雪章 8話 芽生え
透流の誘拐より数時間後。
【面影】は明乃のオフィスで状況を確認していた。
「透流さんが……」
「容姿の特徴から、私と交戦した冒険者と同一人物でしょう」
「ですわね」
ナツメの言葉に明乃が同意する。
どうやら敵の存在に心当たりがあるらしい。
「それより! そいつはどこの誰なの! 明乃ちゃんなら! 明乃ちゃんならもう分かってるんだよね!?」
焦燥のままに詞は明乃へと詰め寄る。
透流はかなりの深手を負っていた。
いくら高レベルの冒険者は生命力が強いとはいえ限度がある。
あのまま放っておけば長くはもたない。
だから――
「落ち着いてくださいませ」
平静を失っている詞を明乃はそう制した。
仕草さえ伴わず、確固とした態度と言葉だけで。
そんな彼女を見て、とても冷静とは言えないながらも詞は口を止めた。
「残念ながら、敵の正体は掴みきれていませんわ」
「そんなッ……!」
詞は動揺する。
名前さえ分からないのだ。
そこから敵の正体を調べて、潜伏先まで。
数時間どころか数日で可能かさえも分からない。
それでは間に合わないのに。
「まったく予想がつかないわけ?」
そう問いかけたのは花咲里香子だった。
詞があまりにも取り乱しているせいか。
彼女の振る舞いはいつもより冷静なものだった。
「いえ、仮説でよろしければ」
「それでもいいから教えて!」
この際、勘でも構わない。
順を追って敵の正体に迫っている時間はない。
「おそらく敵の正体は――異世界人ですわ」
明乃の言葉に、部屋の空気が張り詰めた。
異世界人。
この場にいる者たちなら、その意味がよく分かっているから。
「敵の情報があまりに少なく、それでいて知名度とは不釣り合いな実力。そして今回、狙われた2人」
「2人?」
「ええ。私も半日前に」
ナツメがそう答える。
そういえば先程『交戦した』と言っていた。
どうやら冷静な思考を失い、細かな情報を拾い上げきれていなかったようだ。
そのことを自覚し、俯瞰的に物事を見ようと決意し――
「って、ナツメさん腕ないよ!?」
――ナツメの左腕が欠損していることに気が付いた。
あまりに自然に振る舞っているせいで分からなかった。
そういえば、普段であれば彼女自身が煎れるはずの紅茶を他のメイドが用意していた。
こんなあからさまな変化さえ見落とすほどに動転していたらしい。
「千切れた腕を回収できなかったので。とはいえ、復元の手配は終わっていますのでご安心ください」
「う、うん……」
詞はうなずく。
高ランクのヒーラーなら腕を『つなげる』のではなく『再構築』する。
明乃ならそのレベルの冒険者を手配することは容易いだろう。
「わたくしの仮説が正しければ、襲撃者はバベル・エンドと同じ世界の冒険者でしょう」
これまでの経歴が分からない理由。
異常ともいえる戦闘スキルを有している理由。
その2つが、異世界人であるという前提に立てば説明がつく。
異世界にいたのなら、この世界に足跡など残っているわけがない。
異世界人の強さなら――身をもって知っている。
「詳しい動機までは分かりませんが、おそらく彼女は――あの戦争で戦った冒険者を狙っている」
「だから透流ちゃんが?」
明乃に詞は問う。
「可能性としては高いと思いますわ」
相手が異世界人だとして。
狙われたのがナツメと透流。
2人に共通しているのが――世界の命運をかけた戦場に立っていたこと。
確かに納得がいく。
「復讐でもする気なのかしら」
「かもしれませんわね」
明乃は香子の言葉に同意する。
とはいえ動機は当人に聞くまで分からない。
それに、詞にとって動機なんてどうでもよかった。
異世界人が【面影】へと再び刃を向けた。
それだけの情報で充分だった。
「ともあれ、そろそろですわね」
「?」
明乃の言葉に、詞は首をかしげる。
よくわからないが、彼女は何かを待っていたらしい。
その答えは――突然開いた扉の向こう側にあった。
「いきなり呼びつけて、どうかしたのか?」
扉の向こう側から現れた、影を纏う男性という答えが。
「お兄ちゃん!?」
詞は予想していなかった来訪者に声を上げる。
影浦景一郎。
この場を訪れたのは、詞がもっとも頼りにしている人物だった。
一方で景一郎は事態を把握していないのか、部屋を見回している。
「……? 透流はいないのか?」
「ッ……!」
「――なんか事情があるみたいだな」
詞の表情を見たのだろう。
何かを察したように景一郎の表情が真剣なものとなった。
「グリゼルダさんは」
「来ておる」
明乃の言葉に応え、景一郎の背後から金髪の女性が現れた。
「リゼちゃん!?」
グリゼルダ・ローザイア。
絶世と呼ぶべき美しさを持ち――かつて【先遣部隊】の一員だった女性。
確かにこの状況を打開するには、彼女は最適な存在だ。
「今回の敵が異世界人だと予想した時点で、彼女の知識が必要だと判断いたしましたの」
明乃がそう言った。
さすがの手回しだ。
敵が異世界人である可能性に思い至った時点で、彼女は景一郎たちへと連絡を取っていたのだ。
そうでもなければ、遠くの孤島にいるはずの2人がこのタイミングで駆けつけられるはずがない。
「異世界人?」
「ええ、実は――」
そうして、詞たちは改めて状況を確認し合うのであった。
☆
「知らぬな」
――その結果がこれである。
敵の正体は。
その肝心な問いについて、グリゼルダはあっさりとそう答えた。
知らないと。
「おい」
呆れた様子で横目を向ける景一郎。
主と慕う人物からの冷めた視線。
それはグリゼルダにとって堪えるものだったのだろう。
彼女は少し気まずそうに弁解する。
「それは――仕方がないであろう。そもそも【先遣部隊】は実力だけで選抜された、ほとんど面識のない冒険者同士で組まされたパーティだったのだ。何年も前の――それも顔を合わせたかさえ定かでない奴のことなど覚えておらぬ」
元よりグリゼルダは他人へと興味を持っていないような印象がある。
それこそ例外は景一郎とごく一部くらいだ。
そんな彼女が、いちいち味方の名前を記憶していたかと言われると――悲しいが納得してしまう。
「せ、せめて名前だけでも分かれば思い出しようもあるかもしれぬのだが……」
少しうろたえるグリゼルダ。
彼女とて、自分が唯一の情報源であることを理解しているのだ。
一応ながら思い出す努力はしてくれているらしい。
「さすがに映像もない人物では難しいですわね」
ため息を吐き出す明乃。
確かに、目に見える形で敵の情報を残しておくべきだった。
当時は透流を奪還することに夢中になって頭が回らなかったが、これは失策だ。
「そう思い、似顔絵を用意いたしました」
そう挙手したのはナツメだった。
彼女の手にはスケッチブックが握られていた。
「さすがメイド長! 準備がいい!」
詞の表情が晴れやかになる。
さすがの仕事人。
相手の顔を観察し、似顔絵にしているという。
これで事態が進む。
そう考えていたから――気づかなかった。
「あ、それは――」
――明乃がなぜかナツメを制止しようとしていたことに。
「…………それで、似顔絵はどうしたのだ」
グリゼルダは似顔絵を受け取ると、そのまま眉を寄せた。
「それが似顔絵です」
「ああ……なるほど。お前、左利きだったのだな」
「右利きですが?」
「――ただ下手なだけか。さっさと捨てておけ。いや、我が捨てておく」
――そのままスケッチブックがゴミ箱に投げ込まれた。
「………………」
「だから皆様にはお見せしなかったのですわ……」
気まずそうな明乃の声。
どうやら、かのメイド長には絵心がなかったらしい。
「実質、手がかりなしというわけだな」
「いえ、似顔絵なら――」
「ないみたいね」
ナツメの言葉はグリゼルダと香子に封殺された。
振り出し。
そう、結局何も進んでいないのだ。
「でも、だからって何もしないなんて――!」
「ところで」
分からないのなら、とりあえず足を動かそう。
そう詞が判断したとき、景一郎が口を開いた。
彼の言葉で部屋が静けさを取り戻す。
沈黙の中、景一郎は指である場所を示した。
そこは――床。
「さっきから下で盗み聞きしてる奴、誰だ?」
「え?」
彼が告げたのは、姿を隠している者の存在。
この場にいるほぼ全員の探知をすり抜ける存在。
もしもそんな相手がいるとしたら――
「あら、バレたみたいね」
女性の声が聞こえてきた。
忌々しい。
神経を逆撫でする声が。
床が割れ、蕾が生える。
蕾はすくすくと膨張し開花する。
その中から現れたのは――
「もしかしてあなたたちが探している襲撃者って――こんな顔だったかしらぁ?」
――透流を誘拐した、紫髪の女だった。




