗り込んだ香子を助けに向かいたいという想い。
彼女が命を懸けてでも守りたかった場所を守りたいという想い。
もし挑んでもダンジョンをクリアできる可能性は決して高くないという現実。
人命のためには思い出を蔑ろにしなければならないという現実。
そこに、道を与えてくれたのは誰だったか。
「それは、俺がワガママを通したいとき――いつもお前たちが助けてくれたからだ」
仲間が――【面影】が背中を押してくれたから。
景一郎はあのダンジョンへと飛び込めた。
現実に屈することなく、何も取りこぼさない未来への可能性を残してくれた。
いつもそうだった。
景一郎が【聖剣】を追いたいというワガママを通せたのは、それを支えてくれた【面影】の仲間がいたからだった。
「だから今度は俺の番だ」
あの結末は、決して景一郎だけで掴んだものではない。
自力で掴み取ったなどと傲慢な気持ちが微塵も湧かないほど、彼は多くの人に助けられてきた。
「お前のワガママくらい、何度でも通してやるさ」
だから、今度は逆なのだ。
今度は、景一郎が支える番なのだ。
「行け、詞」
分かっている。
今からする選択は理論的でも効率的でもない。
だが、その理不尽を通してやれるくらいには――強くなったつもりだ。
「お前が勝って帰ってくるまで。俺が誰も死なせない」
茫然とした様子の詞。
しかし彼はすぐに再起動し、深々と頭を下げる。
言葉のない数秒。
だが、彼の想いは伝わってきた。
詞は頭を下げると、そのまま魔界樹の穴へと入ってゆく。
残されたのは景一郎と大量の荊人形だけだ。
「待たせたな」
敵の数は10か20か、それとも100か。
構わない。
「そこから、3歩でも動けると思うなよ?」
景一郎の剣が影を纏った。




